第25話 アンナ、レオンとの日々
ひと月ほどすると、アンナの病状は一旦は落ち着いていた。
ある日レオンは、アンナに言った。
「今日も顔色がいいね。実は、アンナに一つ提案があるんだ。」
「なあに?」
「先生もご両親も了承してくださったのだが、アンナ、家に帰ろう。僕と一緒に暮らして、介護は先生の指示通り僕が責任を持って管理するから。どうだろう?」
アンナは、瞳を大きく見開いて言った。
「本当に、レオンと一緒に暮らせるのね!私、嬉しいわ!」
アンナは、そのことで、どれほど自分の命が短くなろうと後悔するものは何も無いと思った。どんなにレオンと暮らせることを夢見て来ただろう。どんなに、その言葉を待っていただろう。アンナは数年ぶりに心から笑った。レオンの腕の中で、心から幸せを感じた。
アンナはレオンと暮らしだしてしばらく経つと、病状は快方に向かっていった。ベッドから起き上がり、レオンの為に食事の支度をすることさへあった。
アンナは、レオンがピアノを弾きだすと、いつもベッドから起きだしソファに座ってじっとピアノを聴いていた。レオンの弾くピアノは、どんなにアンナの心を慰めただろう。そして、ピアノを弾くその姿をただひたすら見つめていた。
レオンは、毎日が薄氷を踏む思いだったが、アンナの様子は落ち着いていた。このまま、本当に神様が奇跡を起こしてくれるかもしれない、心から愛し合う自分たちの愛を神様が見捨てるはずはないと、すがる様な思いで祈った。
アンナは、レオンとの一つ一つの事柄を幸せに感じた。レオンの話す言葉、レオンが珈琲を飲んだり、食事したり、音楽のことを語ったり、或は、たわいない会話で二人で笑ったり、そのどれもが、アンナにとってかけがえのないものだった。
初夏の穏やかな日、アンナは久しぶりに外出もした。レオンと腕を組んだり、手をつないで街を歩いた。
アンナは見るもの全てが新鮮だった。周りの物全てが命を持ったようにきらきらと輝いて見えた。街並や家々に咲く色とりどりの花々、犬を連れて散歩する人々、洒落た帽子を被った女性や、青く澄んだ空、流れる雲、そして、愛おしいレオンの手。アンナは生きていることを実感した。レオンは楽しそうに、先日のライブや最近作曲した新曲の話をしている。レオンの優しい声。
アンナは、この幸せは長くは続かないことを知っていた。それでも、自分は誰よりも幸せだと思えた。愛するレオンと、例え短い時でも、誰に遠慮もせず、人目も憚らず、一緒に暮らすことが出来たのだから。私はどんなにレオンを愛しているだろう。レオンもどれほど私を愛してくれているだろう。それだけで、生まれてきた意味があった。レオンと愛し合うことは、他の何も必要ではなかった。例え、命でさえも。
アンナは、レオンの作曲した曲に、詩を書いていた。レオンが残していった、「アンナに捧ぐ〜」、あの曲だった。
ピアノの前に座ったレオンは、アンナを見ると、一つ咳払いをして姿勢を正した。アンナはその様子が可笑しくてクスリと笑った。
レオンは、こう言った。
「好きな様に歌ってごらん。」
「ええ。」
レオンは前奏を弾きだした。
アンナの声は以前の様には出なかったが、それでも、細い声で歌っていった。
バラード調の美しい曲だった。アンナが夢見たことの一つが叶った。
歌い終わると、アンナはレオンに抱きついてこう言った。
「レオンの曲、きれい!とても素敵な曲だわ。でも私の詩が未熟で、レオンの曲をだめにしてなきゃいいけど。」
「そんなことはないよ。自分の詩なんだから、違うと思ったら少しずつ直していけばいいんだし。でも、よく書けてるよ。だんだん上手になっているよ。」
「そう!良かったわ。もっと良い詩が書ける様に頑張るわね。」
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