p06 ぬい撮りスポットのぬい

「なるほど、紫藤しとう君が撮ってたんだね。なんか雰囲気違うと思った」


と先生。昨日のパフェとフルーツサンドの写真の話である。一応、母の写真を参考に投稿したけどやっぱりバレてしまった。

 ヒデアキの前には碧生あおいもぬい不在の写真を投稿している。フォロワーたちは何かの謎掛けかと頭を悩ませていた、と先生の報告。ヒデアキは、


「母が戻ってきたら、ツイッターの人にもちゃんと説明してもらいます。それまで秘密にしてもらっていいですか?」


とちょっと襟を正して尋ねた。息子が撮った写真だとわかったって大騒ぎになることはないだろうが、ツイッターでの振る舞いには慣れていない。何も言わなくていいならその方が助かる。


「そりゃまあ、言いふらす意味もないからねえ」


と先生。それから、


「荷物見とくから、ぬい撮りスポット行ってきな」

「先生は?」

「後でいいよ。リプ返したりしてるから。壁のイラストも撮らなきゃだし。そだ、アオちゃんが野球好きなの知ってる?」


 ヒデアキは野球部に在籍している。


「いや、知らなかったです」


と碧生を見た。碧生も目線だけ動かしてヒデアキを見上げた。言われてみればやけに完成されたフォームでアメを剛速球で投げていた。といってもぬいの小さな手足ではあるが。


「紫藤君と一緒だ」


と先生は笑顔を見せた。

 ヒデアキの掌の中でぬいたちは早くもモゾモゾと動き始めている。

 千景ちかげ碧生あおいの部屋だという説明パネルの付いた小さな部屋の撮影用セットに2人を降ろすと、


「おっ。この工具セット、ボッシュのやつじゃねえか。よくできてンなー」


 千景は間髪入れずにミニチュアの小物を手に取っている。ドイツの有名メーカーの道具を忠実に小さくした人気シリーズだ。

 碧生は部屋の隅にまっしぐらに向かって行った。口には出さないが、ぬいサイズの小さな野球道具がずっと気になっていたようだ。フェルトの青いグローブを手にはめて瞳をキュピーン!と輝かせている。マンガだったら雲のフキダシに「ほしい」という文字が浮かびそうな佇まいだ。

 ぬいたちは大喜びしているがヒデアキは困って、


「あんまり動かないでよ」


と念を送っていた。


「どうせ誰も見てねえだろ」

「これほしい」


という念が返ってきた。碧生に至っては小さなバットをピュッピュと振り回している。まるで「ちゅーる」を前にしたネコチャンのような興奮状態だ。ヒデアキは慌てた。


「こっち来る人がいる……!」


 ニンゲンの気配を察してぬいたちはスンッと静かになった。その人たちはヒデアキたちの横を通り過ぎて別の撮影セットの方に行った。ぬいたちは自分の「家」からちょっと顔を出してニンゲンの様子を窺っている。

 シンタローはカメラを構えたまま微動だにしない。動画を撮っているのだった。


「おもしれ〜。TikTokにアップしよ」

「!? 動くってバレちゃいけないんじゃないの!?」


 ヒデアキはぬいと兄の姿の間に視線を彷徨わせた。






 可愛い写真を撮ってテーブルに戻ってまじめにぬいぐるみらしく動かずにいる碧生が、切手ぐらいのスマホを密かにタップしてヒデアキにメッセージを送ってきた。


「さっきの野球のミニチュア、ガチャコーナーにある」


 リンクを開くとガチャコーナーの地図と写真が出てきた。帰りに寄ってほしい、ということのようだ。

 ぬい撮りコーナーは交代して先生が写真を撮っている。


「シンくん今日仕事何時から?」

「22時入り。帰ったらちょい寝るわ」


 週に1度、バンドメンバー揃って夜のラジオを生放送している。

 念入りな撮影を終えて先生が戻ってきた。

 コラボカフェには時間制限があって、平日だけどもうあと10分ぐらいで席を立たなければならない。


「これ。チハルさん……お母さんに渡して」


 先生が封筒を差し出した。


「約束してたんだよ。別のイベントのグッズ。それからこれも」


 今日の予約特典のコースター。母の一番の推しが千景で、先生の一番の推しが碧生ということで1枚ずつ持っていたのだけど、


「やっぱり兄弟一緒にいた方がいいから」


だそうだ。


「これ、今日貰わないと一生手に入らないんですよね?」


 ヒデアキは断ろうとしたけど、


「でも離れちゃうのは可哀想だよ」


 それから先生はふっとマジメな顔になった。


「先生はチハルさんのファンだよ。早く帰ってきてほしい」


 そして大量のグッズと伝票を持って立ち上がった。


「じゃあ行こっか。お金は、いいから」

「あ、いや、お金預かってきたから大丈夫です」


 って言っても、千景のお金だけど。

 ヒデアキが財布を出そうとするのを、


「だめ。払わないで。口止め料」


と先生が止めた。


「口止めなんてしなくても、何も言わないです」

「タカセンがオタクなことなんてみんな知ってんだろ」


 シンタローが横から伝票をかっさらった。


「昔ジュースとか奢ってもらった分、出世払い」

「し、紫藤しとう君……」


 ちょっといい話になりかけたのに、


「キミ、全然出世してないでしょ。100万年早いわ」

「あっ!」


 伝票はあえなく高瀬先生の手元に取り返された。


「店員さん! このカードで早く支払いをっ!」

「わかりましたどうぞ」

 がちゃっ ピッピッピッピッ


 ものすごい速さで会計処理が行われている。


「くそっ素早いな!」

「おっほっほっほっ。調子に乗るのはせめてMステぐらい出てからにしなさい。ちなみに先生がそのとき行きたいのは、ミシュランに載ってるお寿司屋さんです」

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