甘いダシのお揚げ
夕日ゆうや
母の味。
熱々のお揚げにかぶりつく。
中から出るのはダシのきいた甘い汁。
ビールを飲み、またお揚げにかぶりつく。甘さが倍増されたような気がした。
俺はこの甘いだし汁が好きだ。
昔から。お袋の味と似ているからか。それとも思い出補正がかかっているからなのか。
そう――お袋は死んだ。もう二度とあの肉じゃがや甘いうどんを食べられない。
二ヶ月前だ。お袋は急性肺炎でなくなった。もっと早く病院に行けば完治できた、と言われている。
医学の知識なんてない俺には耳にたこだった。
お袋は俺に色々なことを教えてくれた。料理を始めとする家事全般。勉強の大切さ。物事に対する考え方。
放任主義だった父とは対照的に過干渉なほどに。
赤いきつねをもう一度食べる。
お袋の好きな味だ。世代を超えてもなお愛される味だ。
この味を俺は守っていきたい。
だから俺の子供にも良く買っていく。
「え~。たまには緑のたぬきがたべたいよ~」
子供は正直だ。俺の好みに文句を言うようになったか。
「そうだな。今夜は緑のたぬきにしよう」
師走の忙しい時期、年越しそばはこれでいいだろう。
緑のたぬきと赤いきつねを買っていき、雪が吹き荒れる街路を歩いている。
「パパ寒いね」
「ああ。帰ったら暖まろうな」
「お母さん、元気かな?」
入院している妻・
やはり今は母のぬくもりが恋しい年頃なのかもしれない。
ポタポタと落ちる雫。
「お父さん、泣いているの?」
「いや、違うんだ」
「お父さんもさみしいの?」
手をつないで歩く息子の声が震える。
「ああ。そうだな。真智子がいなくて、母さんがいなくてさみしいよ」
虚勢を張ることもなく、素直な気持ちで言う。
「お父さん」
「なんだ?」
訳知り顔でこちらを向く小太郎。
「会いたいね」
「ああ。ああ!」
年末年始は病院での面会は禁止されている。それに輪をかけるように、コロナが広まった。その防止として当面の面会が禁止されている。
俺は家に帰ると、スマホを取り出す。
「お父さん、なにをするの?」
「これから母さんとラインをするんだ。小太郎も撮るぞ!」
「うん! 分かった!」
素直なのは誰に似たのか。
俺は小太郎を背景に、赤いきつねと緑のたぬきを撮る。
そして入院中の妻にラインで送る。
《今夜の年越しそば》
《もう。わたしが入院してからカップ麺ばかり食べているんじゃないの?》
《そんなことないぞ。この間は目玉焼きを作った》
少し遅れて返事が返ってくる。
《わたし、静養できないじゃん。すぐにでも帰らないと食生活が心配だわ》
そんなに気に病んでいたら、治るものも治らない。
しっかりしないと。
そう想ったが、真智子がいないと何もできないことに気がつく。
今まで仕事一筋だった俺は、妻の療養のためにも仕事を減らしてもらった。そのかいあってか、真智子がやっていた家事がどれほど大変なのか思い知った。
《これからいい父さんでいるからな》
《なによ。しんみりしちゃって。来週には退院なんだから、安心しなさい。あなたはまた仕事に打ち込みなさいな》
《ありがとう》
俺は真智子に支えられて初めてちゃんと生きているんだな。
《お母さん、早く帰ってきてね》
小太郎もラインにメッセを送る。
《甘えん坊な小太郎ね。ちゃんと勉強している?》
苦い顔をする小太郎。
そういえばあまり勉強しているところを見ないな。
《するから早く帰ってきて》
小太郎が真智子との会話を楽しんでいる間にカップ麺にお湯を注ぐ。
三分ででき、おとものおにぎりと一緒に食卓に出す。
「ほら。できたぞ」
「うん。分かった」
ラインを終えると小太郎は緑のたぬきの蓋を剥がす。
「「いただきます」」
俺は赤いきつねを食べ始める。この甘い味はお袋の味。
「おいしい」
小太郎がそう呟く。
これからは小太郎のお袋の味がこれになるのかもしれない。
「お父さんの、赤いのもおいしそう」
「じゃあ、半分こしよっか」
「うん!」
満面の笑みに思わず頬が緩む。
「父さんな。このうどんの味が好きなんよ。お袋の味でな。甘いタレがそっくりなんだ」
「おばあちゃんの味なんだ」
なんだろ。鼻の奥がつんとする。
「そうだよ。これからもたくさんおいしいものを食べような」
「うん!」
はじけるような笑顔に、俺は救われた気がした。
真智子が退院して、次の日。
俺は甘いダシのうどんを頼んだ。
赤いきつねとはちょっと違う味だが、これも悪くない。
「家庭の味とちゃうよ」
そう言う真智子だったが、それからも甘いダシのうどんを作ってくれた。
小太郎もよく食べてくれた。
食は家庭の基本。
みんなの縁の下の力持ちなのだ。
愛される食は今も昔も変わらない。きっとこの先も……。
甘いダシのお揚げ 夕日ゆうや @PT03wing
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