p07 エアコンで涼むぬい
こんな長い時間、ヒデアキが出かけたのは久しぶりだった。
マンションに帰り着くと父はまだ出かけていて家は無人だった。鍵を開けて、
「ただいまぁ」
廊下の向こうに向かって呼びかけると後から家に入ったシンタローがなぜか、
「うーい」
と答えている。
誰もいなくてもつい「ただいま」が口に出てしまう。今までも一人でこうして呼びかけたことは何度もあった。なにげない独り言のつもりだったが、ぬいたちは母の部屋でヒデアキの声を聞いていたのかもしれない。そうとわかると少し恥ずかしい。
そのぬいたちは待ちかねたように、ヒデアキのリュックからピョコピョコと出てきた。
「ふー。久しぶりに電車乗ったなー」
清々した口ぶりの
「あっちー! エアコンエアコン!」
とシンタローがクッションの入った袋をそのへんに置いて自分の部屋を冷やしに行った。
ヒデアキはクッションの袋を引き取って母の部屋に行った。機械がいっぱいあって、エアコンの「エコモード」を常時ONにして暑すぎにならないようにしている。外から帰ったばかりの体には充分涼しい場所だ。
「あー……なんか疲れた」
リュックを降ろして、ヒデアキはエアコンの温度設定を少し下げた。
パソコンチェアに座ると心地よい風が胸元に流れてくる。
「涼しい〜」
思う存分涼んでいるとぬいたちも隣の机に登って、風の当たる場所で気持ちよさそうに目を細めている。
「リュックの中にいるの、暑かった?」
「いや、俺たちはぬいだからな。でもエアコンは好きだぜ」
「風通しがいい方がスッキリする」
「いい収穫だったな」
と千景も満足そうだ。
ひとしきり涼むと、碧生はブルーのフェルトのグローブを取り出した。手に付けて、それにちょうど合うサイズの小さなボールで遊んでいる。表情はジト目のままだけどキラキラと輝くエフェクトでも出ていそうだった。
明日は部活に行こう、とヒデアキは考えた。今日だってそれなりに元気だったけど、部活が休みの日だから行けなかったのだ。
それから碧生の真似をして、自分のリュックから収穫物を出した。
「色々買ったなあ」
先着特典のポスターも折れないように大事に抱えてきた。
部屋の片隅には同じような“レコステ”のグッズを並べた棚がある。
「お母さん、行けなくて残念だったね……」
思わず声に出すとやっぱり少し寂しくなってしまう。
それにちょっとだけ……本当にちょっとだけなんだけど、このままずっといないままだったら……、なんて考えて少し怖くなった。
「写真、転送してくれ」
と碧生がヒデアキのスマホをてしてしと叩く。
「俺にも送ってくれ」
と千景が自分のスマホを出した。
「するする。ちょっと待ってて。加工するから」
「加工前のでいい。全部ほしいな。ツイートはあとでいいぞ」
と碧生。
「そうなの?」
てっきり「早くツイートしよう」って言うと思っていた。
「ネットでベンキョーしたんだ。夜7時過ぎた方が多く見てもらえる。それか、朝7時ぐらいか昼の12時直前」
「確かに、今は大人はまだ働いてる時間か」
ヒデアキは納得して、まずは加工だけしようと写真アプリを編集モードにした。
碧生が空飛ぶタオルに乗って興味深げに覗いてくる。千景は、
「じゃ、俺はちょっと集中するから」
と小さなパソコンを置いてあるスペースに座った。傍に置かれているぬいサイズのキーボードをニンゲン用の小型PCに接続し、プログラムらしき文字列を打ち込み始めている。
主のいない部屋で、めいめいの時間が過ぎていった。
***
夜7時。ダイニングにて。
「じゃあこれで、送信するよ?」
ヒデアキは傍の碧生に確認した。できる限り良い写真を選んで加工した。期待のまなざしを向けられて緊張する。
「ん」
と頷いて碧生が、送信ボタンの上にあったヒデアキの指をてしっと押した。
「あっ」
とヒデアキが小さく叫んだときにはもう、タイムラインにツイートが現れてしまっていた。
カフェで作った「祭壇」、ぬい撮りスポットで遊ぶ千景ぬいと碧生ぬいの写真。ガチャガチャのカプセルを開けてやった千景と、好きな色のグローブを当てて嬉しい碧生。
ファンはみんな同じ場所で写真を撮っていたからそんなに珍しくない……という理由でヒデアキは「いいね」を多くもらう自信はそこまでなかったけど、ハートの横の数字は順調に増えていく。もともとぬい撮りで人気が出たアカウントだから期待に応える使命を果たせたみたいでヒデアキはほっとした。
すぐ横で、昼寝を終えたシンタローがチャーハンを食べていた。ヒデアキと碧生が作ったものだ。別に映えはしないが、
「これ、家で作ったにしては、うめーな」
と評している。
そのあと、タクシーを呼んでラジオの仕事に行ってしまった。
「12時前には寝ろよ」
と言い置いて。
ヒデアキと碧生はキッチンの片付けの合間に一緒にツイッターを見て、片付けが終わってヒデアキは風呂に入って、そのあと部屋でゴロゴロしながらやっぱり一緒にツイッターを見ていた。それぞれ、自分のスマホで。
ヒデアキのLINEが鳴って、父がもうすぐ帰り着くようだった。22時少し前。予想より少し早い。
碧生はリツイートした人のコメントまで入念にチェックしていた。
「いのちが宿ってる、って言われた」
ぬいのデフォルトの無表情だけどちょっと頬を紅潮させて喜んでいる。表情はあまり変わらないのに碧生の気持ちは汲み取りやすい。
「碧生くんは、自分のツイッターはしないの?」
「自分の?」
「お母さんの代わりにじゃなくって、自分の気持ちを書くとか」
うーん、と虚空に視線を巡らせてから、彼は言う。
「それは興味ない。おれの気持ちを知ってほしいやつには直接言ってるから。ナツミのツイッターだから、やりたいと思った。毎日続けてないとみんな忘れるだろ」
「そんなすぐに、忘れるかな」
「多分。ニンゲンの愛情なんて結構儚い」
その言葉がなんだか注射針みたいに心に痛くて、ヒデアキは一瞬言葉に詰まり、
「そんなことないよ」
と呟くように返す。
「でも、いいんだ」
と碧生はなんでもないように言う。
「ツイッターのやつらが、写真見て一瞬楽しいこと考えてくれるなら。そんなずっと覚えてなくてもいい。ただ、ナツミのツイッターのことは忘れてほしくない。ここに来ればちょっと楽しいって、ずっと覚えててほしい。だからおれが続けたいって思った……ナツミが帰ってくるまで」
「……碧生くんにとっても、お母さんは、お母さん?」
「いや、親は別にいるし、なんだろうな。友だちみたいなもんか」
碧生はふっと目を伏せて俯いた。
「おれたちはぬいだ。ニンゲンを幸せにするために生きてる。みんな、しあわせに、いきてて、ほし……」
そうして少しだけ微笑んで、パタリと倒れてしまった。
「!? 碧生くん、大丈夫?」
返事がない。
異変を感じてそっと抱え上げると瞼が閉じている。普通のぬいぐるみと同じような顔になって全然動かない。
「碧生くん」
呼んでも反応はなかった。
まさか……
これって、もしかして、もう……
「命」がなくなってしまって、二度と喋らないなんて……ないよね?
「碧生くん! ねえ! どうしたの!」
千景くんは!?
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