世界をのぞいて、私は行く

まきなる

月曜日

 カメラを持って、花を撮る。スマートフォンが身近になり、そのカメラで簡単に誰でも高画質の写真を撮れるようになってきた。センスがいい人なら、一昔前の写真家の仕事を簡単に奪うこともできるかな。だったら、今の写真家にできることはなんだろう。そんなことを思いながら、私、佳那はシャッターを押した。テトラポッドにカニが乗っていたので、つい撮影してしまった。うん、いい写真だとは思えない。

 自転車をこぎ、次の場所へと向かう。13歳から始めて、10年も経っていた。もう23歳か。写真家になりたいわけじゃなかった。ずっと写真を撮り続けていたい。それだけだったから、別に写真を専門的に学ぼうなんてつもりは無かった。たまたま、写真が評価されてそれでご飯を食べていけている。それで十分、私は満たされていた。


シャー、シャー、ッキュ。


 目の前には一人、海岸のゴミを集めている老人がいた。袋に一杯、ゴミを集めて引きずりながら歩いている。腰が曲がっているのと遠くからだったせいなのか、性別の判断はつかなかった。こちらがジッと見つめていたのに気がつくと、にっこりと笑った。なんだか照れくさくて少しうつむく。お婆さんはゆっくりと手招きをし、近くにあったベンチに腰掛ける。路肩に自転車を止め、私も隣に座った。こうして誰かの隣に座るのはパチンコ以外では、ほとんどなかったな。


 私がなぜこの人の誘いに乗ろうと思ったのか、その理由はなんとなく想像がついた。私にはお婆ちゃんがいない。物心つく頃にはすでにこの世を去っていて、あまり記憶にないのだ。遠くから見たこの人は姿だけでも、よく物語に出てくるような優しいお婆ちゃんのような気がした。だから、らしくないことを聞いたのだ。

「すみません。私、佳那って言います。カメラ…好きですか?」

お婆さんはハズレの蜜柑を食べた時にように口をすぼめ、少し首をかしげるがすぐに笑った。

「うん、撮られるのはどう表情を作ればいいのかわからなくて苦手だね」

 お婆さんはどこか遠くを見つめて、何かを思い出しているようだった。どこを見ているのかわからなかったけど、私も同じ方向を見る。遠くの雲がゆっくりとちぎれていく。堤防と堤防の間にゆっくり浮かんだ誘導雲は、それを見て笑っている。カモメが灯台のそばで羽を伸ばしている。知らないお婆さんとただ景色を眺めていた。カメラを握る手が強くなっていく。

「カシャ、カシャ」

手が勝手にシャッターを切っていた。話の途中だったけれど、私はその静寂を壊すようにシャッターを切り続ける。撮り続ける。そう、カメラは時間を切り取るもので、ある意味世界の理に逆らっている冒涜な発明だ。私はそれを知った時から、写真に夢中になってしまったのだ。一通り撮り終えて、横を見るとお婆さんが笑っていた。

「うん、うん、そうやって誰かが写真を撮る姿を見るのはいい」


 またやってしまった。悪い癖だ。けど、直そうと思っても中々直すことができないのだ。私は謝るが、お婆さんは気にしていないようだった。撮った写真をお婆さんに見せると、カメラを重たそうにしながらじっと見つめる。操作方法を教えると、意外にもすぐに覚えて私が今まで撮った写真を見てくれた。

 カメラには色々な記事に使われている写真も入っている。雑誌、新聞ではなく、ネットの記事に載せるために、多くは繋がりのない文字列を添えている。そんな写真。綺麗な構図、物語のような風景、変わりゆく町。皆大好物らしい。足を伸ばした先にはいつもこんな風景が広がっている。生まれ持った才能だ。才を買われて会社にスカウトもされた。けれど、そんな環境で撮った写真は私の肌には合わず、挙句の果てに人と関係を断ちたくなってしまった。そうして、私は折り畳みの自転車を持って電車に乗り、どこまでも漕いでいった。見つけた景色が私は好きで、シャッターを押す。平日はそんな感じ。休日は銀色の玉を弾いている。最近はこっちの方が気持ちいいんじゃないかと思い始めている。


 お婆さんはとある一枚の写真で手をとめた。烏が一羽、神社の鳥居で休息している写真だ。なんてことはない、日常を切り取った写真。けれど、私のお気に入り。その日はたまたまカメラを持っていて、別の用事で近くを通りかかっただけ。それでも、ふと目に留まったこの烏が、どうにも綺麗に見えてしまった。そう言えば、会社勤めの時に初めて馬鹿にされた写真だったな。才能無いねって言われたんだっけ。

「綺麗ね、この鳥居。いったいどこの写真なの?」

「確か、この駅と駅の間にある―神社です」

即答する。私は今まで撮った場所は全て覚えているのだ。カメラで切り取るように、頭の中でも切り取ることができた。説明をしていないので、お婆さんは目をカッと見開いてこっちを見た。お婆さん、そんなに驚かないで下さい。

「あなた、写真が好きなのね。この写真を見ればわかるわ。でもきっと苦労なされたのでしょう?」

今度はこちらがさっきのお婆さんと同じような顔をしている。あぁ、この人は歳をとった人なんだ。今では珍しい人だ。自然と気持ちが軽くなる。話を聞いてよかった。私もこの人がどんな人か気になり始めた。


「お婆さんはどうしてゴミを集めていたんですか」

「昔に比べてゴミが増えたからね。運動もふまえて掃除しているの」

けれどその答えはどこか影があった。聞きたいけれど、聞く必要はない。私はその影を気がつかなかったふりをした。

「ありがとうございます」

掃除してくださって、それで私は綺麗な風景を切り取ることができた。他に話す必要は無い。いきなり自分の過去を話す人は、私は怖い。多分このお婆さんも同じ気持ちなんだろう。


 お婆さんはゴミ拾いに戻ろうとするので、私は後で飲もうと買っていたお茶を手渡した。この暑さだ。水分補給をしておかないと倒れてしまう。自転車に戻り、私はその場を去ろうとする。後ろを振り向くとすでにお婆さんは掃除を再開していた。次はどこに行こうかな。自転車を漕ぐ風は、いつまでも私を包み込んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る