木瓜(ぼけ)の花
URABE
木瓜(ボケ)の花
子どもの頃の記憶なので、いつどこで見た景色なのかハッキリとは覚えていないが、場所は山奥の田舎にある集落だった。季節は真冬で雪が積もっている。そんなシンとした寂しい空気のなか、まるで季節を間違えたかのような場違いな景色を見た。
わたしの目の前には、真っ赤な花の咲く一本の木が生えている。肉厚な花びらの上には白い雪が覆いかぶさり、雪の半分は透明に凍っている。辺りの景色はモノクロで、「色」といえば田んぼや枯れ木の乾いた茶色と、重く降り積もった雪の白さしか見えない。
なのにタイムスリップでもしたかのような、違和感のある真っ赤な花とつぼみがここにある。
木や花というのは春に咲くものだと思っていたわたしは、生命が眠るこの時期になぜ、こんなにも生命力あふれる色が目の前にあるのか理解できなかった。
わたしは目の見えない父に話しかける。
「真冬なのに赤い花が咲いてるよ」
すると父はこう答えた。
「それはきっと、木瓜(ボケ)だな」
ボケの中でも寒木瓜(カンボケ)と呼ばれる品種があり、字のごとく12月頃に開花するのだそう。厚みのある花びらが幾重にも折り重なる様子は、さすがバラ科バラ属の血筋である。さらに花後には青い実をつけ、果実酒やジャムとして食卓に上がる。
しかしよりによって大地が死んでいる冬に、こんな見事な花を咲かせる必要はないだろう。見事といっても「華やかでゴージャス」というわけでもない。ボケの幹はゴツゴツしており、太さこそ足りないが「小さな桜の木」といったイメージ。葉は厚みのある濃い緑色で、華奢な雰囲気はまるでない。花の咲き方も梅に近く、「派手」とか「きらびやか」とは言い難い。
そんなボケの花言葉は「平凡」「退屈」という、それこそ平凡すぎてかわいそうな表現だったりする。だが申し訳ないが、この花言葉を聞いて「なるほど」と思ってしまうのは、わたしだけではないはず。
バラ科でありながらバラのような華やかさはなく、ユリのような威厳も、カスミソウのような可憐さも、ヒマワリのようなエネルギーも感じられない。ただ地味に、枯れた大地に根を張り静かに咲いているだけで。
このボケの花を思い出したのは、とある友人の姿がきっかけだった。彼女はお世辞にも華麗で派手なタイプではない。朴訥(ぼくとつ)な人柄で、物事を愚直なまでに真っすぐじっくり進めるタイプ。だからこそ信頼がおけるし、彼女の存在はわたしにとっては欠かせない。
そんな彼女が今日、多くの強豪相手にコンテストでグランプリを獲得するという大快挙を成し遂げた。ステージ上で眩い光を浴びながら、グランプリの証となるサッシュ(肩から斜めに掛ける飾り帯)を下げる彼女は、キラキラ輝き美しい--。
その姿を見て、
(彼女を花にたとえるならば、何だろう)
とわたしは考えた。その結果、過去の思い出とともに結びついたのが「ボケの花」だったのだ。
繰り返しになるが、ボケにはバラのような華やかさも、ユリのような厳かさも、カスミソウのような可憐さもない。
だが、これらの花が咲くことのできない凍える寒さの中、地に根を張り、雪の重みにも耐え、人知れず確実に咲き誇ることのできる花こそが、ボケなのだ。
花の美しさは競うものではない。バラにはバラの、ユリにはユリの、ヒマワリにはヒマワリの美しさや愛らしさがある。それぞれがあるべき姿で咲いているからこそ、価値があり尊いわけで、そこに優劣は存在しない。
「ボケの花のように美しい」
という誉め言葉を聞く機会はあまりないかもしれないが、ちょっと想像してみてほしい。
――雪が降りしきる枯れた大地で、場違いなほど鮮やかに、深紅の花が咲きほこる光景を。
胸が痛むような、この世のものではないような、それでいて涙がこぼれるような殺伐とした温かさと美しさが、そこにあるということを。
木瓜(ぼけ)の花 URABE @uraberica
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