短編「隔離された僕の部屋」

名無しのGさん

独白

「嫌いじゃないよ」なんて言葉で僕を惑わさないでほしかった。

 一人、史実の薄い布団の中でぐるぐると行き場のない感情に名をつけようとしたら、虚しさとか寂しさとか、孤独感だとか、げんなりするようなものにしかならなかった。「あの日」から一ヶ月経つ。僕はまだ「あの日」から動き出せていない気がする。

 夜は、一層寂しい気持ちになる。あの人がもういないのを改めて突きつけてくる気がする。ねぇ、なんであなたは僕に優しくしたの、なんて被害者ぶる気は無いけども、恨み節を吐く相手はもう手の届くところにいない虚しさとも相まって、ひどく寂しかった。

 寂しい気持ちは日常でごまかして過ごしていれば、何でも無いような気がしていたのに。夜は嫌いだ。聞かなかったことにしたい言葉も容赦なくリフレインして、ナイフみたいに頭の中を刺してくる。


 あの人は、僕のことは別段好きでも何でもなかったんだろう。ただ、何とも思っていなかったから、だから優しく出来たんだろう。「嫌いじゃないよ」と言う時、必ずあの人は目を伏せて僕の顔を見ることはしなかった。口元に微笑みをたたえて。本当に、際限のない優しさを感じさせる微笑みで。


 本当に、好きだった。

 花のほころぶような笑顔だとか。女性の中でも背が高くて、着たい服が着られないとぼやく姿だとか。意地悪な顔をして、スガイ、と僕の名前を呼ぶ声だとか。

 僕は、ズケズケと物を言う性質だったし、あの人が間違ったことを言ったと思ったら先輩後輩なんて気にしないで意見をぶつけていた自覚がある。あの人はそれを受け止めてくれる人だった。誰にでも優しくしてるところと、過度に当たり障りなく接しようとするところが死ぬほど嫌いだったけれど、嫉妬みたいなものもあったんだと思う。僕は何でも良いから、あの人の一番でいたかった。


 ……一番でいたかったけれども、どうしたら、あの人の一番になれたんだろう。

 その答え合わせも出来ずに、彼女は手の届かないところへ行ってしまった。

 享年25歳。進行の早い何かで、病死。詳しいことは知らない。聞きたくなくて耳をふさいでしまったから。


 遺影の写真は場違いみたいに明るい笑顔の写真で、初めて見る寝顔は色とりどりの花に囲まれていた。現実味がないまま通夜も葬式も終わって、それから一ヶ月が過ぎているのに、もうあの人に、言葉の意図について答え合わせが出来ないのをふとした時に延々と考えている。

 告白したら、また違った気持ちでいられたんだろうか。

 嫌いじゃないよ、と言われた時にその意図を問いただしていれば違ったんだろうか。

 このやるせなさだとか、虚しさだとか、今抱いているあの人への自分の気持ちだとか、この先の人生で段々薄れて消えてしまうんだろうか。取るに足らない会話の記憶も、亡くしてまだ間もない今はキラキラ光って見えるけど、そのまま電池が消えるみたいに、もしくは色あせて読めなくなる文字みたいに、なくなってしまうんだろうか。


 夜は、一層寂しい気持ちになる。

 これから、これからのことを考えなければと思うのに、夜が僕に前を向かせてくれない。


 ため息がもれる。一人の部屋では、それすらも大きい音に聞こえた。


 僕は今夜も一人で、あの人のことを考えている。

 夜が明けるまで、あの人の優しさと、虚しさを噛み締めている。

 夜は、僕はあの人の記憶と一緒に、どこか社会とは隔離されている気がする。センチメンタルが過ぎる思考だ。考える時間が与えられる、静かな夜が僕は嫌いだった。きっとあの人が見たら、困ったような顔をして「元気だして」なんて無責任に言うんだろう。都合のいい妄想だけど。


 隔離された僕の部屋で、たしかに、僕はあの人を想っていた。愛情を問うにはあまりに遅すぎたけれど、代わりに噛みしめるようにあの人のことを、動けなくなるような痛みと一緒に、思っていた。

 それでも睡魔が襲ってくると、何もかも、意味がないような気もして。

 会いたいと素直な気持ちになれるのはきまって、さんざん思い悩んだ後の朝だった。

 だから、夜に情緒がめちゃくちゃになって色々と考えた後、少し落ち着いてきた頃に、なるべく気にしないで目を閉じることにしている。なるべく、なるべく。


 林檎に例えるなら、青いまま落ちて、地面で甘く熟れていくのをただ見ているような恋だった。

 あんな言葉も、こんな言葉もと、あの人が残したものが優しさに見えるから、虚しさばかりがこの部屋に溜まっていくのだろう。

 灯りが揺れる。ベッド脇のライトがぼやけて見える。嗚咽を堪えながら、僕はまたこの部屋で感情に振り回されている。

 愛情を問うにはあまりに遅すぎた。さよなら、さよなら。優しすぎた人。


 今夜こそは、夢であの人に会える気がして、目を閉じる。

 拙い思いの処理を、誰かに教えてほしかった。


 こうやって夜は更けていく。

 おやすみ、と言っても、当然一人の部屋で返事は無かった。


 <了>

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短編「隔離された僕の部屋」 名無しのGさん @garana16

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