2-p12 宿題をするぬい

 ヒデアキの部屋にて。


碧生あおいくーん。2時間経ったよー」


 ヒデアキが指でつんつんと突っつくと、


「はっ! ゴーストかっ!?」


 碧生が飛び起きた。ヒデアキは慌てて手を引っ込めた。


「だ、大丈夫!?」

「……ああ」

「ゴーストって、ゲームのやつだ」

「ん。襲ってきたかと思った」


 碧生はまだ心拍数が上がったままのような顔をしている。そしてそれを収めようとハーっと深呼吸して、ヒデアキの手元を見た。


「ヒデアキ、勉強中か」

「うん。宿題」

「おれも宿題する。教科書見ればいいのか?」

「そう。これ」


 ヒデアキが問題の載っている場所を教えてやると碧生は、


「タブレット持ってくる」


と母の部屋の方へチョコチョコと歩いていった。


(宿題をしたいなんて、変わってるな)


とヒデアキは思った。

 レコステのゲームを始めてから知ったのだが、千景と碧生のシナリオは、碧生が超常的な能力のせいで謎の暴力組織に襲われ、日常を破壊されるところから話が始まっていた。逃亡生活で学校には行けなくなったし、これからも義務教育に縁はないという雰囲気だった。

 その「設定」を背負った碧生ぬい。

 今日ヒデアキの学校に忍び込んで、LINEで「授業受けてる」とメッセージを送ってきたのだった。




 部屋に戻ってきた碧生は、ICカードぐらいの小さいタブレットに教科書の画像を写し出して読み始めた。


「碧生くん。教科書持ってたんだ?」

「電子版があったから、買った」

「今日、授業の黒板って見えてた?」

「見えた。兄さんの虫型カメラで」

「へー! そんなのあるんだ! あとで見せて」

「宿題、終わったらな」


 碧生は小さいタブレット画面をじっと見て、手の先で何か書き入れている。


「なあ、ヒデアキ。これからも時々、カメラ持って行ってくれないか? おれ、授業見たい。映像送ってくれ」

「いいけど。碧生くん、学校、好き?」

「うん。久しぶりだった。たまに見ると、おもしろい」

「じゃあ一緒に行こうよ。カメラじゃなくって」


 そう言われると碧生は顔を上げた。

 ヒデアキを見上げてパチパチと瞬きしたあと、


「いや。家の仕事が優先だ。兄さんやアヤトの手伝いがある。フルプロもあるし。ランキングを上げたいからな」

「……フルプロ、優先順位高いんだね」

「ヒデアキは学校に集中してくれ」


 そう言って碧生はヒデアキの教科書をテシテシと叩いた。


「今は宿題に集中しろ」

「教育的指導だ」


とヒデアキはたじろいだ。




***




「チハルの息子です。

 いつもツイートを見てくださり、ありがとうございます。

 みなさんにお知らせがあります。


 母のチハルは先日、不慮の事故で永眠しました。

 母は「自分がいなくなった後もツイッターを続けてほしい」と望んでいたので、少し前から僕がぬいの写真を撮影してツイートしていました。

 8月19日が、チハル本人による最後のツイートでした。

 遅ればせながらのご連絡となり、申し訳ありませんでした。


 身勝手な話ですが正直なことを言うと、こういうお知らせはしないつもりでした。

 みなさんが、チハルがまだこの世にいると思ったままツイートを見てくださるなら、僕はその方が嬉しかったからです。

 ここでなら、母はいつまでも存在し続けることができる。そんな風に考えました。

 でも家族や母の友達とも話し合って、きちんとご挨拶しようという結論になりました。

 母の意志に従ったつもりでしたが、なりすましの形になっていたことを、今は反省しています。


 明日以降もこのアカウントにツイートを出しますが、チハル本人のものではなくなります。

 息子の僕のツイートです。

 ぬいは僕にとっても大切な友達です。

 元気で生活している様子を母に届ける気持ちで、このアカウントに写真を投稿します。


 レコステのゲーム自体はまだ始めたばかりです。シナリオがおもしろいので毎日少しずつプレイしています。

 まだなにもかも未熟ですが、もし可能であれば引き続き見守ってください。

 よろしくお願いします。」






 ツイッターにメッセージを送信し終わった。


「よし。送った」


とヒデアキは肩の荷を下ろす。

 先に送ったDMの返事も含めて、これで挨拶は完了だ。

 家にいた全員がダイニングに集まっていて、一仕事終えた気持ちで安堵の溜め息をついた。シンタローはまだ仕事から帰っておらず、ここにはいない。


「そういえば」


とヒデアキは碧生を見た。


「このまえ、佐藤かすてらさんのこと、何か言いかけたでしょ」

「? いつの話だ?」

「DMが来た日。碧生くん、言い終わる前に寝ちゃった」

「あー……そうだったな。あの人はよく、ぬいのマンガを描いてるんだ。セーヘキが似てるんだって、ナツミが言ってた。だから仲がいいみたいだ」


 紅茶を飲んでいた父が、


「お母さんは、ちっちゃいものが好きだからねえ……」


としみじみしている。


「おまえたち、似た者夫婦ってやつだな」


 千景ちかげが、ふてぶてしく胡坐あぐらをかいた姿勢でそんなことを言った。

 テーブルの上でスマホが煌々とした明るさでツイッターを映している。

 返事やリプが来たら、ヒデアキと碧生だけでは大変だからみんなで手分けして丁寧に返そうということになっている。速いと数分で何か届くだろう。ちょっと緊張する。

 画面を見下ろして碧生が言う。


「ヒデアキ。おれも、同じこと考えてた。みんながナツミのこと生きてるって思ってるんなら、ずっとその方がいいって」


 千景まで、


「実は、俺もな。ネットの中では存在し続けられるって、そう思ってた」


 なんて言ってる。

 ツイッター画面に通知1の表示が現れた。

 皆の視線がその場所を見る。

 碧生が数字をてしっと叩いて画面を切り替えた。死を悼む内容のまじめなリプライが来ている。これを書いた人も緊張しているみたいだ。

 碧生はまた小さな口を開く。


「ヒデアキがいて、よかった。ナツミをゴーストにしてしまうところだった」

「僕っていうか、高瀬先生が言ってくれたから」


とヒデアキ。


「持ち主が死んだアカウント、結構あるんだろうな。誰もそれを知らないままのやつが」


と千景。

 世界中で毎日たくさんの人が亡くなっている。

 チハルのフォロワーだって全員健在だという保証はない。

 ツイッターは家族や友達にも言わずにこっそりやっている人も多いらしい。消す者もいなくなってただ存在しているだけのアカウントは相当数ありそうだ。

 「フォロワー」の数字を構成する1つ1つのアイコンにヒデアキは思いを巡らせる。


「返事くださいっていうDMがなかったら、ほんとのこと言わなかったかも。それに鍵アカ、お父さんの気が変わってなかったら、永遠にわからないままだった」

「気が変わった、って」


 父が苦笑する。


「まあそうだね。結果的にヒデくんと逆になった」


 碧生がぽつりと言った。


「きっとこれが、運命ってやつだ」

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