第5話「あ、いや、はははは。その、日記でして」


 女の子が目の前までやって来ると、シュネーはしゃがんで目線を合わせる。


「あのねあのね! これ、採れたの!」


 女の子はそう言うと、手に持っていたロエの葉をシュネーに差し出した。


「立派に育ちましたねぇ」

「うん! 毎日ちゃんとお世話したの!」

「おお、えらいです」


 シュネーはロエの葉を受け取ると「えらい、えらい」と女の子の頭を撫でる。

 それから、その手で鞄を開けて、中からランプを一つ取り出した。

 花と星の描かれた装飾が施されたランプだ。シュネーはランプの蓋を開けると、中にロエの葉を入れた。


 スタッグが何をするのかと不思議そうに見ている中、シュネーはランプの蓋を閉め、ノックをするように手の甲で軽く叩く。

 すると、カンカン、と金属の音がして、ランプから細長い棒が飛び出した。どうやって収納されていたのか、ランプはまるでロッドのように変化する。ロッドの先端で、ランプが太陽の光に照らされ煌めいた。

 シュネーはそれを持ったまま息を吸う。

 そして真っ直ぐに女の子を見つめ、


「其の記憶に残留する我が存在を魔力とし」


 と、言葉を紡ぎだした。

 不思議な響きを持った言葉だとスタッグは思った。

 何を言っているのかは分かる。だが、その響きがまるで、洞窟の中で話すように、反響している。

 不思議で、綺麗な音だ。

 そしてこれが魔法を使うために必要な言葉であるとスタッグが気付いたのは、それから直ぐだった。


「精霊の祖よ、我が願いを聞き届けたまえ」


 シュネーの言葉に呼応して、女の子の身体から銀色の光の粒が飛び出した。

 それはキラキラと輝きながら、ランプの中に飛び込ぶと、火のように灯る。そしてロエの葉を燃やした。


「――――」


 スタッグは息を呑んだ。美しい、と思ったのだ。

 ランプの中でロエの葉が燃える度に、金色の光の粒が生まれる。キラキラ、キラキラと。

 そしてその光は煌めきながらランプの外へ飛び出すと、女の子の腕――――火傷を負った箇所へと、サラサラと降り注いだ。

 すると。

 女の子の腕の痛々しい火傷痕が、みるみる内に消えて行くではないか。

 ゆっくりと、だが確実に、元の肌を取り戻していく。


――――これが、魔法。

 魔法を目の当たりにして、驚くスタッグの目の前で。

 やがてランプの火は消えて、光も女の子の腕に全て収まった。

 

 光が消えたあと、女の子は少しぼうっとした表情をしていた。

 それから目をぱちりと瞬くと、辺りを見回す。それから不思議そうにシュネーを見上げた。

 先ほどまでの懐っこい表情は消え、まるでシュネーを初めて見た様な、そんな顔をしていた。


「えっと……?」


 やや戸惑いながら、女の子がそう言うと、シュネーはにこりと笑いかける。

 そして、


「落し物を届けてくれたんですよね。ありがとうございます」


 と、言った。思わずスタッグが「え?」と疑問の声を上げる。

 だがそんなスタッグを他所に、女の子の方は合点がいった顔になる。

 そして「えへへ」と照れたように笑うと、ばいばい、と手を振って走って行った。

 手を振り返し、見送りながらシュネーは立ち上がる。

 スタッグはシュネーと、走って行く女の子の背を交互に見ながら、躊躇うように口を開く。


「今のが魔法、ですか」

「はい。見るのは初めてですか?」

「ええ」


 スタッグは素直に頷く。

 そして、気遣わしげな眼差しをシュネーに向けた。


「魔法のエネルギーは記憶だと、シュネーさんは言ってましたよね」

「はい」

「記憶を使った後は、どうなるんですか?」

「使ったら、なくなりますから、忘れちゃいますねぇ」


  シュネーがそう言うと、スタッグは少しだけ間を開けて、

 

「……寂しくは、ないですか?」


 と聞いた。否、聞くというよりも、心配しているような意味合いの方が強い。

 シュネーは思わず目を見張る。寂しくはないかと、初めて誰かに聞かれたからだ。


 寂しい。

 それはシュネーがずっと――――魔法に関わるようになってからずっと思っている言葉だ。


 魔法を使えば、記憶は消える。忘れ去られる。それは魔法の仕組みで、魔法使いならば当たり前の事だ。

 それを寂しいと思っているのは、もしかしたらシュネーだけなのかもしれない。

 寂しいと思う事こそ、魔法使いとしておかしな事なのかもしれない。 


 だが寂しい。今も、昔も、ずっとそれが寂しい。

 師匠が生きていた頃は良かった。兄弟子がいた頃は良かった。

 だが一人になって、こうして暮らしていると、無性に思うのだ。

 寂しいと。忘れられることが、たまらなく寂しいのだと。


 長い、長い沈黙だ。スタッグは長い前髪に覆われた向こうの目で、シュネーを静かに見つめている。その目は見えなかったが、心配してくれている、というのはシュネーには分かった。

 シュネーはそんなスタッグに、どう返して良いか分からなくて、曖昧に笑った。それをスタッグの問いの答え代わりにした。

 誤魔化したと、伝わったかもしれない。スタッグは、それ以上は聞かなかった。



◇ ◇ ◇



 その夜。

 シュネーは街で購入した素材や、畑で育てている薬草を、薬研でそれぞれ擦り潰していた。

 スタッグに掛けられた石化の呪いを解除するために使用するものだ。

 ごりごり、ごりごりと一定のリズムで薬研を動かす。傍から見ると簡単そうだが、これが意外と力がいる。

 だが、シュネーはこの作業が結構好きだった。何というか、無心になれるのだ。

 余計な事を考えなくとも良いし、その逆で考え事をするにももってこいなのである。


 さて、そんなシュネーの近くでは。

 スタッグが手帳のようなものに、何やら書き物をしていた。

 見た目は古いが、大事に使われているのがよく分かる手帳である。

 ふと何気なく向いた時に気になって、シュネーは何だろうかと訊ねてみた。


「スタッグさん、何を書いているんですか?」


 純粋な疑問だった。話題のきっかけ、という奴かもしれない。

 シュネーに聞かれたスタッグは顔を上げ、頭の後ろに手を当てた。


「あ、いや、はははは。その、日記でして」

「日記?」

「ええ、僕の趣味なんです。結構楽しいですよ」


 そう言ってスタッグは笑う。

 日記、と聞いて、シュネーは昔の事を思い出した。

 師匠と、兄弟子と三人でここで暮らしている頃、シュネーも日記を書いていた。

 日常の些細な事、嬉しい事、楽しかった事。そんな事ばかりをシュネーは日記に書いていた。

 悲しい事や辛い事を書いても、思い出して苦しいだけだ。なら、読み返して楽しいくらい、ワクワクする日記を書こう。それがシュネーの師匠マルコの教えだった。

 シュネーは毎日色々な事を書いた。気付けば何冊も、何冊も日記は溜まっていて、本棚の一列を占拠していたものだ。


 だが、師匠が亡くなってから、シュネーは日記を書くことを止めた。

 悲しかったし、苦しかった。そして何より、忘れられる事が多くて、そればかりが頭の中に浮かんで。

 ――――読み返して、思い出すのが辛くて、だんだん書くのを止めてしまったのだ。


「あ、僕が日記を書くの、意外でした?」

「いえ。私の師匠も言っていました。ワクワクする日記を書こうって」

「ワクワクですか」


 良いですね、とスタッグは頷く。

 そう言えばスタッグは海賊なのだったな、とシュネーは思い出した。


 海賊は海を渡り、様々な場所を冒険する。漠然とではあるが、シュネーは海賊にそんなイメージを抱いている。

 最も、それは娯楽本から得た知識だ。師匠からオススメされた本の何冊かに描かれていた海賊は、そんな感じだったのである。

 もちろんシュネーも海賊が善人である、とは思っていない。でなければ軍に追われたりはしないし、悪評が風に乗って届く事もないだろう。


 スタッグがどうかと言うと、今一つ判断は難しい。

 だがシュネーにはスタッグが完全に悪人だとは思えなかった。

 装っているのかもしれない。だが自分を気遣ってくれたあの言葉は、偽りばかりではないはないと、シュネーは信じたかった。

 良い人だ、と思った自分の心を信じたいと思ったのだ。


 さて、そんなスタッグだが。

 海賊だと言う彼もきっと、様々な場所を旅してきたのだろう。海を越え、冒険し、色々な体験をしているのだろう。

 そしてそれが、スタッグの日記には詰まっているのだろうな、と思った。

 想像して、それは素敵な事だとシュネーは素直に思った。本音を言えば、少し羨ましくもある。


 シュネーは家を出て、旅をするという考えはなかった。

 師匠や兄弟子と暮らした家を放って行く事は出来ないし、仕事もある。魔法が使える限りは安定した生活だ。

 それを捨てて――――何より、思い出が詰まったこの家を捨てて旅に出る事が、シュネーには少し怖い。

 そして、ここにいる限り、誰かには忘れられないという確信もあるからだ。


「……これに書いておけば」


 そんな事を考えていると、スタッグはそう言って手帳の方を向いた。

 つられてシュネーも手帳に目を向ける。


「魔法を使っても、僕、忘れないんじゃないですかね!」


 スタッグはそう言うと顔を上げ、シュネーに笑いかけた。

 思わず心臓が鳴った。

 日記に書いておけば、忘れないのではないか。そうスタッグは言ってくれたのだ。

 一瞬、息苦しくなった。喉元が苦しい。

 シュネーは瞳の奥にこみ上げてくるものを感じながら、それを必死で隠して、くしゃりと笑い返す。


「だと、いいですね」


 そう答えるのが精一杯だった。それ以上言えば、言葉の代わりに別のものが出てしまう気がしたのだ。

 スタッグは「はい!」と力強く頷く。

 それから再び、手帳に目を向け、ペンを動かす。

 シュネーはそれを見ながら、一度大きく息を吸って、薬研での作業を再開したのだった。

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