夏の終わり

常盤しのぶ

8月31日 ’21

「ぅおっしゃああああ!!!! ヒットエンドラァーーーーン!!!!! ヒィーット!!!! エェーンド!!!! ルァーーーーーン!!!!!!!!」

「……なんだあれ」


 アブラゼミの声が降り注ぐ8月31日、園田タケルは中央公園にいた。

 小学生最後の夏休み、その最後の日である8月31日をどう過ごそうかを考えた。その結果、宿題でもある日記のラストを面白エピソードで埋めることにした。そのため、何か面白いネタが転がっていないかを探しに行くことにした。まず手始めに陽が昇りきらないうちに近所の中央公園まで足を運んだのだが……。


「こうか!!!! こうか!!!! これでもか!!!!!! このいやしんぼめ!!!!!!!! これが本場のヒットエンドランじゃい!!!!!!!!」


 そったらどうだ、白いワンピースを着た金髪の女性が、中央公園のど真ん中で、バットのようなものを持って、素振りしているではないか。本場のヒットエンドランってなんだよ。ランしてないし。


 タケルがしばらくの間動物園のチンパンジーを見る目を向けていると、女性がバットを振りきったタイミングで目が合った。純白の、いや、裾が微妙に砂と泥で汚れているワンピースを着た女性は足元に置いていた麦わら帽子を被る。タケルと目を合わせたままずんずんと距離を縮めていった。タケルの方はというと、まさにヘビに睨まれたカエルのようなもので、ものの見事まったく足が動かないまま30メートルほどあった距離を一気に詰められた。


「また会ったな、少年!!!!」

「は……え……?」


「私はあなたみたいな変な女性と会うのは初めてですよ」と声に出したかった。しかし、恐怖と困惑と「これ以上この女に関わりたくない」という拒絶感からまったく声を出せずにいた。


「なんだ貴様、我輩を覚えとらんのか!! 去年も会うたじゃろ!!」

「ひ、人違いでは……?」

「ありゃ、そうだったかな」


 怯えるタケルをよそに白いワンピースと麦わら帽子を被った残念な女性は彼の目の前にまで迫る。並んでみると、変な女性はタケルの頭一つ分ほど背が高い。頭は金髪だが目は黒く、全身のシルエットはワンピースで隠されているが、腕や首の露出を見るに、余計な肉はついていないように思える。黙っていれば雑誌のモデルになれそうな清潭な容姿を持ち合わせていた。中学生か、あるいは背が低めの高校生か。成人であってほしくはないなぁとタケルはなんとなく心の中で願う。


「まぁいいや。そこのお前! 私と一緒に遊ぼうぜ!!」

「なんで」

「サッカーとか?」

「いや何して遊ぶじゃなくて、なんで僕があなたと遊ぶことになってるんですか」

「そりゃだって、私は神だから」


 あ、ヤバい人だった。自分を神とか言っちゃう以前に朝っぱらから雄叫びのような叫び声を出しながら素振りしている時点でヤバいとは思っていたけど本格的にヤバい人だった。というかなんでさっきまでバット振ってたのに遊びの提案がサッカーなんだよ。タケルの脳内エマージェンシーコールが鳴り止まない。


「あ今逃げようとしたな! 目とハートを見りゃわかるんだぜこっちぁ!」

「神様を自称する人を前にしたら誰だって逃げたくもなりますよ!」

「……そりゃそうだ!!」


 ガハハと自称神は他人事のように笑い飛ばした。なんなんだこの人マジで。


「他の人に見られたら警察呼ばれますよ」

「他の人なんかこねーよ」

「え?」


 そういえば公園でこの人に出会ってから他の人と鉢合わせにならない。単にヤバい人に近づきたくないからかとも思ったが、朝とはいえもうすぐ9時になろうというのに公園の中には誰もいない。それどころか、公園に面している歩道にも誰も見当たらないのは違和感がある。そういえば、ここに来るまでに誰かとすれ違っただろうか……? タケルは思い返してみたが、一昨日の晩ごはんのメニューくらい思い出せなかった。


「お前、神様を見たことがあるかよ。ナマで」

「……そんなの」

「あるわけねぇよなぁ。当たり前だ。普通の人間は神様なんて出会えるはずがねぇのさ。誰だってそうさ。俺だってそうさ」

「……はぁ」


 言っている意味がいまひとつ理解できない。あたりは相変わらずアブラゼミの鳴き声が響いている。その中に人の声は見当たらない。しかし、不思議と孤独感は抱かずにいた。


「他の人は消えちゃったの?」

「うんにゃ、いるよ」

「え?」

「いないけど、いるの」

「え、なぞなぞ?」

「うっはははは!! なぞなぞか、いいなぁお前おもしれーこと言うな」


 笑われた。タケルの目が動物園のチンパンジーを見る目から道路で轢死したカラスを見る目に変わった。自称神様の笑い声が頭の中でこだまする。


「……疲れたんで帰ります」

「なんだよぉ今年も日記のネタ探しに来たんじゃねぇのかよぉ」

「もう十分なんで……いやなんでそれ知ってるんですか」

「そんな顔してたから」


 もうわけがわからない。タケルは1日分の体力を使い切った顔で自称神様を背にする。後ろから「じゃーなー」と気の抜けた声が聞こえる。

 公園から一歩外に出ると、先程まで聞こえなかった人々の気配がどっとなだれ込んできた。道路にも何人か人の往来がある。散歩中のお年寄り、ベビーカーを押す母親、ランニング中のお兄さん。昨日まであった人々の気配だった。タケルは安堵して思わずため息をつく。


「また明日」


 後ろから自称神の声が聞こえた。いないけどいるとか意味不明なことを言いやがって。タケルは言いようのない怒りのような感情を持って振り返った。


「……あれ」


 しかし、先程までいた白いワンピースの自称神様の姿は見えなかった。それどころか、公園の中では何人かの子供が思い思いに遊んでいる。ゴムボールを蹴ったり、縄跳びをしたり、ブランコを漕いだり、その様子は夏休み最後の公園に相応しい光景だった。相変わらずアブラゼミの鳴き声があたりを覆っていた。


 タケルは狐につままれたような感覚を持ったまま自宅に戻った。

 当初の目的は日記のネタ探しだった。『神様を自称する女と出会った』、ネタとしては最高に面白い。しかし、これを書いて提出した後、間違いなく自分がヤバい奴扱いされるのは目に見えている。そのため、ある程度編集する必要がある。


『公園に行くと、白いワンピースを着た女の人がいたので一緒にキャッチボールをして遊んだ。楽しかった。』


 見知らぬ女性とキャッチボールをする突飛さは仕方がないとした。キャッチボールもしていないし、ましてや楽しかったわけでもないが、日記としてはこれで良いかと割り切ることにした。そもそもタケル自身がこれ以上日記について考える気力を持てずにいた。


「結局あの女は何者だったのだろうか」


 ベッドに寝転がり、窓から外を見やる。そこには8月最後の青空と、ぎらぎらとした入道雲と、アブラゼミの鳴き声があるだけだった。

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