日曜日
持っているのは、鍵一本だけ。私は当てもなく、ただ知らない道を歩いていた。知らないとは言っても地元だから、ある程度自分がどこにいるかは把握している。歩くたびに次第に額に汗がにじむが、私は汗を拭きもしなかった。
昭和の匂いが残る理髪店、初めて見た氷屋さん、動かない信号機、自分の住んでいた場所にこんな場所があるとは思いもしなかった。辺りを見渡すと人はほとんど見かけない、鼓動が早くなる。歩き続けて気がついた。ここはどこだ。土地勘があったとしても完全に迷ってしまったのか。
「にゃぁお」
後ろを振り返ると、一匹の白猫がいた。水色とオレンジ色のオッドアイ。綺麗な毛並みと相まったそれは一種の化学反応を起こしていた。その場から動けずにいると、私の足に体をこすりつけてきた。く、くすぐったい。や、やめろ、変な声が出そうだった。
「みゃぁ」
今度は前方から別の猫の声が聞こえた。一般的な三毛猫で、お世辞にもあまりかわいいとは言えない風貌だ。恐らく年長者なのだろう、そんな雰囲気があった。足元を見ると、その声を聞いた白猫は三毛猫の元へ向かっていた。
「あ、待ってよ」
私はあまり二匹を刺激しないように、ゆっくりとその後を追いかけた。二匹は私がついてくることは、全く気にしていないみたいだった。観察していると三毛猫の歩く足は速く、白猫が遅い。たまに三毛猫が歩くペースを落としているが、それでも白猫はついてくるのに必死だった。体も一回り小さいし、まだ成長途中なのだろう。かわいいなぁ、持って帰りたいよ。
今日カメラを持っていないのには理由があった。私はカメラで写真を撮るのが好き。けれども、カメラマンの茅原佳那は月曜から金曜日までで、土日は何も考えないポンコツ茅原佳那が出勤してくるのだ。ただの休息期間だけれど、不思議と縁のある出会いが多くなる。だって、カメラ越しで覗く景色はどうしても狭くなってしまう。手放してしまえば、自ずと視界は広くなるためだと、私は結論付けていた。それから休みをもらうようになった。使うメモリ制限も同じで、一枚一枚を大切に撮れるようになりたかったんだ。
生い茂った草の間、混凝土の階段を二匹は登る。それなりの段数だった。途中で緩やかな坂にもなった。登り切った先、近所にある神社さんの裏手は木々の擦れる音しか聞こえない。二匹は横倒しになったドラム缶の奥に入る。恐る恐る覗くとそこは他にも猫がいた。なるほどなるほど、ご帰宅ですか。私はそばにあったベンチに座る。
「どうして君たちは私をここに案内したのかな。案内した気持ちすら無いのかな。ねぇ聞いてる?」
猫が返事するわけもなし。日が傾き始めたのもあって、帰ることにした。
「じゃあ、元気でね」
私はその場を去ろうとした。
「みぃやあ」
声が―あ、返事された。ほころぶ顔を抑え、私は神社に通ずる階段を降りていった。
「ただいま」
返事をする人はもういない。うがい手洗いの音が部屋に響き、拭ききっていない手で、雑誌をとる。夕飯にはまだ早い。雑誌を数冊読むとちょうどいいだろう。時間になったらご飯を食べる。本を読む。布団で寝る。そして明日が来る。これは中々変わらないもので、それで満足していた。もう私にはこれ以上必要なかった。
夕食後、今日の出来事を頭の中でぼんやりと考える。素敵な日だった。やっぱりあれはカメラを置いたことで、出会えた縁だ。私はなぜだか起こる奇跡を嚙みしめて、これからも時計の針が止まるまで暮らしていくのだろう。それは当たり前で、とても数奇なものだ。どんなにはみ出しても、中々退屈にはしてくれないみたいだ。
椅子に座りながら、一つ伸びをする。明日はどこに行こうか、晴れかな、曇りかな、それとも雨だろうか。どれだっていい、どうせやることは変わらない。私はレンズからのぞくだけ。
だって―
「もうそんな季節、か」
布団の中に潜り込む。久しぶりに山道を歩いたからか、すぐに瞼は機能停止の信号を脳から受信していたようだった。じゃあ、今日はもうダメですね。そろそろ今週の茅原佳那は閉店するとしますか。じゃあ、おやすみなさい。
-fin-
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