第3話「私は割とどうでも良いです」
翌朝、シュネーはいつもより早く起床していた。
これは単純に、自分とスタッグの食事を用意するからである。
シュネーは数年前までは、彼女の師匠と兄弟子のコールマンと三人で暮らしていた。
だが師匠が亡くなり、一緒に暮らしていたコールマンも王都へ移り住んだため、現在は一人暮らしだ。
一人分の食事を用意するのと、二人分の食事を用意するのとでは、掛かる時間も少し違う。
ついでに言えば、スタッグの昨日の食べる量を見て、多めに作った方が良いのでは、とも思ったのも早起きの理由の一つである。
さて、そんなこんなで、シュネーは朝食を作っていた。
と言っても、それほど手の込んだものではない。
焼き立てのパンに、焼いたベーコンと目玉焼き。それと昨日のスープの残りを温め直したものである。
シュネーはどちらかと言うと、シンプルな料理を好んでいた。
もちろんレストランで食べるようなお洒落なメニューにも憧れはあるが、あれはハレの日などの特別な時に食べるから良いのだ。
毎日食べたら飽きてしまうし、せっかく美味しい料理ならここぞと言う時に食したい。もちろん懐事情次第ではあるけれども、シュネーはそういう風に考えている。
「そう言えば、コールマン兄さんは、ちゃんと食事を摂っているかなぁ……」
ジュウジュウとベーコンと目玉焼きが焼けるのを見ながら、シュネーはふっとそんな事を思った。
シュネーの兄弟子は偏食ではないが、勉強や仕事など、何かにのめり込むと食事を疎かにしがちだ。
一緒に暮らしていた頃は、師匠やシュネーが、一向に食事にやって来ないコールマンを引っ張って連れて来ては食べさせていた。
けれど、今は離れて暮らしているので、ちゃんと食べているかどうかはシュネーには分からない。
ただそんなシュネーであっても、コールマンが仕事で忙しくしているのは分かるので、食事に誘ったり、手紙で食事について書いたりしていた。
煩いかなとも思ったし、コールマンにも「夢にまで出てきた」と言われたが、それよりもシュネーは兄弟子の健康の方が心配だったのだ。
その成果が出たか、出ていないかは判断が難しい所だが、昨日見たコールマンの顔色は良かった。なのでひとまずは安心である。
……まぁ、シュネー自身、べえべえ泣いてぼやけた目で見たものだったので、若干断言はしづらいのだが。
そんな事を考えている内に、ベーコンと目玉焼きは焼き上がった。目玉焼きは、カリカリに焦げすぎていない、シュネー的には良い焼け具合だ。
上手く出来たと、シュネーが「よし」と小さくガッツポーズをしていると、
「ああ、おはようございます、シュネーさん」
と、スタッグの声が聞こえた。振り向くと、やや寝ぼけ眼のスタッグが、のんびりとした笑顔で立っていた。
「おはようございます、スタッグさん。身体の方はどうですか?」
「ええ、すこぶる良いです。久しぶりに、ちゃんとしたベッドで寝ることが出来たので、体が楽ですね」
そう言って、スタッグは左腕をぐるぐると回す。確かに、無理をしてる風にはシュネーには見えなかった。
だがやはり気になるのは、バジリスクにやられた右腕だ。
「腕の方はどうですか?」
「シュネーさんが応急処置をしてくれたので、ありがたいことに、あまり進んではいませんね」
スタッグは右腕を持ち上げ、巻いてある包帯を取ってシュネーに見せた。
するすると取れた包帯の下から、石化している腕が現れる。その腕にはシュネーが調合した塗り薬が塗られている。その薬が緑色をしているため、スタッグの腕は年季の入った石像のようになっていた。
シュネーはそれをじっと見る。スタッグ本人の言う通り、昨日よりもさほど進行はしていないようだ。
薬が効いた事にシュネーは「良かった」とホッと息を吐く。
「それでは、朝ご飯を食べましょうか。それから必要なものを揃えに行きましょう」
「そうですね、いやぁ、楽しみです」
「?」
「シュネーさんの料理美味しかったので、昨日の晩からワクワクしていました」
そう言ってスタッグは笑う。
真っ直ぐに作った料理を褒められたので、シュネーはちょっと照れて、
「おかわり大丈夫ですよ」
なんて笑って言った。
◇ ◇ ◇
シュネーとスタッグが朝食を終え、出かける準備をしていた頃。
不意に、玄関のベルが鳴った。
この時間に誰かが訪ねてくるのは珍しい事である。
ずいぶん早い時間にお客さんだなとが思いながらシュネーが玄関に向かうと、ドアの向こうには兄弟子のコールマンが立っていた。
コールマンはにこやかな笑みを浮かべると、軽く手を挙げる。
「やあ、おはようございます、シュネー」
「おはようございます、コールマン兄さん。兄さんがこんな時間にやって来るなんて、珍しいですね」
「ええ、シュネーに用事がありまして……ん?」
ふと、コールマンの視線が、足下に向いた。
見ればそこにはサイズの大きな靴跡がある。恐らく、スタッグのものだろう。
昨日はてんやわんやでシュネーは気づかなかった。
「……おや、誰か来ているのですか?」
「あ、ええ、依頼者です。薬の方の」
「ふうん」
シュネーが頷くと、コールマンは目を細めた。何かを思案している顔だ。
何だろうかとシュネーが首を傾げていると、コールマンは懐から封筒を一通取り出し、
「となると……この依頼は後回しですね」
と言った。それを見てシュネーはこくこく頷く。
「あ、そうですね!」
弾むように言ってしまったシュネーに、コールマンは苦笑する。
しまった、とシュネーは思ったが、コールマンは特に咎めるような事はなかった。
コールマンは基本的に優しい。仕事上では厳しいところはあるし、手を抜く事はないがシュネーを気遣ってくれる。特に、シュネーが仕事を終えた帰りは、コールマンはいつも付き添ってくれていた。
シュネーが魔法を使うこと――――というより、相手から忘れられる事が嫌だと知っているから、無理な数の依頼も持っては来ない。本当に必要な分だけしか、コールマンはシュネーに魔法の仕事はさせないのだ。
シュネーもそれは分かっている。コールマンが持ってくる魔法絡みの仕事の大体は、魔法を使う必要があるものだけだ。そうでないものはコールマンは突っぱねている。
だから依頼を断る口実が出来た事を、おおっぴらに喜ぶのは兄弟子に申し訳ない。
……と思っていたのだが、今回はうっかり口が滑ってしまった。
昨日、依頼を終えたから余計にそうなのかもしれない。
「……ごめんなさい」
気が付いてすぐにシュネーは謝った。
コールマンはしゅんとしたシュネーを見て目を瞬く。
「いえいえ。前の依頼が終わったばかりでしたからね。私も持ってくるタイミングが早すぎました」
そして、右手をシュネーの頭をポンポンと弾ませた。
その手が優しくて、シュネーが見上げるとコールマンは柔らかく微笑む。
しばらくそうしていると、コールマンの眼鏡がキラリと光る。
「ところで。こうしていますと、何だかもっふもふした犬を撫でている気分になってきますね」
「犬」
「小型……いや、中型……待て、もしや大型……?」
コールマンは腕を組み、ふむ、と考え始める。大方、頭の中で、図鑑に載った絵とシュネーを比べているのだろう。
「いっそ横に並べるか!」
「並べられても!?」
良いアイデアだと言うように、変な事を思いついたらしいコールマンに、シュネーは思わずツッコミを入れる。
「いやしかし、お前が小型なのか中型なのか大型なのか判別したいのです」
「私は割とどうでも良いです」
「そんな!?」
頭に石でも落ちてきたかのように、コールマンがショックを受けた顔になる。
コールマンは肩を落としながら「絶対かわいいのに……」などと呟いていた。シュネーの兄弟子はたまにこういう所がある。
見ていたら、何だかおかしくなってきて、シュネーは笑う。
コールマンはそれを見ると、小さく笑って、眼鏡を押し上げた。
「ああ、そう言えば」
「はい」
「最近この辺りで、手配されている海賊を見かけたという話があるのです。シュネーも気を付けて下さいね」
海賊と聞いて、シュネーは内心、ギクリとした。
手配されているかどうかは分からないが、海賊と名乗った人物は家にいる。
だが。
シュネーはスタッグの依頼を受けたのだ。自分の意志で一度受けた依頼を、勝手に放り出すつもりはシュネーになかった。
だからシュネーは、
「はい」
と、しっかり頷いた。兄弟子に嘘を吐く事には心が痛んだが。
「良い返事です。……では、私は行きますね」
「仕事ですか?」
「ええ。こき使う事だけは上手くなっているんですから、たまりませんよ」
「あはは……いってらっしゃい、兄さん」
シュネーがそう言うと、コールマンは懐かしそうに目を細め「行ってきます」と帰って言った。
「…………」
足音が遠ざかり、続いて馬車が走り出す音が聞こえる。
音が完全に聞こえなくなってからシュネーはドアを少しだけ開けて、外の様子を覗く。
そこに誰もいなくなった事を確認すると、シュネーはホッと息を吐いた。
「お兄さんですか?」
「わあ!」
そうしていると、背後から声を掛けられた。出て来る頃合いを見ていたのだろう、タイミングが良い。
シュネーはドアを閉じると振り向く。そこにはスタッグが立っていた。
「ぴったりですね」
元の服が乾くまではと、貸した師匠の服はスタッグに似合っていた。
シュネーの師匠はスタッグのように大柄だったのが幸いである。
何だか師匠がいるみたいだな、とシュネーが思っていると、
「ええ、ぴったりです」
と、スタッグもにこにこ笑った。
だが見えるのは口元だけだ。前髪が長くて、顔が見えない。
「前髪、長いですね。良かったら切りましょうか?」
意外と得意なんですよ、とシュネーが言ったが、
「えっ! あ、いえいえ、これはこのままで! 大丈夫! 大丈夫です!」
とスタッグには断られてしまった。
むしろ前髪だけは絶対に上げるものかと、手で死守までしている。
そこまで拒むには何かしら理由があるのだろう、シュネーはそこで引いた。
「……あ、ところで、今の方は?」
「あ。えっと、兄弟子のコールマンです。仕事の上司でもありますね」
「へぇ、となると魔法使いさんですか!」
「ええ。専ら魔法を使うのは私ですけれど」
答えるシュネーにスタッグは目を瞬いた。
「そうなんですか?」
「ええ。私たちの魔法は、魔力――――エネルギーとして相手の中にある記憶を使うので。仕事上に相手の記憶に、残っていないと困るから」
「へえ」
魔法について話すと、スタッグは何度か頷いた。
それから「ん?」と首を傾げる。
「魔法のエネルギーって、記憶なんですか?」
「はい。正確には、魔法を掛ける相手の中に残る、自分の記憶ですね。魔法はそれを魔力に変換して使うんです。あとは素材とかも必要なんですけど……まぁ、魔法を使う内容が一緒なら、一人の記憶で、魔法の効果の範囲を広げる事くらいは可能ですけね」
淡々と答えるシュネーに、スタッグは何か言いたげに口を開き――――閉じた。
何か言いかけていたが、聞かない方が良いのだろう、とシュネーは思って、
「それでは、準備が出来たら出発しましょうか」
と言うと、スタッグは「そうですね」と頷いたのだった。
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