帰り道に倒れていた吸血鬼を助けたらめちゃくちゃ懐かれた。毎日抱きついてきて困ってます。

しゅん

プロローグ 吸血鬼に懐かれました



天斗あまと、起きてください」


「‥‥‥ぅん」


 ぼんやりとした微睡みの中、身体を小さく揺すられる感覚と耳元で囁かれる可憐な声によってゆっくりと目が覚めていく。


 あ~‥‥‥けど、昨日も徹夜しちゃったし、もう少し寝ていたい‥‥‥。


「こ~ら、今日から大学とやらにいくのでしょう?」


「う~ん‥‥‥もすこし‥‥‥」


「ダメです! この時間に起こしてほしいって言ったのは天斗ですよ? あ、寝ちゃダメですって!」


 しばらくガクガクとさっきよりも大きめに揺さぶられるも、まだまだ惰眠を貪りたい俺は毛布を手繰り寄せて二度寝を決め込むことにする。


 が、次の言葉には流石に無視し続けることはできなかった。


「ふふっ、こうなったら天斗のこと嚙んじゃいますよ?」


「‥‥‥っ」


「ちゅ~ちゅ~って血を吸って、えっちになる成分を含む血を流し込みます」


「‥‥‥っ!」


「あとは、理性が蕩けた天斗に私はベッドに連れ込まれて‥‥‥きゃっ♡」


 ではさっそく! と、かけ声とともにすぐそばに熱い吐息を感じて——。


「だぁあああ! 分かったわかった! 起きるから、噛みつこうとするんじゃない!」


「え~っ! この直前でお預けは無しですよ! ひと噛み! ちょこっとだけでいいですからぁ!」


「そう言ってちょこっとで終わらないのがシアだろうが!」


 俺は慌てて飛び起きて、グイグイと俺の首筋に牙を突き立てようとする少女を必死に両手で抑えて遠ざける。


 もしも少しでも噛まれてしまえば、さっきの彼女の宣言通りに簡単に俺の理性は溶かされて、されるがままになってしまう。それくらい目の前のこいつは危険なのだ。


 やいのやいのと言い合いながらしばらく攻防が続くと、やっとこさ諦めてくれたのか彼女が後ろに一歩飛びのく。


「もう、そんなに拒絶されると寂しくなっちゃいますよ? 私」


「あのなぁ‥‥‥」


 改めて、俺は彼女の顔を見つめ直す。


 じ~っと見つめてくる瞳はルビーのよう。凛としつつもどこか愛嬌を感じさせる顔立ちはまさに絶世の美女で、肩より少し上で切り揃えられた煌めくプラチナブロンドの髪と、凹凸のとれた女性らしい抜群のプロポーションからはいったいどこの二次元からやって来たのかと思えるほど美しい。


 そんな彼女の名前はアレクシア。現在、訳あって俺の家に居候している。


 訳というのは、まぁ色々とあるんだけど、その中の一つに彼女が吸血鬼であるということがあげられる。


 吸血鬼——人の血を吸い、様々な弱点があるものの不老不死で、空を飛び、霧になり、時にはコウモリやオオカミなどに変身したりもする夜の住人。ファンタジー世界では魔法をも自在に操る人ならざる怪物。


 信じられないことに、彼女はそんな吸血鬼なのだ。


 だから、さっき言っていた「起きないと血を吸うぞ!」というのは冗談でもちょっとえっちな比喩表現でも何でもなく、そのままの意味であるのだけど‥‥‥。


「はぁ‥‥‥」


「あ、ちょっと! なんで私の顔を見てため息を吐くんですか!」


「いや、何でもない」


「むぅ~‥‥‥」


 出会ったばかりのころはもっとこう、”吸血貴族!” って感じに高貴な感じがして、すごく良家のご令嬢みたいなエレガントさを感じていたのに、今のほっぺたを膨らませて俺を睨んでくる表情からは残念さしか伝わって来ない。


 一体どうしてこうも変わってしまったのか‥‥‥。あの時のアレクシア様はどこに行ってしまったのか‥‥‥。


「‥‥‥とりあえず、おはよう。シア」


「はい! おはようございます! 天斗っ♪」


 けどまぁ、こんな風に人懐っこい笑顔のシアも嫌いじゃないけどね。




 ■■




 ぐへへぇ〜、天斗の柔肌ぁ〜と鼻息を荒らげながら俺の寝間着替わりのジャージを脱がそうとしてくるシアを寝室から追い出すのにもうひと攻防ありつつも、着替え終わった俺はリビングに向かう。


 まったく、また今日から大学の後期の講義が始まるというのに朝から無駄に体力を消耗してしまったし、すっかり目も覚めてしまった。


 ぐで〜とのしかかる疲労を感じながらリビングに入ると、キッチンに立って何か手を動かしているシアがいる。


 そんな彼女は俺がやってきたのに気が付くと、パッと笑顔を咲かせた。


「やっと来ましたね! ちょうど朝食も完成したところですよ、席に座ってください!」


「あー、そういえば昨日作ってくれるって言ってたね。本当に作ってくれたんだ、吸血鬼なのに早起きまでしちゃって。朝は苦手とかじゃないの?」


「のんのんのんっ♪ 私をそんじゃそこらの貧弱吸血鬼と一緒にしないでください! なんせ私は真祖の系譜に連なる者、日光だってへっちゃらです!」


 そんじゃそこらって、そもそも吸血鬼の存在が一般的じゃないんだけど‥‥‥。


 まぁ、真祖の系譜とかよくわからないけど、そんな御大層な称号みたいのを持ってるってことは、シアはなんかすごい吸血鬼なんだろう。


 ‥‥‥腕を組んでエッヘン! ってふんぞり返ってる姿からは威厳も何も感じないけど。


 そんな感想を思いながら席に座ると、パタパタとシアがやってきて最後の一品をテーブルに乗せる。


「どうぞ! これを食べれば一日元気いっぱい! シア様特製ブレックファーストです! 召し上がれ♪」


「いただきます」


 自分の作ったものを食べてもらうのが嬉しいのか、ニコニコと微笑み向けてくるシア。


 それを尻目にまずはジャムの塗られた食パンに口を付けようとして——ふと、鉄のような香りを感じてその手を止めた。


「あれ? どうしたんですか? 食パンを見ながら固まって」


「‥‥‥あのさ、シア。このパンに塗られてるのってイチゴジャムだよね?」

 ‥‥‥いや、うん。まさか、ね?


 俺が恐る恐る聞くと、シアはこてんと首を傾げた。


「いえ、違いますよ? それは血です」


「え?」


「だから血ですって!」


「‥‥‥誰の?」


「もちろん私のです!」


 ドヤッ! っと、マンガだったらバックにでかでかと文字が書かれるくらい自信満々で言い切ったシア。


 うん。普通に。


「‥‥‥ないわ」


「えぇっ!?」


 素直な感想を口にすると、シアは心底驚いたという風に素っ頓狂な声を出す。


 というか、よくよく見てみればこれ、食パン以外にも‥‥‥。


「なぁシア。ちなみに聞くけど、このプレーンオムレツにかかってる赤いのって‥‥‥」


「血です! 血染めのオムレツです!」


「じゃあ、この赤いスープみたいのも‥‥‥」


「血です! 鮮血のコーンスープです!」


「最後に、並々と注がれたコップ一杯の‥‥‥」


「血です! 血潮一日これ一杯です!」


 いやいや、そんな野菜一日これ一本みたいに言われてもさ‥‥‥うん。


「やっぱないわ」


「どうしてですか! 私が丹精込めてつっくた朝ごはんですよ!」


「どこに朝から血を啜る人間がいる! 俺は悪魔か! 吸血鬼でもないんだぞ!」


「そこらへんは大丈夫です! ちゃんと人間の天斗に合わせて調理してますから!」


「そういう問題じゃなくて生理と倫理的にアウトだ!」


「あ、さては天斗、偏食さんだなぁ?」


「俺以外の人間でも食わんわ! ていうかシアはいいのかよ、自分の血を飲ませて」


「しょうがないじゃないですか、この世界じゃ気軽に人間を狩りにいけないんですから。でも! 吸血鬼には恋人同士で血を吸い合うって風習がありましてね、むしろ天斗と私の血液全部を交換したいくらいですぅ♪」


「猟奇的だな吸血鬼! 怖いわ! そして俺は恋人になった覚えなんてない! とにかくこれは食べないからな。普通に食パンを焼いてくれ」


 俺が断固拒否の姿勢を見せると、シアは肩をすくめて「もーしょうがないなぁ」と、やれやれしながらサバト的な朝食を下げていく。


 まったく、やれやれしたいのは俺の方なんだけど。ここら辺が人間と吸血鬼のジェネレーションギャップなんだろうか。異民族交流は難しい。


 しばらくすると、今度はちゃんと普通にイチゴジャムが塗られた食パンと、ケチャップのかかったプレーンオムレツ、黄色いコーンスープが出てきた。


「はいどうぞ! でも本当に普通のでいいんですか?」


「普通のでいいの。いただきます」


 今度は匂いも大丈夫そうなので、プレーンオムレツを箸で一切れ切って口に入れれば、美味しいオムレツの優しい味がした。


「うんうん、こういうのが良いんだよ」


「ほんとですか! やった♪」


 思ったことを口にすると、シアは嬉しそうにぴょんぴょんとその場で飛び跳ねる。


 最初からこっちのを出してくれれば文句なんて言わないのに。


 それからシアは俺の向かいの席に座って、さっき俺が拒否した血の朝食を食べていく。


 まだ日本に来て日の浅いシアは箸が使えないのでフォークとナイフを使っているのだけど、オムレツを切る仕草とか優雅で気品を感じ、シアの動きの一つ一つに注目してしまって。


「?? どうしたんですか? ‥‥‥あ、やっぱり、こっちのを食べて見たくなりましたか? あ~ん」


「いや、違う。いらない」


「え~、普通に美味しいんだけどなぁ~」


 そんな見当違いのこと言ってると、やっぱり褒めようと思ったところも素直に褒める気が無くなってしまう。


「もう、ダメですよ? 食の好き嫌いは。確か天斗はきのこも嫌いでしたよね?」


「‥‥‥シアだって嫌いな食べ物くらいあるでしょ。吸血鬼なんだからニンニクとかさ」


「いえ? ニンニクは嫌いじゃないですよ? むしろステーキとかにコクが出てとてもおいしく思います! ちなみに苦手なのはトマトですね。トマトジュースとかもう青臭いのが無理です」


「お前本当に吸血鬼かよ」


「正真正銘の吸血鬼ですよ!?」


 朝に強くて日光も平気でニンニクも食べられる。そんなシアの吸血鬼らしからぬ部分を知って俺の中でシアは実は吸血鬼モドキ説が浮上してきた。


 も~失礼しちゃいます~ぷんぷん! っと、怒ってるのか怒ってないのか良くわからないゆる~い感じのシアにもう一つ気になったことを聞いてみる。


「じゃあ、逆に好きなものは?」


「そんなの決まってるじゃないですか! 天斗です! シアは天斗のことが大好きです! 血を吸いつくしたい‥‥‥ぐへへ//」


「‥‥‥く、喰われる!」


 身の危険を感じて思わず引き下がると、シアは慌てたように首をふる。


「違いますよ! 性的にです!」


「それはそれでどうなんだ!」


 なんだこれ。性的に、つまりはシアは女として男である俺を好きだと言ってくれたのに全く萌えん。


「まぁ、もちろん天斗の血もあの時飲んでからもう他の人間の血なんて飲みたくなくなるくらい好きですけど」


「やっぱりそうじゃんか!」


「でもっ‼」


 シアは強い声で言葉を区切ると、今度は今までよりも真剣で真っすぐな視線を俺に向けてくる。


 それは次の言葉が何よりも伝えたいことなのだと言いたいようで。


「私はあの時、天斗に助けられました! ただ死ぬだけだった私を天斗が救ってくれました! だから頭のてっぺんから流れる血液まで、この身体の全部を使って恩返しですっ!」


「‥‥‥大袈裟だなぁ」


「全然大袈裟じゃないですよ。今の私にとってあなたがすべてなんですから」


 一点の曇りない瞳でそう言い切ったシアは、それが心の底から浮かべているのが分かる笑顔を俺に向けてくる。


 俺は本当に大したことは何もしていないのに。


 たまたまそこにいたのが俺だったというだけで、きっと俺以外の誰かだったとしても同じ行動をとったはずだ。


 だからやっぱり、シアの言ってることは大袈裟にしか思えない。


「‥‥‥まぁ、ほどほどにね」


「はいっ!」


 本当にほどほどの意味が分かってるのか疑わしいけど、これ以上言っても聞くとは思えないし、今は様子見だな。


 その後、朝食を食べ終え、朝の準備を終わらせる頃には家を出るのにちょうどいい時間になっていた。


 筆記用具と大学ノート、今日の講義の教科書とノートパソコンをカバンに入れて準備完了。


 最後に財布と定期を確認して玄関に向かえば、食器を洗っていたシアが見送りに来てくれる。


「もう行くんですか?」


「おう、留守番頼んだよ。それと家事の方も本当に任せちゃっていいのか?」


「はい! 天斗にやり方は昨日教えてもらいましたし大丈夫です! このアレクシア=シュトラーセ、シュトラーセ家の名にかけて完璧にこなしてみせましょう!」


「……」


 ででんっ! と言うふうに胸を張るシアに言いしれない不安を感じるけれど、いやむしろ不安しか感じないけれど‥‥‥まぁ家事を任せるのは今日が初日だし、なにごともまずは任せてみることにしよう。


「まぁ、うん。それじゃあさっきも言ったけどほどほどに――」


「――スキありっ!」


 そう言って、俺の視界から姿が一瞬消えたと思ったら、シアは腕を背中に回してぎゅっと俺に抱きついてきた。


 そのままびっくりする俺に上目遣いを向けてくる。


「待ってますから早く帰ってきてくださいね!」


「――っ!?……分かってる。シアがちゃんと家事ができてるか不安だし、なるべく早く帰ってくるよ」


「も〜、そこは任せてくださいよぉ!」


 ぷくっとほっぺを膨らませて拗ねつつ、シアは名残惜しそうに俺から離れる‥‥‥すっごい柔らかかった。‥‥‥あと、なんかいい匂いした。


「それじゃ、行ってきます」


「はい、行ってらっしゃい! 天斗!」


 笑顔で手を振ってくるシアに俺も手を振り返して玄関を閉める。


 そのままサッと歩き出すつもりだったんだけど、俺は思わず手すりに捕まって片手で顔を覆った。


「……ったく。シアのやつ、いきなり抱きついてくるのは心臓によくないわ」


 シアはこの世界に一人としていないくらいの美少女なのだ。それも、絶世の。


 それだけじゃなくたって、女の子特有の柔らかさとか、甘い香りとか。


 今まで女っ気なんてこれっぽちもない一介の男子大学生である俺には動揺するには十分だ。


 心構えがあったならともかく、突然抱きつかれる免疫なんてあるわけない。


「にしても、妙に懐かれたなぁ……まだ出会って数日しか経ってないのに」


 すーはーと深呼吸をして、駅に向かって歩き出す。


 考えるのは約一週間前のこと。


 シアと出会ったあの日のことだ。

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