見切り発車

もやし

第1話

 車窓から覗く水平線は、昇る朝日を反射して煌めく。


 一両編成の電車の中、ただ二人だけ座っている少年と少女を差し込む陽光が照らしている。

「ここ、どこ?」

「さあね」

 少年が問うて、少女が答える。

 七月、月曜日。時刻は午前八時過ぎ。彼らの通う中学校ではちょうど予鈴が鳴っている頃だろう。

「人、いないね」

「そりゃ、平日だもんね。こんなところにわざわざ来る人なんてなかなかいないよ」

 戯けるように肩をすくめて少女は言う。

 彼らの他に乗客はいない。どれだけ話しても周りの迷惑になることはない。当然どこの席に座ってもいいのだが少年は長椅子の一番端、扉の隣のところに座り、少女はその横にぴったり張り付くように座っている。

 進行方向に向かって右側、二人がいるのと反対側には海が広がり、左側には寂れた田舎町とその奥に緑茂る山々が見える。

 ぼんやりと海を眺めていると、急に光の向きが変わる。それがひどく眩しいので目を背けて、背けた先に互いの顔を見てたまらず笑い合う。

 そうこうしているうちに、車内アナウンスが流れる。もうすぐ着くと告げられたのは聞き覚えのない駅名だ。それを聞いた少女は席を立って少年の正面に立ち、手を差し伸べる。

「次、降りよっか」

 頷いた特に足が悪いわけでもなく一人で簡単に立ち上がれる少年はその手を取って、そして停車に伴う揺れで二人まとめてバランスを崩した。

 少年は右手を繋いだまま、庇うように背中から倒れた。必然的に少女がそれを押し倒すような形になる。

「…………ごめん」

 少年は顔を少し赤らめて、目を背けて言う。

「……今私が腕の力を抜いたら、どうなるかな?……ふふっ、冗談」

 少女が言うと少年はますます赤くなって、照れ隠しに少女を押しのける。

「ほら、もうドア閉まるよ」

「はいはい。もう、いくじなし」

「意気地無しって……こんな場所で、そんなことする方がおかしいよ」

 いたずらに笑った少女は、渋々といった様子で少年の後ろをついて降車する。その瞬間、まだ七月だというのに真夏もかくやという熱気が二人を迎え入れる。そのまますぐそこにある無人の改札を通って、初めて来るその場所に降り立つ。

 その光景は電車の窓から覗いたそのままだ。山、海、畑、ビニールハウス、ぽつぽつとだけ見える建物。海沿いの辺りだけ建物が多く、どうやら漁港関連の施設に見える。駅の入口には申し訳程度に歓迎ののぼりが立っているが、色褪せて町の名前すらわからない有様だ。

 行くあてもないので、駅から続く唯一の道路沿いに歩く。線路と並行して伸びる道で、右手には線路越しに海が見える。

 踏切を渡ると、真っ白い砂浜が見えてくる。平日の朝ということで少ないが観光客らしき人がちらほらといるのを見る限り、レジャースポットとして有名なのかもしれない。二人は全く知らない。

 なるべく人がいないところを選んで砂浜へ降りていく。さらさらとじゃりじゃりが同居するその地面を踏みしめる度、靴に不快感が溜まっていく。二人とも靴はスニーカーで、特別な対策はもちろん無い。

「あー、もう! うっとうしい!」

 少女がおもむろに叫んで、靴を脱いで放り出す。

「「痛っ」」

 裸足で思いっきり砂浜を踏みつけた少女と、靴が頭に当たった少年である。

「まったく、なんで今日はそんなテンション高いんだ……、あ」

 少年が靴を拾ってわざとらしくため息をついてそう言うのを待たずに、少女は既に海へと駆け出していた。

 ざっばーん!と音を立てて、なんなら自分の口で効果音までつけて少女は海に飛び込んだ。辺りの観光客の視線がそちらへ向くが、全く気にしてもいない様子で仰向けに浮かんでくる。

「ぷか〜」

 などと呑気にしている始末である。当然、替えの服など持ってきていない。

 少年はこういうことには慣れっこである。両手に片方づつ少女の靴を持って歩いていく。波打ち際まで来て、少女を見下ろして……ただし少し視線は逸らして言う。

「……どうすんの」

 主に服のことである。幸いにも、と言うべきか少女の着ている服は濡れても透けるような布地ではなかったが、それでも身体に張り付いて、少年が直視するには少々抵抗のあるような状態になっている。少女はそれに気付いていない。もしくは気にしていない。

「んー、しらない」

「知らないってなぁ……いいからほら、立って立って」

「しょうがないなあ」

 やれやれと言わんばかりに海から上がってくる少女は頭の先までびしょ濡れで、真珠色のワンピースも肩までかかる烏羽色の髪も海水を滴らせて、なんというか。

 少年はなんとなく近くに人がいないのを再確認して安堵する。そのまま手を繋いで引っ張っていく。

「うう、服が重い、べたべたする」

「自業自得だよ。着替え無いよ?」

「だって、海だし。海があったら入るじゃん?」

「全くわからなくはないけど、そういうのって普通足だけちゃぷちゃぷするみたいな感じじゃない? というか、なんで服は気にしないのに靴だけ脱いだの?」

「なんとなく!」

「わ、飛び跳ねるんじゃないよ、水が跳ねる……」

「いいじゃーん、えいっ!」

 少女が少年に抱きつく。いきなりの事で半ばタックルのような勢いだったので少年と一緒にそのまま倒れる。

 電車の時と似たような状況。さっきと違うのは故意であることと、さっきは電車を降りるためすぐ起き上がらなければならなかったが今はその必要が無いということ。それから密着度合い。

 少女は離れる様子もないし、少年も無理に押しのけようとはしない。

 少年は感じる。空の青。潮の匂いとそれに混じった少女の髪の匂い。数滴口に入った海水の塩辛さ。背中の砂浜の熱さ。胸の中の少女の呼吸の音。夏の薄着が、さらに濡れているのも相まってはっきりと伝わってくる体温。そして段々と速く強くなっている、どちらのものかも分からない鼓動。


 柄にもなく、ずっとこのままでいたいだなんて思う。

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