1-12 人ならざるもの

 普通神様の住まう場所と言えば、神社とか神聖な場所を想像すると思う。万次郎の仲介で知り合うことになるまでは、自分もそう思っていたから。

 だけど、自分が知っている神様というのは庶民的と言うか住む場所にこだわりがないらしく、この学校の科学準備室に居る。


「…………」


 科学準備室の入り口の扉。他の教室と変わらないはずなのに、何十倍にも重く感じる扉をこじ開けるように引いた。


「いらっしゃい。元気そうやね、受験生」


 一歩科学準備室に足を踏み入れた瞬間、氷柱つららのように冷たく鋭い声が自分の耳に届く。その瞬間背筋に冷や汗が走り、重心が下がった。しかし、自分にここから離れてはいけない。と心の中で言い聞かせ、椅子に座り自分を待つ声の主をにらみつけた。

 縁の細いオパール型の眼鏡。膝裏ひざうらまで届きそうな純白の白衣。その白衣にも負けない真っ白な髪の毛をうなじ辺りで縛っている色白で線の細い、科学を担当する先生。

 この人。いや、この方が正真正銘の、神様だ。

 正直、何をもって神様というのか定義するのは難しいけれど、目の前に立つ神様は到底人には出来ないであろうことをしてみせた。だから少なくとも自分と万次郎は神様だと認め、信じている。

 神様がいつからこの学校に居たのか、何故この学校に居るのか、そもそも神紙しんしとは何なのか。疑問は正直たくさん出るだろう。しかし、一つ一つ疑問に答えてくれるほど神様はやさしくない。いや、気分が乗らないというべきだろうか。

 ただ、一つだけはっきりとしていることは、この神様は人の後悔を消そうとしていて、その役割をこの学校の生徒に任せているということだ。

 本来は万次郎がその役を請け負っていた。しかし、二年前の夏を境に万次郎のすすめもあって自分がその役目を請け負うことになった。それ以来の付き合いとなるのだが、どうしても馴れないと言うか、距離を置いてしまう。


「さてさて。私の大切な生徒はいったいどんな後悔を持ってきたのかねえ」

「おれがわざわざ説明しなくたって、もう大体の事情は察しているでしょ」


 警戒の意味が込められた低い声と強い口調。

 本来は良くないことだと分かっていても、強い口調でしか話すことができないのだが、神様は寛大なのか見下しているためなのか、気にするそぶりは見せない。

 結局はどこまでも相容れない存在なのだろう。


「まあ、正直に言えば最初はいただけんねえ。とは思ったよ。実験なんかで使って良い力じゃないからねえ」

「そうですよね」


 と同意してみるが、実験をすることが仕事の一つである科学の先生を、一応やっている神様が言って良いのか? と心の中でツッコミが浮かぶ。しかし、簡単に使って良い力ではないのは確かなので今は何も言うまい。


「でも、まあ、君の表情を見れば相当な覚悟を持ってここに来たって言うことは分かるからねえ。先生としてもゴーサイン出しちゃおうかあ」


 と言うと神様は雪よりも白い掌を差し出す。自分は近づくその掌の上に自分は土居原先生から受け取っていた神紙を乗せた。


「うむ。確かに受け取ったよ」


 神様はなまめかしく一本一本指を閉じ神紙を受け取ると、椅子から立ち上がり白衣の左側の内ポケットから封筒を取り出した。神紙はその封筒の中へとしまわれ、過去へ送る手紙へと姿を変える。

 次に右ポケットから封蝋ふうろうとマッチ。そしてちょうの模様が入ったスタンプを右側の内ポケットから取り出した。

 神様はマッチで蝋に火を点けると、手紙に溶けた蝋が落ちていく。十分な量の蝋が手紙にたまると蝋の火を消し、机に置いていたスタンプを押す。柔らかな蝋は蝶の形に変わり、手紙は過去へ向かう準備を終えた。


「ほんと、よくこんだけで飛んでいくもんですね」

「あはは。まあ、人ならざる者の特権ってやつやねえ」


 神様は自分の前に手紙を差し出す。自分は失くさないようズボンのポケットに手紙をしまい込んだ。


「今日はよく晴れるみたいやねえ。絶好の投函日和とうかんびよりだ」


 まるで自分事のように喜びながら言う神様。

 だけどその内心は決して穏やかとは言えないようで、つややかなくちびるをほんの少しだけ上げ、わざとらしくこちらに向けた。


「同僚の後悔を解決してやるのも必要やと思うけど、あくまで先生は生徒の悩みを一番に解決してあげたいから、ねえ」

「分かっています」

「……よろしく」


 神様は納得してくれたのか、後ろを向くとひらひらと白い手を振ってみせた。

 対して自分は悪態でもついてから出ていこうかと思ったが、時間もないので黙って準備室を後にした。

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