2-p08 虫型超小型カメラを使うぬい

 いつのまにか残暑の日差しは和らいで蝉の声がかなり弱っていた。

 教室に入ると全員がヒデアキを見た。

 野球部のメンバー以外はほとんど、1学期の終業式以来会っていない。


「ヒデ、席、ここになったから」


とコーイチローが背中を押して彼の隣の席に連れて行った。2学期の初めに席替えがあったのだそうだ。

 江崎先生が来て朝のホームルームが始まった。

 心の中にぽかっと穴が開いたまま、夏休み前と変わらない日常が続いていく。






 学校全体で体育祭の準備が進んでいる。

 1時間目に体育のある1年生たちが校庭に出て、楽しそうな笑い声を響かせていた。

 ヒデアキは教室の後ろのロッカーに授業の道具を収めに行って席に戻りかけ、「ん?」と振り返った。

 今……視界の端に……おかしなものが見えた気がする。

 違和感の正体を探してキョロキョロと見回す。

 そしてある場所に視点を留め、驚愕した。

 BGMを付けるとすればヒッチコックの「サイコ」の殺人の曲だ。バイオリンが「キッ!キッ!キッ!キッ!」って鳴るやつ。

 掃除用具入れの上の暗い陰の中から、小さなシルエットがこちらを見下ろしている。

 千景ちかげ碧生あおいだ。


 (なんでいるの───っ!?)


 思わず叫びそうになったが、ぬいが二人揃って「しー」というポーズをしたのでギリギリで声は出さなかった。


「どしたの?」


 コーイチローが掃除用具入れの方を見た。

 その視界を塞ぐようにヒデアキは手を振った。


「わーーー! なんでもない! あっそうだ昨日おもしろい動画見つけたんだよ見てみて!」


 素早くスマホを取り出してコーイチローの注意を引く。


「いや見ない。あの上になんか隠してるだろ」

「何もないってぇ!」


 コーイチローの目を掌で塞いでいると折よくチャイムが鳴って、


「席つけ~」


と数学の先生が入ってきた。

 周りがバタバタしている中でヒデアキは慌ててLINEの「ぬいひで」のグループにメッセージを送る。

「見つかったから、移動して」「でも教室から出ないで」

すると千景から「えー?」という変な顔のスタンプが返ってきた。




***




 ぬいたちはしばらく、掃除用具入れの上から授業の様子を見守った。

 移動しろと言われても快適に身を隠せそうな場所は限られている。

 教室の後ろのロッカーに潜り込むのがいいだろう。作り付けで扉なしの木製ロッカー。日本全国の教室によくあるアレだ。


(せっかく見やすい場所、確保したってのに。なあ?)


と千景は残念に思いながら、心の中で碧生に呼びかけた。


(でもここ、埃っぽい。帰ったらタオルを洗濯しよう)


と碧生。洗い易いぬい服を選んで着てきてよかった、と考えている。

 千景が音をたてないようにアタッシュケースを開けた。

 中には小さな道具が几帳面に収納されている。そのうちの1つをそっと手に取る。

 小さな虫の形をした超小型カメラだ。これならもし見られたとしても、手の届かない高い場所を飛ばして逃がしてしまえばいい。

 先生が黒板を書いている隙に虫型カメラは千景の手から音もなく飛び立ち、操作に従ってロッカーの辺りを巡る。捉える景色は千景の手元のスマホに転送されていた。


(ヒデアキのロッカーは……)


 縁に名前を書いたシールが貼ってあるから、探すのは簡単だった。


(これか。潜り込む隙間はあるな)


 目標地点を定めると、


(碧生。あのセンセが長いの書き始めたら、移動するぞ)

(わかった)


 先生が黒板の方を向いた。

 複雑な数式を書いている間に、2つの空飛ぶタオルが1枚に1体ずつのぬいを乗せたまま掃除用具入れを離れて降下し、ロッカーの中にすっと入って行った。




***




 数学の授業が終わって、ヒデアキは掃除用具入れを見た。

 コーイチローに何か言われないように、あくまでコッソリちらっと。

 ぬいがいるか、いないか……

 奥まった部分は見えないからわからない。

 LINEを開くと、千景から「ロッカーにいる」というメッセージと「ひま」という変な顔のスタンプが来ていた。

 碧生は「おれは授業受けてるからあんまりひまじゃない」だそうだ。

 「よかった」「そこに隠れてて」「帰りはリュック入っていいから」とヒデアキ。

 「昼寝する」と千景から応答があって、不貞寝みたいなスタンプが追加で送られてきた。


 コーイチローが掃除用具入れに近づき、「よっ」と声を出して横のロッカーに登っている。


「コーちゃん、じゃなかった、コウ何してんの」

「いや、さっきの続き」

「……」


 気になる場所を確かめようとしている。

 忘れてくれと願っていたが、覚えていたか。

 コーイチローが掃除用具入れの方に気を取られているから、ヒデアキはロッカーを覗いた。

 水彩道具入れと体操服入れの間、人間の視点からはほぼ見えない奥の方に空飛ぶタオルのテクスチャーが見てとれた。

 あの陰に隠れているんだろう。

 コーイチローが、


「なーんか動いた気がしたけどなあ」


と掃除用具入れから離れようとしている。

 他の生徒が「えっなに? ホラー?」と声をかけている。

 ヒデアキはロッカーに物を入れ終わったフリをして立ち上がった。

 LINEに「スマホが光るからタオルでガードしてる」と碧生からメッセージが来ていた。

 碧生のように大人しく授業を受けて過ごすんだったら、毎日連れてきてもいいのだが。




***




 一方、こちらはロッカーの中。

 授業が終わると辺りが急に騒がしくなった。

 虫型のカメラを窓のサッシに置いたので、ヒデアキがコーイチローや別のクラスメイトと話しているのを見ることができる。


「とりあえず、大丈夫そうだな」


と千景がロッカーの奥の方でコソコソと碧生に言う。


「うん」


と頷いて碧生もホッとしていた。

 出がけには「学校は怖い所だよ」なんて言ってたけど。

 居心地のよさそうな学校で、良かった。

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