BLOOD RAIN  after pain

黒川 月

『ハイフライ作戦』

 1947年2月、アメリカ軍の『ハイフライ作戦』と銘打った大規模な南極探索プロジェクトは、世紀の大発見を目前にしていた。若き隊長であるアダムによって偶然見つけられた、地下へ緩やかな螺旋状に伸びたその穴は、自然にできたとは到底考えられないものだ。しかし、誰が、何のために。考えても答えなど出るはずもなかった。穴はとても深く、光の届かない世界へと延々と渦を巻く回廊は、天国の階段を降りていくような、奇妙な背徳感に襲われる者も少なくはなかった。隊員の精神面の考慮から、部隊は一日での踏破を断念。少数の部隊によっていくつもの中継地点を築き上げ、およそ半年の月日が経った。ついに穴の最深部へ辿り着こうとしていた。


 三人編成の小さな部隊は、螺旋回廊の第一発見者、アダムがリーダーとして、終わりの見えない暗闇の中を先導していた。三人は時折、なにかの声が聞こえたり、全身をまとわり付くような視線を感じたりもしたが、気が触れていると思われたくはないので三人は胸の内に秘めていはいたが、この回廊の奥には。それが三人の無言の共通認識だった。


「なあ、シンイチ。こんな話を聞いたことはあるか? 南極の地下には巨大な湖が広がっていて、そこには桁違いに大きいキノコが生えているらしいんだ。日本の大きな湖、あれより大きいらしいぞ」


 シンイチと呼ばれた日系アメリカ人の男はライトを足元に向けたまま、深くため息を付いた。


「アダム隊長、ナチスの秘密基地の次はおばけキノコの話ですか。それともナチスが巨大キノコを培養して食料を確保しているとでも言うんですかい? キノコしか食えない生活なんて考えたくもありませんね」


「なるほど、それはいいアイデアだ。一見、無関係のようにも思える都市伝説が、意外なところで繋がっていく。なにかおもしろい話が書けそうだな」


「この作戦が終わったら、小説家にでも転身してみますか? アダム隊長」



「みんな、行き止まりだ」


 二人の話を遮るように、部隊のもうひとりのメンバーが強い口調で叫んだ。長い長い螺旋回廊は遂に終着点へと辿り着いた。目の前には分厚い氷の壁。三人は上に下に、くまなく辺りを見回してみたが、先へ続く道は見つからない。アダムは肩を落とした。 





「みんな、ここまでのようだな。ここが螺旋回廊の中心、つまりこの穴のゴールだ」


 シンイチは穴の探索に費やした全てが、徒労に終わる事を認めたくはなかった。


「この氷の奥になにかあるかもしれない。アダム隊長、掘削してみてはいかがでしょうか」


「無理だな。ここまで掘削機を持ち込むだけでも大変だし、落盤の危険もある。第一、これ以上何があるかわからない穴の探索を上層部が許可するとは思えん。苦労してここまで来たんだ、未知の宝物や地下世界ぐらい広がってくれていると思っていたが、真実はいつも我々の期待に答えない。現実は退屈でつまらないものだな」


 ため息をつくアダム。落胆した彼を余所に、もうひとりの隊員は注意深く周囲を見回していた。


「隊長、落ち込むのはまだ早いですよ。足元に小さな穴があります。この穴をよく見てください。。螺旋回廊はまだ終わっていません。」


 隊員の声に理性を取り戻したアダムは、懐中電灯で照らされた穴を覗き込んだ。




「まだ、螺旋は続いているのか」



 ――The abyss gazes also into you.



 何かが見ている。


 穴の奥から。


「何だか、深淵を覗いているみたいですね」


 瞳が見える。何かが聞こえる。声――声?


「ニーチェの言葉でこういうのがある」


 穴を除いたまま動かなくなったアダム。心配そうにするシンイチに対して、もうひとりの隊員が言った。


「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」









 それから一週間後、米軍は突然『ハイフライ作戦』の中止を発表、作戦中に起きた不慮の事故により、が出たと発表されたが、事故の詳細について知らされることはなかった。




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