第3話 闇の中で目覚める

「ねえ、ご主人様ぁ」


 もはや冷や汗どころではなかった。

 気持ち的には氷水が噴き出ているような気分である。

 

「私に、テレサに、命令して?」


 猫なで声でそんな事を言ってくる聖女様の姿を一体誰が想像出来よう。

 白い頬を上気させ、息は若干荒いように見える。

 とろんと瞳を蕩けさせ俺に対し何かを期待しているような視線を送ってきている。

 清純で清楚で、自分に厳しく部下である俺にもちょっと厳しい彼女の今までの姿とは大違いだ。

 恐ろしい、恐ろし過ぎる。

 何が恐ろしいって、俺の記憶が朧気になっている数時間の間に彼女が経験した何かの所為でこんな風になってしまった訳だが、テレサ様はどうやらその事を一方的に覚えているみたいだって事。

 そこまで時間があった訳がない筈だぞ。

 どれだけのインパクトがあればこんな風になってしまうんだ……!


「え、えーっと。テレサ様」

「テレサって呼んでください」

「……テレサ」

「……♡」


 うわ。

 なんか、すっごく喜んでいるのがよく分かる。

 尻尾があるならぶるんぶるん振るっている。

 瞳の奥にハートマークが浮かんでいるようにすら見えた。

 若干引きつつ、俺は彼女に尋ねる。


「えっと、その……テレサ。ちょっと、お尋ねしたい事があるのですが」

「そんな丁寧な言葉を使わず、もっと荒々しい言葉を使って貰っても構いません。なんなら、もっと荒々しく命令してください」

「流石にそれは無理です」

「ならせめて、砕けた口調で」

「はぁ……」


 話が進まねぇ……

 

「ああ……っ! その冷めた視線、最高です……っ♡」


 そしてなんかテレサ様――テレサは一人興奮して身体を震わせていた。

 

 何となく彼女の異変について何となく察しがついてくる。

 呼び捨てにしろだの命令口調で喋れだの、内容的には俺を自分より上位の存在として立てているように見えるが、しかし彼女の雰囲気を見るにどうやらテレサは「自身を下の者として扱われる」事に対し興奮を覚えているように見える。

 被虐欲求。

 つまりマゾヒスティックな欲求。

 どうやら昨日、彼女は相当刺激的な経験をしたらしい。


 ……昨日の俺が間違いなく不敬な事を働いた事は間違いないらしい。

 これ、打ち首で許されるかな?

 やっぱり拷問部屋送りかな?

 絶望する俺に対し、あくまでテレサは喜ばしげっていうか悦ばしげだった。


「ああ、目が醒めた気分ですっ。世界はこんなにも美しいのですね……!」

「そう、ですか」

「それもこれも、すべてご主人様のお陰です。あのように乱暴に私を『モノ』のように扱って、扱ってくださって、それで私はようやく悟ったのです。私はご主人様を悦ばせるためだけに産まれて来た『モノ』である、と」

「違いますからね?」

「玩具ですねっ!」

「違いますからねっ!!」

「あ、ああっ! これからご主人様にどのように使って貰えるか想像するだけで、うぅう……っ♡」


 ダメだこりゃ。

 俺は頭を抱える。

 聖騎士として、一応どんなハプニングにも対応出来るよう経験を積んできたつもりだった。

 どんな最悪な状況にも適応し、最適解を導き出せると信じていた。

 だけど、こんな。

 こればかりは、無理だよ。

 どう対処すれば良いってんだ。

 ああ、神様。

 助けてください。

 

 うちの聖女様、マゾに目覚めたみたいです……!


「それじゃあ、行きましょうかご主人様」


 そんな俺の事など放置して彼女は勝手に行動を開始する。

 いそいそと服を着た後、魔法で身体を清める。

 ……間違いなくそういう『行為』に及んだのにも関わらず部屋が嫌に綺麗だったのは彼女の仕業だろう。

 

「それじゃあ、行きましょうかご主人様」

「……あの、外でご主人様って呼ぶのは止めてくださいね?」

「ええ、分かっています」


 彼女はむん、と胸の前で手を握りしめて言う。


「普段は今まで通りで、夜になったら「昼はよくもあんな風に扱ってくれたな」って私を虐めてくれるんですよねっ♡」

「いや、違う……」

「ああっ、今日の夜が楽しみですっ!」

 

 一人勝手に興奮する彼女を前に、俺は思った。


 ああ、もうどうにでもなれ……

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