6. Old Friend 2
拓郎の家、つまり彼の母親の経営する民宿は、木造の古びた一軒家のはずだった。
海沿いの町でよく見かける、真夏のシーズン以外は釣り客ばかりを相手にするような、昔ながらの船宿。それが、昔の面影などこれっぽちも感じさせない、白い壁に覆われた小さなペンション風の洋館に立て替わっていて、目にしたとたん僕は、思わずたじろいだ。
「これ、拓郎の家、だよな?」
車を降りるなり、呆然とその洋館を見上げる僕に、啓太が苦笑を返す。
「なんだかな、俺は昔の方が好きなんだけどよ」
目を細めて、啓太は言った。なんとなく、啓太の気持ちに同調できる気がした。ネガティブな感傷なんかじゃなくて、昔よく馴染んだ、今はないものを空想して懐かしむ感慨。啓太が浮かべたのは、そんな表情だった。
「ボロいとか臭いとか、崩れそうとかよく燃えそうとか言ってたの、お前じゃないか」
突然背後で声がして、振り向いた。線の細い、長身の、太平洋に浮くこの島には似つかない白い肌をした男が、そこに立っていた。
拓郎だった。
「言ってたか?そんなこと」
とぼける様な口調で言う啓太の脛を軽く蹴ってから、拓郎は僕に歩み寄ると、僕の二の腕をポンと叩いた。
「久しぶり」
そっけない、淡々とした声色。
ただ、そうやって拓郎も、啓太と同じように照れを隠しているのだと、少し落ち着かない目線を見て、悟った。
僕は小さく笑んで、頷いて、その声に答えた。
「ずいぶん淡白な挨拶だな。10年ぶりなのによ」
啓太もきっと判っていながら、わざと冷やかすように言う。自分のことは棚に上げて。
拓郎もそれを察して、戒めるように、さっきより強く啓太の脛を蹴りつける。啓太は大げさに、痛がって見せる。懐かしい、昔ながらの二人の戯れ方が、微笑ましかった。
「思い切って建て替えたな」
僕はもう一度、劇的に様変わりした拓郎の家を見上げて、言った。
「俺は前からこんな感じにしたかったんだけどな。昔みたいのじゃ、釣りに来たオッサンくらいしかよりつかねえだろ。夏場はともかくさ、やっぱりほら、商売事は女性客の心をつかまないと」
どこか誇らしげに言って、拓郎は腕を組み、鼻を膨らます。
「女性客、ね」
結局拓郎も、そういうところは変わっていないのかと、僕が苦笑を漏らす。
「いや、やっぱりそこは重要だって」
啓太が言って、拓郎に同意するように頷く。
その他愛ないやりとりに、僕は、不思議な暖かさを感じた。
長い間会っていなかった時間が、どこか僕らにぎこちなさを抱かせていたのは確かだ。でも、心のずっと奥のほうでは驚くほどスムースに、二人の思考が入り込んでくるような感覚がある。きっとこんな感覚が抱けるのは、十代の頃に出会った彼らに対してだけの、独特な連帯感のせいなんだろう。そんな連帯感を抱けることに少し、胸が熱くなった。
「今日は、戻らないんだろう?あっちの家には」
急に、何かをぼやかすような口調で、拓郎が訪ねる。
啓太と同じように、僕の家のことに触れようとすると、拓郎も曖昧な、腫れ物に触るような声色になる。その重く湿った雰囲気を僕が抱かせてしまっているのが判るから、申し訳なく思う。
「明日、帰るつもりだよ。おふくろにも明日ここに着くように伝えてあるし。今日はまだ、到着してないことになってるんだ」
できる限り明るく、取り繕うように、僕が答える。
「よし。それなら今日の夜は『潮騒』で飲むぞ」
拓郎も僕に習って、今度は軽い口調でそう返すと、「野郎3人でか?」と啓太がからかうように横槍を入れた。それで、場の空気が元に戻る。
行き過ぎる時もあるけれど、啓太のこの軽薄さは昔から、僕や拓郎では補いきれない場の淀みを、拭い去ってくれることがあった。
「美咲と優希も誘ってあるんだ。淳に会いたがってる」
その時、不意に拓郎の口から漏れた二人の名前に、僕の胸が軋んだ。正確には、優希、という名に。
「あの二人かよ」
露骨に落胆してみせる啓太に、「贅沢言うなよ」と、拓郎が啓太の頭を小突く。
「優希は、こっちに帰ってきてるのか?」
ふてくされる啓太を尻目に、少し動揺する面持ちを抑え、そっけなく装って、僕は拓郎に尋ねた。
「ああ、大学出てすぐ。ずっとオーシャンヴュウで働いてるよ」
拓郎は商売敵でもある、この島で一番大きなホテルの名を少し忌々しげに挙げて、そう答えた。
優希が、この島に戻っている。
意外だった。僕が優希を一番知っている頃のことを考えれば、彼女がこの島に戻っていることには、違和感があった。
そして気がかりな事が、もうひとつ。
果たして、彼女だけなんだろうか。この島に戻り、この島で暮らしているのは、彼女独りなのか。
脳裏に浮かぶ彼女の姿の後ろ側に、もうひとつの人影が過ぎる。見たことのない、小さな、人影。
また、胸がきしりと、音にならない音を体の中に響かせる。
「んじゃ、俺は帰って寝るよ。淳は夜まで、どうすんだ?」
啓太の声で、我に返った。慌てて、返す言葉を捜す。でも、見つからない。
「島を回ってくるなら、バイク貸すぞ」
僕が答える前に拓郎がそう言ってくれて、助けられた気分になる。「借りるよ」と、勢いでそのままその提案に便乗した。声が、微かに震えていた。
「なんだよ、仕事明けじゃなけりゃ俺も付き合うのによ」
悔しそうに漏らす啓太の言葉は、しっかりと僕には届かない。
胸の中ではまだ、歪な、軋むような音が響いていた。
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