第26話 煌めきの時

 アンナの両親は、度々アパートを訪れた。母親のカレンは、最初の頃は家に帰ってきなさいと何度もアンナを説得しようとした。そんな時アンナは、静かに母親の申し出を断った。父親はレオンに、少しでも負担のないようにとお金を置いていった。最初、レオンは断ったが、それが今自分たちに出来るただ一つのことだと言って、父親は頑強にレオンを説き伏せた。レオンはそのお金を受け取ることにした。その代わり、度々アンナを訪ねて欲しいと言った。

 カレンも少しずつレオンを受け入れ、アンナの望む通りにすればいいのだと心から思う様になっていった。母親は手料理を持参し、4人で食事をして過ごした。4人はお互いを大切に思う様になっていった。アンナの調子が良い時は、レオンがおどけたことを言って、皆で大きな声で笑った。アンナは、両親に対し、心からの感謝を感じたのだった。

 

 アーニャはフェルナンドと共に頻繁にアパートを訪れた。いつも決まって、お手製のアップルパイを持ってきた。アンナはそのアーニャの作ったアップルパイが大好きだった。

 アーニャとフェルナンドは結婚し、フェルナンドの故郷で挙げた二人の結婚式の様子を二人に話して聞かせた。フェルナンドは、アーニャのウエディングドレス姿がどんなに美しかったか、どれほど素晴らしい挙式だったかを話した。アーニャは本当に幸せそうだった。新居はアンナとレオンの住むアパートの近くを探して、そこで新婚生活を始めたという。いつでも会いにきたいから、という理由で。

 

 1年ほどすると、アーニャは妊娠した。次第に膨らんでいくお腹を見て、アンナは少しだけ複雑な思いを抱いた。レオンの子どもを産むことは出来ない・・・そのことはアンナの心残りであった。

 しかし産まれてきた可愛い赤ん坊を見ると、アンナは幸せを感じて、いつまでもその子を膝に抱いていた。アンナが名付け親になって、マリアと名付けた。

 レオンはマリアの為に、かわいい小曲を作って、アーニャとフェルナンドにプレゼントをした。アンナは詩を書いて読み上げた。アーニャはこんなに一度に涙をながせるものかと思ったほど、後から溢れてくる涙を止めることは出来なかった。フェルナンドといえば、普段無口でほとんど話をしない彼が、こんなに素晴らしいお祝いはない、一生忘れない、マリアが大きくなったら、このことを話すのが楽しみだ、と、矢継ぎ早に感謝の気持ちを言葉にして、ありがとうを繰り返し言った。

 


 アンナはあまり歌わなくなった。歌おうとしても小さな声で歌うことしか出来なくなっていた。その代わり、アンナは詩を書いた。レオンの作った曲に歌詞を書いていった。

 命が消える前に、アンナはレオンに対する愛を歌にした。それは、自分の生きた証だった。それをレオンに言葉で伝えたかった。

 アンナはもどかしかった。どうしても自分の抱いているレオンへの愛を詩にすることが出来なかった。しかし、少しずつ自分の心を記す様に詩を書いた。

 アンナは、詩を書くことで、今までの人生も振り返り考えることが出来た。レオンを愛する様になって、初めて自分の心の中の躍動感より深い音楽への感動を感じた。

 でも、結婚していた時は、いつも不安だった。道ならぬ恋は、やはり、心を塞がせる。しかし、レオンのアパートに一人で住む決心をして、数年間、淋しくても自分の心情を曲げず、ひたすら待ち続けたその日々は、アンナにとって、大切な日々に思えた。真っ直ぐに自分の心に向き合うことが出来たからだった。

 レオンと暮らしだしてからは、正に、一秒一秒が輝き、もうこれ以上愛することは出来ない、と思うほどなのに、日を追うごとに愛が深まっていった。その体験は、誰でもが味わえるものではないと思った。そして、レオンを愛する気持ちは、全てを凌駕していった。生活、祈り、命までも。アンナは全てをレオンに捧げていた。それは、レオンも同じだった。怖いくらいにお互いが寄り添い、必要としていた。

 アンナはまた、まだ離婚する前、レオンのアパートに毎晩のように二人で過ごした時を思い起こした。 

 あの時の二人は、その状況もそうさせたのかもしれないが、まさしく激情と愛欲の日々だった。レオンとベッドで過ごした時間は目眩く官能の時間だった。レオンは何時間でもアンナを激しく愛した。レオンの指はアンナの体中をまさぐった。繊細にかつ大胆に。後ろから愛される時、レオンは指でピアノを弾く様にアンナの背中を強く掴んだ。その時、アンナは、レオンがピアノを弾く姿を思い起こし、なお一層の興奮を感じた。そして、口づけはアンナの女性のあの部分を更に強く刺激した。アンナはその間、何度絶頂を感じたことだろう。その絶頂の後、またより高みに登る絶頂を感じたのだった。アンナは体の奥深く眠っていた女としての官能を研ぎすましていった。自分でも知らなかった強い欲望を呼び起こされたのだ。激しく結ばれて、アンナは細胞の一つ一つ、体の奥深くにまでレオンを感じた。そして、その瞬間は異次元の世界へと解き放たれた。官能と愛は人を再生させる。二人はその愛欲の中で固く結ばれていったのだ。アンナはレオンに抱かれる度に、自分自身の心とレオンの深い愛を確信していった。

 今の二人は、その時のような時間を過ごすことは出来なくなったが、アンナの体調の良い時、アンナが欲する時、レオンはアンナの中に静かに入ってきた。そして、アンナの体に負担がかからないようにアンナを愛した。アンナはそのレオンの体の動きに、ひと時、病気の苦しさから解放された。それはかえって、アンナに命を吹き込んだ。そして、その時、自分は今生きているのだと狂おしく実感したのだった。

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