2-p06 育児マンガを読むぬい

 チハル作のマンガのタイトルは「育児よんこま」。

 アンソロの趣旨に従って、千景ちかげ碧生あおいを話のメインに据えた二次創作パロディーマンガだ。

 ヒデアキが想像してたキラキラしたのとは違って、頭身低めのゆるキャラっぽいたたずまいの4コママンガだった。

 キャラ以外の小物や背景なんかは最低限しか描いていない。


 マンガの中では碧生原型と千景原型が平和に暮らしている。

 そこに千景ぬいと碧生ぬいも同居しているという賑やかな舞台設定である。


 「実験に失敗して、ガキんちょが召喚されちまった」と、千景と千景ぬいが何の前触れもなく告げるコマから話は始まる。

 ガキんちょというのは、小学生の千景と1歳に満たないアカチャンの碧生だ。


 くして過去の自分の世話を焼くはめになった千景と碧生の家に、レコステキャラの小さい双子が乱入してきたり、謎の富豪が来たり、謎の筋肉自慢が来たり、殺し屋が来たり、猫……じゃなかった、白虎のアカチャンのわたあめが来たり。

 「レコステ」の多様なキャラを交えて、しょーもない会話がわいわい続く。


 アカチャン碧生は喋れないけど、このヘンテコな状況の中で兄を「ち」と呼ぶことを覚える。

 皆が入れ替わり立ち代わり「ちかげ」と呼んだせいだ。

 アカチャンが「名前」という概念の使い方を取得した、感動の一瞬。

 ……だが小学生サイズの千景の他に、成人千景と千景ぬいも「俺も千景だが?」と主張して、呼ばれると3人揃って反応する。

 アカチャンは可愛い。

 みんなアカチャンが大好き。


 その可愛いアカチャンを喜ばせようと「照準さえ合わせれば30メートル先まで確実に命中するふわふわボールバズーカ」とか「破裂すると権利的にはっきりとは言えない世界的人気キャラをかたどったカラフルな煙が出る爆弾」とか「『はじめてのくらっきんぐ』の布絵本」とか、様子のおかしいオモチャが主に千景と千景ぬいの手によって生み出される。

 しかし興味を示したのはアカチャン碧生でなく小学生千景、のちの超常武器発明家である。


 碧生と碧生ぬいは比較的まともな対応で、秘伝の鶏天を揚げて小学生千景にお子様ランチを作ってあげた。

 碧生ぬいはアカチャンにミルクを飲ませようとして、哺乳瓶でなく自分の方を体ごと掴まれていた。


 最後はレコステ世界の偉いオジサンが来て、タイムマシン的なシステムを使って子供たちを元の時間に安全に送り届ける。


 アカチャン碧生は元の時間軸に帰ると、成人千景によく似たパパを「ち」と呼んだ。

 「父って呼んだぞ!」と拳を振り上げて歓喜するパパ(千景似)に向かって「アカチャンは父とは呼ばないでしょ」「舌打ちされただけじゃないの」と無情な母子のリアクションがオチなのかなんなのかよくわからないけど、子どもは可愛いからヨシ!

 ……みたいな内容だった。






 ヒデアキがそれを読んでいると千景が入ってきた。


「まだ起きてたの」


 てっきり、母の部屋で眠っているものだと思っていた。

 千景もスマホを持っていた。


「それはこっちのセリフだ」

「DMが気になって、目が覚めた」

「ナツミのマンガが届いてたな」

「僕も今、ちょうど見てた」


 ヒデアキは再びスマホに目線を落した。千景が腕に乗って覗き込んでくる。

 マンガの後には短い「あとがき」とぬい兄弟のイラストがあって、色んなアプリやWEBサービスの名前と、「画力はアカチャンですが科学の力を借りてOKとのことだったので勇気を出して参加しました。下書き以降ほぼ全部AI製です」という文言が添えてあった。


「科学の力、だって。AIこんなに長いの描いてくれるんだ?」

「いや、話作るのは自力だろ。所々AIからネタ貰ったかもしれないけどな。それにこれ、かなり複雑に組み合わせて調整しないと、こういう風には仕上がらねえぞ。結果的にほぼ自力の根性でやってる」

「ふーん。じゃあ結局は結構人力ってことか。DMの人、かなり褒めてたねえ」

「仲間内の評価は、複合的に色んな要素があるからな」


 ちょっとシビアなことを言ったあと千景は、


「わたあめパン、案外伸びてたぞ」


と1つ前のツイートの話をした。


「そうそう、それも見た。4枚撮って4コママンガみたいにするのが良いみたいだ」


 今まで1枚ずつしかツイートしなかったが、色々研究してストーリーを持たせる工夫をしてみたのだった。母のマンガが4コマの手法だったのは偶然の一致だ。

 ヒデアキ自身がレコステのゲームに触れるようになってわかってきたのは、母の写真は時おり1枚でも細部まで相当に見どころがあった。ゲームの新情報に合わせたアイテムとか状況設定が、ミニチュアを用いて画面の隅っこまで丁寧に演出されていた。だから「ファン」が多かった。

 今からすぐそれと同じことをしようとするのは、道具は揃っていてもハードルが高い。

 あれは長年かけて磨き上げられたオタクセンスの賜物なのだ。


「今日は……いや、もう昨日か。何も撮らなかったんだな」


と千景。


「碧生君寝ちゃったから、明日……っていうか今日の夜にする」


 夜中のこの時間は日付の意識が曖昧だ。

 千景もヒデアキもなんとなく、「昨日」「今日」「明日」の間で浮遊しているような気分だ。





***





 千景を肩に乗せてベランダに出た。

 空気の中にはほんのりと、人や車や電車の動きが漂っていた。この時間帯だから多分今のが終電だろう。

 しばらくするとひととき静かになる。

 鈴が風に吹かれ続けるような虫たちの鳴き声だけがしんみりと残っていた。小さな生き物の声なのに、マンションの上の方でもよく聞こえる。

 「鈴」は神様に呼びかけるための道具だと聞いたことがある。宇宙まで聞こえているのかもしれない、なんて想像する。

 家の中から微かにシンタローのギターの気配がしていた。隣の部屋では父がまだキーボードを叩いているだろう。別の部屋では布団の中にいる碧生の音のない眠り。

 たくさんの家が連なる。その鍵の内側は見えないけど、強いような儚いような無数の命がさざめいている。

 ツイッターを開いた。

 「佐藤かすてら」さんは自分が描いたイラストやマンガを時々ツイートしていた。ヒデアキの想像通りのキラキライケメンの絵柄で、言葉選びが楽しくてちょっとヒリッとするような綺麗なストーリーがあった。きっと感情の細やかな人なんだろう。

 プロフィールには鍵マークとツイッターIDの記載がある。そこがかすてらさんの鍵付きアカウント。チハルとは相互フォローだから鍵は開いた状態。

 DMに文字を入力する。


 「ご連絡ありがとうございました。

  チハルの息子です。

  母は 」


 そこまで書いて止まってしまった。

 先生が言った「皆心安らかに過ごせる道」なんて、多分もう、ない。

 ツイッターの中では、お母さんは生きている。

 ヒデアキの見ている世界の中にはもう、お母さんは生きてない。

 コチラの世界の方が本当ですよ、と伝えてしまったら、その時……











【9月8日】


「ヒデアキ! 起きろ! メシが冷めるぞ!」


 聞きなれたイケボが低い所から響いてくる。


「んぇ?」


 目を開けると手のりサイズの数十グラムの体がぴょんっと跳ね上がった。

 ぽこぽこぽこぽこ……


「うわっ!? 待って待ってもう起きてる!」


 2つのぬいぐるみに連続キックを食らわされて、ヒデアキは慌てて飛び起きた。


「朝飯、お前の好きなすきやき丼だぞ」


と碧生が澄ました顔で促して、


「ん? なんかダジャレみたいになった」


と不本意そうに顔を顰め口元に手をあてた。

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