異世界のクズたち
稲苗野 マ木
第1話 パチスロ依存症、藤木
男の最後の魂を吸い込む電子音が三度鳴り響く。命の灯火の点火ボタンを押すと、運命の車輪が轟音と共に回り出した。
男が車輪の前のボタンを押す度、三つの車輪が一つずつ停止する仕組みだ。そして車輪は停止する際、三つの絵柄を映し出す。
男はこのたった三打の親指に、幾度となく魂を賭してきた。
その結果魂を得ることもあれば、失うこともあった。
男はそれが決して手を出しては行けない悪魔の箱であると諒解していた。しかし、何度も命を賭居ているうち、どうしようも無い快楽を覚えるようになってしまった。
男は高速で回る車輪を目で追う。車輪に数多刻まれた絵図の中で、男が求めるのはたった一つだった。それを惑星直列めいて一列に揃えれば、魂が払い出されるのだ。
男はその動体視力にはめっぽう自信が有った。絶対に外さないし、外しては行けない。
男は意を決して、目の前に三つならんだボタンを順に押していく。
「……赤7…………赤7…………赤7…………アッ! ……か7ぁ! よし、よし、よぉし! 」
男が見据えるただ一つの絵柄は、まるで悪魔の箱が吸い尽くしてきた人々の生き血が燃ゆるような紅色で描かれた“7”だった。
男は無事、一つ目の車輪に紅の7を残すことが出来た。しかもあろう事か二つ並びの7だ。単純に7を揃えられる確率が高い!
「……はい…………はい…………ここ…………そう…………ここ…………はい…………はァ! いぃぃよっしゃ、真ん中ァ! きたきたきたきたきた! 」
男は、二つ目の車輪でも紅の7を残すことに成功した。そしてその位置は三つの図柄の内の中央! これは最初の車輪の二つの7が双方とも死なず、当選確率が高いことを示唆していた。
「よしよしよしよし、ダブリー、ダブリー。いけぇー。落ち着けぇー。俺なら出来る。俺なら出来る。……俺…………なら…………でき…………るッ! ……あぁぁあ! クソがあ! 遠隔! 遠隔だこれは! クソぉぉ! 」
男は確かに三つ目の車輪の中央に紅の7を射止めたのだ。
しかしその7は、掴んだと思った魚が指の間をすり抜けるようにするりと滑り、車輪の下へ消えていった。
「くそぅ……あぁ、もう五十回も回せば天井の筈なんだ……。どっかに落ちてねぇかな……メダル……メダル……」
男は這いつくばってメダルを探したが、清掃の行き届いたこの“ホール”では、そんなもの落ちていようはずも無かった。
「……お客さん。うちでそういうのはちょっと……」
男の様子を見かねたホールのスタッフが、面倒くさそうに男を窘めた。
「う、うるせぇ! 遠隔しやがった癖に! てんちょ……責任者だせ! 責任者! 」
男が感情に任せて怒り散らすと、ホールのスタッフは胸元に装着したピンマイクで誰かと連絡を取ろうとしていた。
男は以前の経験から、それが警察を呼ぶための連絡だと勘違いし、心底怯えた。
「は、はぁ……。じゃあ店長呼びますね……」
「……あ、の。ごめん、やっぱ店長はいいや。……ところでキミ、千円貸してくんない……? 」
ーー男は間もなくホールをつまみ出された。
「二度と来るか、バカヤロー! 」
男がその場所でそう叫んだのは、既に二十回は下らない。
駐車場の灰皿からできるだけ長いタバコを拾い、今朝拾ったプラスチックライターで火をつけると、咥えてホールを後にした。
「おやおやー? 藤木さん? 藤木ヒロトさんじゃないのー。こんなとこで会えるなんて、奇遇だねー」
アロハシャツにパンチパーマ。真ん丸のサングラスと、いかにも古臭いヤクザといった格好のこの男は、藤木担当の借金取りの金子だ。
「待ってたんでしょうが……」
「お、ヒロちゃん今日はタバコなんて吸っちゃって豪勢じゃあないの。勝ったんだよね。今日は返せるよね? 」
無視して通り過ぎようとする藤木のゆく道を金子が塞ぐ。
「さっきの見てたでしょう。あの店“また”出禁食らっちゃいましたよ。そういう訳なんで、今日は返せないっす。すんません」
藤木がそそくさとその場から逃げようと、金子の反対方向へ向かうや否や、金子に回り込まれ胸ぐらを掴まれていた。
「いい加減舐めてんじゃあねーぞテメー……。利息もまともに返さねえで今のお前の借金いくらか知ってるか? 五百万だぞ五百万! そりゃあテメーくらいの歳の? 普通の人間なら? 二、三年額に汗すりゃ難なく返せる額だよ。だがテメーはどうだ? 万年プータローで毎日毎日、負けただの、勝っただの、負けただの、負けただの、負けただの……。テメーはもう信用しねーって上が決めたんだ。あのおっかねえおやっさんのことだ。テメーがこれからどんな恐ろしい目に合うのか、下っ端の俺は知らねえ。だから今回の利息ちゃんと返せたら便宜を図ってやろうと思ってたのに……俺の厚意無下にしやがってコノヤロウ……おう、連れてけ」
金子の合図とともに黒塗りのバンから現れた大柄な男たちは、見る間に藤木を拘束し、バンの荷台へ放り込んだ。
バンに詰め込まれて気絶させられた藤木が次に目覚めたのは、硬いベッドの上だった。
ーー硬いベッド……? いや、ストレッチャーかーー?
「あー、目覚めちゃいましたか……面倒臭いなあ……」
ストレッチャーの傍らには、医療ドラマで見るオペ中の医者のような風体の男が立っていた。
「もう麻酔は回ってるから体動かないと思うけど、YESなら二回、NOなら三回。瞬きでこれからの質問に答えてね」
医者の言うことが全くわからなかった藤木は、取り敢えず状況の説明が欲しかったので、三回まばたきした。
「あー、きみ、大分おバカさんなんだね。きみにはもうYESしか選択肢残ってないの。だからNOって言われちゃうと話が進まないのね。これからは二回まばたきした時点でYESと解釈するから、よろしくね。……はい、YESっと」
藤木が、目の乾燥に耐えかねて行った二回の瞬きを、医者はYESと捉えた。
藤木は、この先も自分が意識しないままYESと答えさせられる未来を想像してしまい、全てを諦めるだけだった。
「これから僕はきみの臓器を全部まるっと取り出します。それにより、きみの借金は相殺され、チャラになります。それできみは死んじゃうけど、まだ素敵なものを生み出す手段が有ります。きみは、今までどうしようもないきみにお金を貸してくれた金融業者さんに、恩返ししたいよね? ……はい、YESと」
医者が言っていることは何一つ理解できない藤木であったが、意志を他所にYESと回答するより他になかった。
「きみは、これから死ぬけど、もう現世には生き返れません。“髄液輸界法”という方法で、きみの魂を異世界に転送するからね。“髄液輸界法”というのは、人の魂を異世界に移動させると言われる方法で、今は小さすぎて人間が通れない異世界とのポータルに、故人の髄液のみを通して異世界の大地に染み込ませます。そして、こちらの世界の故人の痕跡を跡形もなく消し去ります。これは私ではなく“消し屋”さんがやります。すると、魂に定期的に器を与える担当の神様? が、もともとそっちの世界に紐づいた命だと勘違いして、異世界で新たな器と命を与えられる、という理屈です。これを行うことに、同意するね? はい、YES……と」
医者が同意書のような書類に次々とレ点を打っていく中、藤木は何も抵抗できないことが情けなくなり、涙を流していた。
「きみがお世話になってた金融屋さんの会長さんの話だと、こっちの世界の人間は、何故かすごい正義感に溢れていたり、才能溢れる女性を引き連れて巨悪を倒したり、未知の技術を沢山もたらしたりしてくれるから大変人気があって、すごい喜ばれるんだって。それでお礼として石ころとかをくれるんだけど、それがとても綺麗で、会長さんはコレクションしてるんだって」
自分の命が“石ころ”と言われているようで、藤木は悲しくなった。そして、たかだか三枚のメダルを“命”と呼んでいた日々を思い出し、またさめざめと涙した。
「最後に、これは親切みたいなもものだから別にNOでもいいんだけど、異世界に、現世の記憶をいくらか持って行けるオプションがあります。つけとく? 」
藤木は、もしも転生できるなら、二度とこんな馬鹿げた人生を送りたくない。二度とパチスロ依存症になんてならないと心を燃やし、瞬きを二回した。
「おっけー。じゃあ脳に近いとこから髄液取るねー。あ、その前にまた切れないように強めの麻酔打っとくねー。はーい、おやすーー」
それが、藤木の見た最後の景色となった。
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