第56話 殺気のすゝめ

 あ、あぶなぁ……


 マキは充血させた目をピクピクさせ、口元を手で押さえながら深呼吸を繰り返す。


 も、もうちょっとで『はんばぁがぁ』全部出てくるところだった……。せっかく美味しく食べたのに地面にあげちゃったらもったいない! あぁぁぁ、なんとか収まった……


 少しだけ落ち着きを取り戻したマキは、まだ充血したままの目で赤髪の忍を伏し目気味に見る。


「い、いまのは、いったい何を……」

「ふむ。気を失わずに耐えたか」

「い、いや、そういう、ことじゃ……」


 少し歯切れの悪い反応をするマキ。赤髪の忍を見る目には恐怖の色が混ざり、ピクピクさせているのは目だけでなく、体も少しこわばらせていた。


 な、なんだろう。なんで私、震えているの? 吐き気は収まったはずなのに、なんでまだ心臓がバクバクしているの? し、忍さんがなんか怖い……、苦しい……。


 マキは見えない恐怖を感じて下を向く。再び呼吸が荒くなる。


 い、息が……、できっ――痛ったぁぁぁ!!


 浅い呼吸を繰り返していたところへいきなり頭部に強烈な痛みが走る。一気に息を吐き出したことでマキの呼吸は強制的に落ち着いた。


「ようやく落ち着いたか」


 涙目ながらにマキが前を向くと、すぐ目の前で赤髪の忍が手刀を構えていた。


「い、いきなり何するんですかぁ!!」

「落ち着かせた」

「雑ぅ~! もっとやり方があったでしょうがぁあ!」

「知らん。動転した奴は気絶させるのが一番早い。気絶しなかったのは単にマキが頑丈だったというだけだ」

「嬉しくないわぁ!」


 頭をいたわりながら赤髪の忍をにらみつけるマキ。


「そんなことより――

「そんなことじゃないわぁ!!」


 頬をパンパンに膨らませ、マキはひたすら睨み続ける。赤髪の忍はただ無言で視線を返す。


 むーー……、ううっ……


 膨らんでいたマキの頬が急激にしぼんだ。マキは寒気を感じて唇を震わせる。


 な、なんで? いつもの忍さんのはず。いつも通りただ無関心な目を向けてきている。ただそれだけ。分かってる。なのになんでこんなに怖いの? 怖いと思ってしまうの? 見られているだけで、まるでずっと上から押さえつけられているみたいな……、ん!?


 目の焦点が合わない様子のマキだったが、朧気ながらも手刀の影を瞳が捉えた瞬間、頭の上に両手を乗せて防御姿勢を取る。


「なるほど。一応最低限の冷静さは残っていたか」


 顔の横に手刀を構えたまま、赤髪の忍は感心したかのような言葉を発する。


「あ、あの。とりあえず、ちゃんと守る姿勢は取ったので、叩かないでください、ね?」


 頭に手を乗せたまま涙目で訴えかけるマキ。


「あぁ。もう落ち着いたようだしな。仕掛ける意味がなくなった」


 赤髪の忍がすっと手を下ろした。


「あ、あの。結局私は何をされたんですか?」


 改めてマキは少し怯えながら尋ねる。


「俺の魔力を直接ぶつけた。まあ簡単に言うと殺気を放った」

「殺気?」

「あぁ。とりあえずこれから話すことも――

「またどうせ、俺の解釈だ~ってことですかね?」

「ほう。中々察しが良いな」

「それはどーもー……ん?」


 あれ? よくよく考えたら今日結構褒められてない!?


 気付いたマキはにんまりとする。


「へへっ。もっと褒めてもらっ――

「まず気配についてだが……、ん? どうかしたか?」

「あ、いえ。どうぞ続けてください」


 無表情になったマキは続きを促す。


「気配。それは武人達が敵を察知する上で必要とする要素だ」

「ふむふむ」

「気配とは要するに、人等の個体が自然に垂れ流している魔力といったところだ」

「いや、『垂れ流す』って」


 なんでちょっと汚ならしい感じで言うの!


 マキは心の中だけでつっこむ。


「つまり希薄であるとはいえ、マキも垂れ流している」

「いや、あの、私が汚いみたいな言い方やめてもらえません? それを言ったら忍さんだって垂れ流しですよ!?」

「あぁ。おそらく完全に気配を断つことはまず難しいだろう。みっともない話だが」


 まさかの、私だけを罵倒するどころか、忍さん的には人類皆汚らわしいみたいな壮大な考えだった!?


「じゃあ、その、気配と殺気は何が違うんですか?」

「本質的にはさほど変わらない。殺気は結局のところ気配だからな。意図的に放つ強い気配が殺気だと思えば良い」

「つまり強い気配を感じただけで私は意識を失いかけたんですね……」

「そうだ」

「なんか、情けないですね」

「他者の魔力を浴びれば、多かれ少なかれ不快感は覚える。それ自体は正常な反応だ。特に今回のは確実に魔力酔いを狙って浴びせたものだからな」


 赤髪の忍の言葉を受け、やるせない気持ちから解消されたマキは納得の表情を浮かべたが、少し引っかかることがあった。


「ちなみに意図的に魔力をぶつける戦術は普段から使うんです?」

「ああ」

「へぇ~。でもそれってなんか、回りくどくありません?」

「なぜそう思う?」


 顎に人差し指を置くマキ。


「え? だって、自然に垂れ流すならともかく、わざわざ魔力をぶつけるくらいなら、その魔力で普通に魔法を使った方が良くないです? 気配って言っても目に見えないし、それよりも確実に……ひゃっ!?」


 マキは不意に、赤髪の忍から少し鋭い視線が送られたように感じて思わず身構えた。


 ど、どうしたの、私? 忍さんは別に今何もしていない。そんなこと分かっているのに、体が勝手に反応しちゃう……


 ビクッとなるマキを見て、赤髪の忍も顎に手を置く。


「ふむ。その反応を見るに、どうやら少々刺激が強かったかもしれない」


 マキは機嫌を伺うよう、一歩引いた目で赤髪の忍を見つめる。


「ただ、ある意味今のマキの反応こそが先ほどの問いに対する答えと言える」

「……え?」

「殺気を駆使することで、精神的に敵を追い詰めることが可能だ。ところで、いつまでビクついているつもりだ?」

「ひゃっ!?」


 赤髪の忍はただ視線を送っただけで決して睨まれたわけではないが、マキはまたもや過剰に反応する。


「だって……」

「仕方がない。今日はもう終わりにして、宿と飯を確保――

「ありがとうございます!」


 マキの目に輝きが灯る。不安の色は嘘のように消え去った。赤髪の忍は不審な目でマキを見る。


「そんな急に立ち直るとは驚いた」

「いやぁ、なんか急に元気が出て、温かい気持ちになりまして~」

「その神経の太さがあれば、そもそもあの程度の殺気ぐらい耐えられそうなものだが」

「むっ……」

「まあそんなことはいいが」


 ……私の不満は滑らかに流されるね。そして、話も終わらないのね。


「殺気は対象者に浴びせることで効果があるものだが、あえて隠すことで敵の動揺を誘うという使い方も出来る」

「え? どういうことです?」

「直近でいくと、斬原と対峙した時が良い例だ」


 おぉ! あのやべぇ人!


「あの人、殺気が凄かったですよね!」


 マキは斬原のことを思い返し、うんうんと頷く。


「マキにはさほど影響していなかったと思うが?」

「え? そんなことありませんよ? だって目がヤバかったですもん、目が! あれこそ殺気って感じですよ、今思えば! すごく怖かったですし」

「それは単に、斬原の表情にマキがおののいただけだ。奴の殺気をマキが浴びていればまず気絶していただろうが、あの時は俺だけに向けられていた」

「えぇー。どう考えても殺気を撒き散らしていたようにしか思えませんが。忍さんだけに向けるだなんて、冷静じゃないと出来なさそうですけど、全然そんな風には見えませんでしたよ?」

「ああ、そこはやや疑問だ。取り乱しているように見えて意外と冷静だったのか、ただマキが眼中になかっただけなのか」


 なんでまた嫌な言い方するのさ!


「はいはい、私が眼中になかっただけですよー。じゃあもうこの話は終わりにして戻りますよ」

「ああ、そうだな」


 マキは強引に話を終わらせた。

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