p04 コラボカフェに行くぬい

【8月29日】


 次の日の朝。

 父が「取材」に出て行き、ヒデアキはシンタローが目を覚ます前に出かけようとしていた。なのに玄関で靴を履いていたら見つかってしまった。


「ヒデアキ、どこ行くんだ」


 数日引きこもって飯を食うのもままならなかった弟が、お出かけ用の服を着てリュックを持っている。それがシンタローにはかなり訝しく映ったらしい。


「池袋」


とヒデアキは素直に答えた。嘘をつくのは全然得意じゃない。


「池袋ぉ? 一人で?」

「……うん」

「なにしに」

「買い物」

「ちょっと待ってろ。オレも行く」

「いいよ、一人で行くから」

「また具合悪くなるかもしれないだろ」


 この前野球部の練習で倒れたとき、迎えに来てくれたのはシンタローだった。


「でも、会う人、いるから」

「は? 待ち合わせ? カノジョか?」

「違うよ、そんなのいないし!」

「いろよ。お前もう中2だろ」

「僕、シンくんみたいじゃないし」

「じゃあ何。友達? 呼び出された? お前ぽやっとしてるから、兄ちゃん心配だわー」


 2人であーだこーだ言い合っていると、


「お前、随分過保護だな」


 ヒデアキのリュックから千景ちかげがにゅっと顔を出した。そのまま抜け出してヒデアキの肩のあたりに立つ。


「相手のことは俺が探りを入れた。危険なニンゲンじゃねえから安心しろ」

「!?」


 シンタローは目を点にして千景ちかげの手のひらサイズの体に手を伸ばした。


「なんだこれ? 母さんのオモチャ?」

「オモチャじゃねえ!」


 千景ちかげが音速で袋入りのアメを投げた。ついでに碧生あおいも出てきて真似して投げた。

  てしっ てしっ


「いてっ!」


 シンタローが怯んだ隙に、


「行くぞヒデアキ! 相手がヤバいキモオタだったとしても、俺たちがどうにかしてやる」

「シンくんゴメン、行ってきます!」

「ちょっっっと待て!」


 腕を掴まれて振り向くと、シンタローは珍しくものすごい怖い顔をしていた。


「オレも行く、っつってんだろ」



***



 問題のコラボカフェの周りには、ヒデアキと同じように待ち合わせをしていると思しき女子が大勢たむろしていた。

 そこから少し離れた別のカフェの前で、ヒデアキは待ち合わせの相手「モブモブ」を待つことにした。

 これこれこういう訳で……、と弟の懸命な説明を受けるとシンタローは遠い目をした。


「……弟よ。兄ちゃんはおまえに言いたいことがある」

「なんでしょうか」


 兄が怒っているのがわかるのでヒデアキは恐縮していた。


「ツイッターで知り合った知らない人に付いていっちゃいけません、って保育園入る前ぐらいに習わなかったか」

「それ、お母さんに言ってよ」


 DMによると母とそのネットの友達は今回初めて会うらしかった。

 ヒデアキの手元のビニールのぬいポーチの中から、


「今どき珍しくもねえだろ。お前は旧石器時代人か」


千景ちかげが悪態をついている。リュックの中じゃ退屈かも、と思って出してあげたのだった。


「ぬいぐるみは黙ってろ。捻り潰すぞ」


とシンタローが大人げなく言い返した。

 約束の時間の数分前にモブモブさんから「着きました!」とDMが来た。ちょっと離れた場所にいる女性がその人であるらしい。

 想像していたより年上できれいな人だ。

 でも、うちの学校にこんな先生いたっけ?

 ヒデアキは首を傾げた。

 とにかく声をかけなきゃいけない。でもただただ緊張してどうしていいかわからないヒデアキの隣で、


「んあ?」


とシンタローが目を見開いた。


「タカセン、久しぶり! 何してんの?」

紫藤しとう君っ!?」

「あ、高瀬たかせ先生だ」


 一瞬誰かわからなかった。女優みたいに念入りに化粧して目力がいつもより50%は増量されている。髪をふわふわに巻いて大きなピアスを付けていて、服装は鮮やかな青のレースのワンピース、足元はハイヒールのサンダル。手首を大きなシュシュがブレスレットみたいに華やかに飾っている。


「え? モブモブさんって高瀬先生?」


 ヒデアキが言うと先生はめちゃめちゃ動揺した。


「なななななななんで? どゆこと? チハルさんって紫藤しとう君だったの? え? でも中学生だよね? あれ? お兄ちゃんの方?」

「母が来れなくなったから、代わりに来ました」


 シンタローとヒデアキは8歳離れているけど、同じ私立の中高一貫校で先生も転勤がない。6年間毎日のように顔を合わせていたシンタローの方が、高瀬先生とはむしろ馴染みのある間柄だった。


「お母さん……」


 先生の表情が曇る。行方不明になっていることは教師の間で情報共有されているみたいだった。

 気づかわしげな空気を突き破って、


「いや~、化粧ってこえーわー」


とシンタローが失礼なことを言った。忙しい高瀬先生は普段はほぼスッピンで素朴な印象。でも元々整った顔立ちだ。


「グッズとか欲しいから、一緒に入ってもいいですか?」


 ヒデアキが言うと、


「グッズね、そうだよね、予約特典貰わなきゃいけないし……」


 先生はゴニョゴニョと長い独りごとを言っている。シンタローが、


「じゃ、オレそのへんにいるから、終わったらLINEくれ」


とヒデアキに告げてどこかに行こうとした。


「待ちなさい」


 高瀬先生がシンタローの肩をがしっと掴んだ。


「中学生の教え子とデート……じゃなかった、2人きりはダメでしょ。先生、懲戒免職になっちゃうよ~」

「大丈夫。親子にしかみえないっす」

「あっはいサーセン」


 先生は一瞬無の表情になったが、


「いいから、来なさい!」


 教育者の貫禄でかつての教え子を数メートル先のカフェの入り口に引きずって行った。そして店員さんをつかまえて、


「すみません、1人増えてもいいです? 私、丸椅子でお誕生日席でいいんで~」


と頼み込んでいた。






 席について、ビニールポーチのぬい入れから千景ちかげ碧生あおいを出してやった。碧生は小さなリュックを背負っている。ヒデアキは2人にお揃いのネコミミの麦わら帽を被せた。千景は嫌そうだったが「おでかけ」の演出の一環だ。えのために協力してもらう。


「あ~~~ッ! チカちゃん”アオちゃん”っ! ネコミミお帽子! か”わ”い”い”! ぬ”い”ち”ゃん”か”わ”い”い”い”い”ぃ”ぃ”────!!!」


 高瀬先生の突然の奇声に男2人はビクッと身を竦ませた。

 千景ちかげ碧生あおいはぬいらしくスンっとしたままだ。


「先生、ぬいが好きなんですか?」

「だって推しのぬいだよー? ぬいちゃんもメニュー選びまちゅでちゅかね~~~よちよち♡ 鶏天とりてんありまちゅよ~ンフー♡」

「……」


 先生が壊れた。

 ぬいを撫でながら赤ちゃん語になった美女モードの高瀬先生を前にして、教え子たちは声ひとつ出せずにいた。

 一応補足しておくと、鶏天とりてんは九州の方のローカルフードで千景ちかげ碧生あおいの出身地にちなんだメニューらしい。

 テンションに付いていけないヒデアキがおそるおそる辺りを見回すと、大体どこも似たり寄ったりの光景だ。ここはそういう特異空間なんだろう。だったら先生が大騒ぎしても咎める必要もないか……。ヒデアキもシンタローもここのルールを受け入れることにした。

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