第10話 新しい世界

 夜明け頃。薄闇の中にも、漸く町が見えて来た。

「町、ですか?」

 常識的な城壁の高さから推測すると、私の時代からは技術が進歩していることを考慮しても、随分と大きな気がする。壁塔が多い為に錯覚しているのだろうか、と見ても、やはり大きい気がする。

「言ったと思いますが。この辺りは戦場になることが多いので、城壁が立派なのです。広いのは、田畑を含んでいるからです。逆に言えば、農村を外に抱えるだけの規模ではないのです」

「農村を抱える、とはどういうことですか?」

「あなたの時代には、農地を抱えていない都市はどうやって食糧を賄っていたのです?」

「売買です」

 都市というのは大抵、街道沿いの商業地だ。街道から外れた農村はここに作物を売りに行く。都市は場所代を取って、その金で農作物を買う。または場所代を農作物で納めさせる。

「それでは飢饉の時に困りませんか?」

「その時は、皆が飢えているのだから仕方がないです。他の地域に引越したり、出稼ぎに行きます」

 サシェナが興味深気に私の話しを聞くのに、首を傾げる。

「“引越し”はどのようにするのです?」

「え……役所で通行手形を発行してもらって、引越し先の町の役所で書き換えてもらいます。何故、そのようなことを問われるのですか?」

「今は、それほど簡単に移住は出来ません。どの町も、そう簡単には移住の許可は出しません」

「それでは、飢饉の時などにはどうするのですか?」

 飢えて死ねと言うのか――と真面目に思う半面、この遣り取りが可笑しくなって来る。サシェナも同様らしく、笑っている。

「元に戻りましたね」

 顔を見合せて笑う。

「市民を飢えさせない為ですか? 飢饉の時には農村も作物は中々売りませんから」

 人間を動かせないなら、物の方を動かすしかない。

「どちらかと言うと、戦争の為です。戦争に関わりのない農村は、取引相手は、イ軍でもロ軍でも構わない」

 自前で兵糧を確保出来ないと、足元を見られる、というわけだ。

「もっとも、今では農村の殆どは最寄りの都市の傘下に入っていますが」

「何故ですか?」

 それは、農村に利が無いように思う。都市には、農作物を定量を割安で仕入れられる利があるが、農村には、買い叩かれる危険があるだけではないか。

「兵士を駐留してもらうのです。農村で見掛ける衛兵や守衛官は、殆ど近隣都市の軍人です。治安を都市に任せられれば、農民は農業に専念出来ます」

 「農民は皆、農業が上手でしょう?」とサシェナは続けた。その通りである。

 不思議なことに、農民でない者が農家に婿養子に入り、義父や身内の者達に教えられて農業に励んでも、同じようにはいかないことが多い、と聞く。どうしても農作物の出来や収穫量に、差が出るのだそうだ。厳密に言うと、親子でも差があるそうだが。

「剣など握ったことのない農家の息子より、訓練を受けた軍人の方が治安を守るのは上手なのです」

 先にサシェナが「専業も悪いことではない」と言っていた。そういう考え方もある、程度に聞いていたが、徐に実感が湧いて来る。

「俄か剣士に任せられるほど、治安が良くない、ということですか」

「治安の良し悪し、というより、不心得者が玄人だ、ということです。対応する方も玄人でなければ、対応し切れません」

 荒事は傭兵、農業は農民――他の職も皆、そんな風に専業化しているなら。返って歪な気がする。同業者の仲間意識が、他を区別するようになるのではないか。それぞれに。その結果が、玄人、ではないのか。

「何だか、怖いです」

「そういう言い方も出来るかも知れません」

 この時代に生まれ育ったサシェナでも、この有り様に思う所があるのだろうか、と見上げると、サシェナは肩を竦めた。

「僕なら、馬鹿馬鹿しい、と言います」

「専業も悪くないと言っていませんでしたか?」

「悪いことしかないわけではない、という意味です」

 何だそれは、と思わず笑う。

「下手でも、色々出来る方が上等に決まっています」

 楽し気に、真面目に語る姿を、魅力的に思う。惹かれては駄目だ。

(主人が良い人で良かった)

 そう、思わなければ。



 空が、夜の青から、朝の青へと変わる。

 城門の周囲に、開門を待つ人々の姿が視認出来るようになった頃。

「町に入るまでは喋らないで下さい」

 開門を待つ人の数が少ないな、などと思っていると、暫く静かだったサシェナが不意に言った。

「城門を通る際、僕は門兵にあなたのことを、奴隷だ、と説明しますが仕方のないことなので、気を悪くしないで下さい」

 実際、今の私はサシェナの奴隷同然だ。

 身分は正しくは、流浪の者、だが言葉にしろ、社会にしろ、分からないことが多過ぎて己の身を処することすら儘ならない。何もかも、サシェナに委ねるしかない。

 実質に気を悪くしても、仕方がない。

「はい」


 開門を待つ人々に混じり、待ち始めて、暫くすると門が開いた。

 城壁によっていた人々がだらだらと並ぶ、長くない列の末尾に私達も続く。

 顔馴染みが多いのか、早いくらいの手際の良さで列は短くなり、私達の順が来た。

 門兵が何か言う。

 サシェナが簡潔に答える。

 門兵がまた何か言う。

 サシェナが答える。

 門兵が、今度は少し長く話した。

 門兵の言葉には途中から、笑いが混じっている。会話の内容は分からなくとも、楽し気な様子から、二人が顔見知りではあることが分かる。最初の遣り取り以降は雑談なのかも知れない。悪いことにはなっていなさそうな雰囲気に、安堵する。そうは思っても、緊張に顔すら上げられない。私はひたすら、早く通してくれることを祈っていた。

 私一人が町には入れないと言われるのなら良いが、サシェナまで入れなかったら、万一罪にでも問われたら――どうしよう。そんなことを考えていると、突然、顔を上げさせられた。

 知らない男の顔が眼前にあり、肩が震える。

 北系の人らしい、青色《アオ》い目が、私をじっと見る。目を、見られている。その間顎を捉えた指が、顎下の柔らかな肉を撫でていた。

 門兵は何か言いながら、私から視線と手を放した。

 門兵に答えるサシェナの声が余りに不機嫌なもので、驚いた。どうしたのか、と思う間もなく強く手を引かれて、城門を潜る。

 大股に歩くサシェナに付いて行くのが精一杯で、声を掛けることも出来なかった。


「すみません」

 城門から伸びる道を外れて、突然歩を止めた。サシェナが振り返った。

 早朝の為か、通りには未だ人影はない。それでも、声は少し潜められていた。

「怖かったでしょう」

 首を振る。顎下を擽られたことに対しては、そう言ってもよいかも知れないが、目を見られたことには、心当たりがあるので、そうでもない。

「こちらの方では今も、私のような目の色は珍しいのですね」

 北系の人は、肌も髪も瞳も、色が薄い。門兵は、髪は茶色、瞳は青色だった。サシェナは、髪は白茶色、瞳は明るい茶色だ。南系の私は髪も瞳も黒色である。

 当たり障りのないことを言えば「そうですね」と忌々し気な声で答えが返った。繋いでいた手が放されたと思ったら、手の甲で顎を拭われた。それで終わるかと思えば、後頭部を掴まれて、接吻けられる。

「ん」

 口唇が合わさることもない、噛み付くような接吻け。

 人気がないとはいえ、こんな所ですることではない、とサシェナを押し返すが、弱い力ではどうにもならない。

 強く逆らえば行為は止められるかも知れないが、奴隷に逆らわれる主人と言うのは外聞が悪い。

 結局、サシェナが満足するまで、私の口唇は奪われたままだった。

 小さな音を立てて口唇が離れた時、長い接吻けに、私の口唇は震えていた。

「なん、てこ……」

「公務の最中に他人のものに手を付ける兵士がいるのですから、これくらいどうということはありません」

 漸く口にした、端折り過ぎた私の言葉を、正確に読み取って、サシェナが言った。

 仕上げとばかりに、もう一度、触れるだけの接吻けをされた。

「宿を取って、荷物を置いて、市場に行きましょう。その頃には朝食用の軽食を出す露店が商いを始めている筈です」

 また、手を引かれる。

「休みたいでしょうが、もう少し頑張って下さい。昼間の市場は、今のあなたには、未だ刺激が強過ぎると思いますので」


 城門に続く目抜き通りを外れて尚大きな通りを進む。

 中心地へと向かうと思しき通りには、大きくて立派な構えの店が並んでいる。大きな窓に引かれた窓帷《カーテン》の隙間を覗く余裕もなく、歩く。

 三度、通りを折れると、厳めしい高級店の並ぶ息の詰まるような光景が、庶民に馴染む大らかな町並みに変わった。

 その中では比較的立派な一軒に、サシェナは躊躇い無く入った。勿論、私も続く。

 私にはほぼ分からない遣り取りの後に、二階の一室に連れて行かれた。

 部屋に入ると、サシェナは隅に荷物を放って、すぐに部屋を後にした。目まぐるしく動く為に、質問も出来ない。

 通りに出ると、相変わらず人気がなかった。

「あの!」

「何でしょう」

 勢い込んで掛けた声に、冷静に問い返されると言葉が続け難い。

 何から問おう、と一瞬口籠るとサシェナが振り向いた。

「あそこは宿です。常宿ではありませんが、何度か泊まったことがあります。あなたを連れて安宿とか、まして大部屋などに泊まるつもりはありません」

 粗方の疑問は解消された。提案は却下された。

 一つ残っている疑問を口にするか、悩む。羞恥が勝る。

 広い部屋に、一台だけの大きな寝台《ベッド》――サシェナが借りたのは、一人用でも二人用でもなく、一組用の部屋だった。

 連れているのは奴隷(実際には違うが、奴隷名目で町に入っている)なのだから、一人用の部屋を借りれば良いのだ。部屋に入れたければ入れれば良いし、入れたくなければ宿が預かってくれる。馬などと同じ扱いだ。

 連れているのが従者でも、一人用の部屋を借りるのが、一般的だろうと思う。従者用には寝椅子《カウチ》などを入れる。二人用の部屋を借りるよりは安い。

(一組用の部屋なんて)

 他に部屋が無かったのかも知れないが、ここで「悪いことをするのだ」と宣伝しているみたいだ。

(されるのだろうけど)

 何日間、この町に滞在するつもりなのかは知らない。けれど、サシェナの言動を顧みれば、今日明日にもされそうな気がする。

 するにしても、一組用の寝台など必ずしも必要ではないだろうに。

 あんな部屋は恥ずかしいばかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る