妄想力の問題

Hiro Suzuki

第1話プロローグ 2021年10月14日 サルトル仮称 テクストを超えて

 その日は朝から気分が悪かった。

「…と、いうような仕様でお願いしますね。あと、昨年とその前の一昨年の回に山下さんと西村さんとワタクシと3人でやっておりまして、その後の続きを妄想していただけたらと思います。サルトル仮称さんなら、結構、哲学的な中身が無くても凄そうな現場職人の裏話を書いていただけるかなと思いまして」

これが初回の会議で言われたことだった。一週間前に、同じ大工職人仲間である西村さんの自費出版雑誌、「ゼネコンを変えていけ!」の小さなスペースで連載の依頼をハナオカハナコから打診されていた。どうでもよいが、西村さんは、かつらをつけたりはずしたりする日がある。気分でつけるらしい。「そもそも、禿げているわけではなく、自分で剃っているだけだ」と、この間、俺に強気な告白をしてきた。俺よりも11歳年上の38歳だが、精悍な顔つきとくっきりとした目鼻立ちのせいで、かつらの有無に関係なく若々しかった。ハナオカは西村さんの彼女であり、女現場監督だった。いつもとある理由でこげ茶色のツイードのスーツを着て、こげ茶色の厚手のタイツと黒のピンヒールを履いている。運悪く、よく俺の現場の担当現場監督になる。そして、毎度おかめ納豆のおかめのような化粧で現れる。いで立ちはかなり不審だが、仕事はそれなりにできた。しかし、今回の連載を依頼をしてきた際、彼女は、あまり詳しい説明をしなかった。それでも仕事場でよく顔を合わせるため、俺には断るという選択肢がなかった。自己欺瞞に陥らないか少し不安を抱えながら引き受けたところ、全て後出しで決まっている事を引き受けた後になってポツポツと出してこられた。そもそも、一昨年と昨年やってたなら、そのメンツでやればいい話だ。それ以上に俺のポリシーは「自分自身の為に書く、書くことは愛すること」でもある。そもそも散文を書くようになったのは妻のシモーヌ仮称を好きすぎて仕事が手につかなくなるのを解消するためでしかなく、いわば、俺の散文はすべて日記であり、妻への読んでもらうことの一生ないかもしれない手紙でしかない。大体、「中身のない凄そうな」というのが当たっていて、余計に腹立たしい。既に、山下さん、西村さんとハナオカでテーマは決まっていた。


『今年のテーマ』

・ダンピングとの狭間で いかにして入札するか

・素人DYIerを職人見習いとして引き抜くコツ

このテーマが明かされたのは、最初のZoom会議ではなく、翌日のLINEでだった。

最初の会議で、「特にこれを問題提起したいというテーマがございませんでしたら、西村の方からテーマについてご説明させます」と、ハナオカは開始5分後にいけしゃあしゃあと言った。Zoomの画面の中のハナオカはおかめ納豆仕様の化粧をしておらず、すっぴんだった。素顔のハナオカは、化粧している時と打って変わってとても美しく見えた。俺の性格をよく知る西村さんは、俺がハナオカのハイパー段取り無視&強引さにイライラし始めたのを察したらしい。少し気まずそうにしながら、家の中でもカツラを被ったままZoomのカメラに映っている。

「あ、サルトルくんね、サルトルくんの思っていること、めちゃくちゃにわかるけど、ここは一つハナチャンの顔を立てて欲しい。ごめんね。ぴえん」と、西村さんから会議中、LINEが来た。西村さんのLINEを華麗に既読無視した。

「依頼する際に何故言わないんだ?」と、俺は心の中で思いながら、ハナオカからのテーマに関するLINEのメッセージに返信した。「ハナオカさん、できればもう少し細かい仕様とかあったらお願いします。あともう少し日程に余裕を持って段取りしてほしかったですね」既読「えーっと、そうですね。そうしましたら…中略」


で、今朝起きて、iPhoneで電子版「ゼネコンを変えていけ!」(去年、無理矢理ハナオカにアプリを入れられた)を見たら、山下さん、西村さん、ハナオカ、そして団鳥悪子という俺の知らないカメラマンが載った写真とともに、ハナオカが意気揚々とコラムを書いていた。

「今年の連載がいよいよスタートします!

昨年に引き続き、新メンバーとして、写真、動画を編集していただく、ダンドリ悪子さんが参加されました。

今回、スタートのお祝いとして特別に悪子さんに、悪子さんの編集された写真掲載を許可していただけました!

記念すべき第一回目は、タイトル『雨でもブルーシートで養生しないにゃん!』です。

雨の中、建売の基礎コンクリ打ちと、現場に置かれた断熱材を養生することなく、すまし顔の凄腕山下さんのにこやかな笑顔を撮影していただきました。皆さん是非おたのしみに!」


ハナオカには内緒で俺は妻のシモーヌに相談した。連載用に用意してあった原稿をガリマーロ社へ持ち込むため、新たなペンネームを準備した。まるでいくつもの名前を持っていたペソア※のように。ハナオカとのやりとりの憂さ晴らしに、シモーヌと俺は、テクストの世界を飛び出し、実体の卍丸をテクストに押し込めることにした。こうして、卍丸は俺の最初の短編「交響曲第5番第4楽章 ある少年の日記・断章」の作中人物、「翻訳者 卍丸」となった。


註釈 フェルナンド・ペソア ポルトガルの国民的詩人。いくつものペンネームを持っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る