3-p02 グルーヴに乗るぬい
視線の先で千景ぬいが動いている。小さい手足を音に合わせて揺らして。踊るというほどではないダラけた姿勢だが、
──すげーノッてる……
気ままな態度にシンタローは呆れた。
さっきのモヤモヤは晴れていた。こうやって傍で反応がある方が段違いに弾きやすい。
千景はヘッドフォンをしていない。ベースの音しか聞こえてない。このシンプルなグルーヴを心地よいと感じているなら……だったらもっと聞かせたい音がある。
──オレたちの頭ン中ではなあ、もっとこう、うまく言えないけどいいんだよこの曲は。どうやったらそこに辿り着けるのか、まだわかんねーけど。
心の中で千景に語りかける。弦と指の間に、五感では捉えられないさざ波が生まれた感じがした。
ソロの技巧的なパッセージが終わると、千景ぬいが称えるように短い両腕を天に向け振り上げた。
ひずんだ余韻が消え、数拍置いてスピーカーから声。
「後半、かなり良かったな。ブロック分けて録ります?」
ディレクターの後ろでバンドメンバーがワイワイ言ってるのが聞こえる。
「いや、もう一回頭からツルっとやります」
とシンタローは告げる。
「おー。いいじゃん、ライブ感ライブ感」
とギターの中島の低い声が割り込んできた。今録っているのは彼とシンタローが作った曲だ。
「うぃー。ライブ感な」
と適当に応えながら指が勝手に次の動きを探り出していた。
***
サブルームには宇宙船でも動かすようなコンソールが鎮座している。
「途中で、何か変えた?」
ボーカルのツバサに尋ねられ、シンタローの頭に浮かんだのは千景ぬいのことだ。
「……いや。変えたという程には、なんも変えてない」
それから、
「向こうで一人でやるの、なんか寂しくね?」
なんてポロっと言ってしまって後悔した。案の定、空気が一瞬スンッっと沈んだ。シンタローの母親が死んだのを知ってからしばらくバンドメンバーはこんな感じだ。気をつかわれている。
ドラムの泉が、
「そんじゃ、次おまえ一人で録るときは、オレ向こうで見守ってやるよー」
とヘラっと笑って言った。
シンタローは、
「コーヒー買ってくる」
と開けっ放しの防音扉の向こうに出た。
「じゃあ俺も」
とツバサが付いてきて、結局他のメンバーもぞろぞろと一緒になって自販機に向かう。ぬいは来ない。小さなバッグの中に、帰りまで大人しく収まっているだろうか。
──いや、それはないな。
ぬいのふてぶてしい表情を思い出す。演奏フロアに誰もいなくなって、「ラッキー」なんて喜んでほっつき歩いてそうだ。勝手に着いてきたのは腹が立つが、さっきは救われた。千景は別に救おうとしてた訳でもないんだろうけど。
洒落た椅子と机が並んだ休憩スペースで、四人順番に紙カップコーヒーの抽出を待つ。
「今日で終わりかぁ」
泉がしみじみと言う。
「明日の朝9時ぐらいまでは、ギリ今日だ」
とツバサが真顔で狂ったことを言った。
「いやいや、朝9時まではやらねーよ。みんな帰れないの、迷惑だろ」
とシンタローが釘を刺した。
「明日からは、ライブのこと考えたい」
「おまえのバラードも、アルバム入れたかったなー」
泉が未練ありげにシンタローを見た。
「あれは……今そういう感じじゃねーだろ」
「別に、そういう感じとか決めてないけど」
と中島が静かに言ってコーヒーを啜った。彼は作曲を担当することが多い。いかついけど感性は繊細で、賢い。
「タイトル、決めた?」
なんて促されて、たじろいだ。
「まだ」
そんな話をしているとき、遠くで千景の声がした。シンタローの耳はそっちに引っ張られた。この状況で気軽に話しかけてくるような、空気読めないヌイグルミではないはず。何かあったんだろうか。
碧生の声もした。さっき姿が見えなかったが、やっぱりどこかにいたのか。だんだん近づいてくる。ここに人間がいるのに気付かずフラフラ歩いているんだろうか。
──いや、こっち来んなよ! 見つかったって、オレは何もできねえぞ!
そうこうしているうちに曲がり角の向こうから現れたのは……ぬいではなく人間二人組だった。
文化系イケオジと、シュッとした青年。
自販機からピーピーと音がして、ツバサが出来上がったコーヒーを取り出した。彼は二人組を見て、何かに気付いたようだ。自分の後にコーヒーを選んでボタンを押す様子をチラチラ眺めている。そして、
「あの、『モエカジ』の声の方ですよね」
と声をかけた。出てきたタイトルが一瞬わからず、他の3人は顔を見合わせた。ツバサは万人受けするイケメンヅラの癖に、文化的嗜好が独自路線である。
全くの余談だが略称『モエカジ』正式タイトル『燃えよ家事』は、いかつい
で。
「マイナーなのをご存知ですね」
イケオジはちょっとはにかんだ笑みを浮かべた。良い人そうだ。安心した様子でツバサも子供みたいな笑みを返す。
イケオジの隣にいたシュッとっした青年の方が、こちらの顔ぶれを見てこう言った。
「違ったらすみませんけど……『ゼミナール』の人たちですか」
「え」
暫くキョトンとしてから、
「覚えてもらえてた」
とツバサはメンバーの方を振り向いた。
「オレ、『
夜中になってるアニメのエンディングを歌った関係で、PRイベントに出演して演奏する機会があった。そのアニメのキャラの声を演じていた人だ。デビューしたてのバンドは現場によってはあまり良い扱いをされなくて傷つくこともある。アニメ関係は大抵友好的といった印象だ。
声優二人の声質は明らかに千景ぬいと碧生ぬいだけど、口調が違うからかそこまで「同じ」という感じはしなかった。
「今日、アニメの仕事ですか?」
とシンタローが尋ねた。
「いや、ゲームなんですよ」
「へ~。オレ知ってるやつかな」
ゲームに詳しい中島が話に入ってきた。
「どうだろう。女性向けっぽいけど、レコーディッド・ステラ、って聞いたことあります?」
それを聞いて、シンタローはグーグルでも見るような仕草でスマホをタップして千景ぬいにラインを送った。
「おまえの声の人がいる」
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