1-13 緋色

 うちの高校には教室棟としてA棟とB棟の二棟あり、その二つの棟を繋ぐための渡り廊下がある。三階に設置されているため屋根はない。しかし、そのおかげで空が良く見渡すことができ、黄昏時たそがれどきには雲さえなければ夕日を拝むことができる。もちろん、今日もだ。

 蕪木と土居原先生には予めこの渡り廊下で待ってもらうように伝えていたため、自分が手紙を持って渡り廊下に来た時には二人が自分のことを待っていた。


「お待たせしました」

「いえいえ、待っていませんよ。それにしても、あまり来ることがなかったので知りませんでしたが、ここではこんなにきれいに夕焼けが見られるのですね」


 普段図書室と準備室にこもることが多いためだろう、夕日に焼かれる空を眺め土居原先生は目を輝かせている。

 対して腕を組みいぶかしむ蕪木は夕日に見向きもせず、こちらを見ながら抱いていた疑問を口にした。


「儀式には場所とか時間とか条件がうるさくついて回るものだと思っていたけれど、こんな場所で良いの?」

「それは初めおれも思ったが神様が良いって言うんだから、良いんだろ」


 と少し適当な返しになったため、しゃくに障ったのだろう蕪木がこちらを睨む。

 それを見て慌てた様子で土居原先生が仲介に入った。


「その条件ですか? もう少し詳しく教えてくれたら嬉しいのですが」

「そ、そうですね」


 心の中で土居原先生に感謝をしつつ、自分は説明に入った。

 条件は二つ。一つは黄昏時。つまりは夕暮れ時であること。自分たちが生きているこの世と死者の住むあの世の境があいまいになる時間。この時間は今と過去の区切りすらあやふやになり、過去へ通じる道が開くそうだ。

 そして二つ目は地平線に消えていく夕日が眺められる開けた場所。夕日の光が持つ力と熱が手紙を送るためには必要になるそうだ。この渡り廊下であれば、沈んでいく夕日を眺めることができるため、充分に条件を満たせている。

 以上の二つの条件が満たされていれば想いは過去へと飛んでいく。ただし、どちらか一つの条件を満たしていなければ力が足りないのだとか。まあ、今は関係のない話なのだけれど。


「とにかく、時間もないんで早速やりますね」

 ポケットの中から手紙を取り出すと、夕日に向けるように両掌の上へ乗せた。

 そして祝詞のりとを告げる。


なんじに願う。蝶の姿を借りて、想いをあるべき場所へ」

 祝詞が告げられた瞬間、封蝋ふうろうに夕日の光が集まっていく。集まった光によって蝋は熱を持ち次第にぐつぐつと泡を吹きながら煮えだすと、手紙全体を覆い始めた。


「本多さん!?」

「大丈夫です。全然熱くないんで」


 突然のことに慌てだす土居原先生。蕪木も無言でこそいるが、驚いた様子を隠せないのか、目を丸くして自分の手の上の手紙を見ていた。

 自分は問題ないことを示すため笑って二人に応えると、再び手紙へと自分は視線を向けた。

 手紙全体を覆った蝋は#かいこまゆのような塊に変わると、次の瞬間、繭はひび割れ中から透明な羽を持った蝶が生まれる。蝶は閉じていた羽を開くと、夕日の光をその羽にまとい、緋色ひいろへと色を変えた。

 緋色、それは人を想う色。想ひ《おもい》色。その羽の色すら想いを託される、美しい蝶。

 黄昏時のどこか不安を呼び起こす怪しさと、磨かれたダイヤモンドのような輝きを同時に持ち合わせた羽を持つ蝶に、蕪木と土居原先生は視線を奪われていた。


「二人とも見えていますよね、この蝶が」

「はい」

「ええ。正直、かなり自分の目を疑っているけれど」


 反応はそれぞれだが二人とも蝶の存在を認めると、自分は蝶の説明を始めた。


「この蝶は特別な人だけ見えるようになっています。素直に気持ちを伝えられなかった過去を持つ人だけ。つまりは後悔をし続けている人間だけがね」

「…………」


 土居原先生は口元に手をやり、蕪木は右手で左腕をぎゅっと握る。自分の言葉の意味を察したのだろう。

 そんな二人を背に自分は蝶を頭の上へ持ち上げると、蝶は渡り蝶のように夕焼けに向け飛び出していく。

 幻想的な光景だった。緋色の羽を持つ蝶が真っ赤に燃える夕日に向け頬に触れる柔らかな風を残しながら、まるで舞うように飛んでいく。この光景は写真に残そうとする時間さえも惜しいのだ。


「おれ、この時間だけがこの仕事をしていて良かったと思いますよ」


 他人ひとの痛みを知る仕事。他人の後悔に触れる仕事。それはどんな仕事よりも時として苦しいものになる。だから、その仕事の先に見られるこの幻想的な光景が、何よりの成果だと言えるのだろう。

 その成果たる蝶はいつの間にか夕日のまぶしさの中に消えていた。

 これにて無事に。という表現が正しいのか分からないけれど、土居原先生の飛ばした想いは過去へ飛んでいった。だけど、疑り深い蕪木はまだ安心しきっていないようだ。


「先生は、何か変化はありますか?」

「んー、残念ながらそういったものは感じられないですね」


 蕪木の問いに土居原先生は自身の胸に手を当て、首を横に振る。それを見て蕪木はこちらに振り返ると、眉尻を上げ自分を睨みつける。


「心の救済措置とか言いながら、救済されたのか分からなかったら何の意味もないじゃない」

「それは」


 言葉に詰まった。蕪木の言う通りだったからだ。

 いくら過去に飛んでいったとしてもちゃんと伝わったのか分からなければ、例え伝わっていたとしても心の救済にはならない。

 しかし、そこは神様の力。と言うべきだろうか、どこまでも送り主にとって都合の悪いことにはならない。


「神様はそこまで野暮じゃない。ちゃんと本人に伝わるように、お使いを手配してくれているよ」

「お使い?」

「使者って言ったら良いのか? 神様の使者。一番ふさわしい人が使者としてやってくることが多いんだが」

「……先生が、来られるのですか?」


 ここまで殆ど会話に参加していなかった土居原先生の口が動く。まるで初恋の人と再会できることを期待するような表情と共に。

 その表情を見て、自分の胸がキュッと締め付けられた。


「その……本人が来る場合も、もちろんあります。だけど、全員ではないです」

「そう、ですか」


 期待させるわけにいかないため、否定的な言い方になってしまったためだろう、土居原先生の表情は曇る。

 自分は慌てて取り繕おうとするのだけれど、その前に土居原先生の表情に明るさが戻った。


「果報は寝て待てと言いますからね。本多さんの言う通りに使者の方が必ず来られるのなら、待っていましょう」


 どこか強がりにも思える言葉を残し、土居原先生は渡り廊下を去っていく。

 これからやってくる夜を思わせるような、どこか冷たい背中を見つめながら自分と蕪木はその後を追った。

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