第26話 ネガ


 中央区内、某所。


 今にも崩れそうな廃屋、に見える呪術師の家は、想像していたよりも遙かに広大だった。上の土地以上に地下を開拓するには許可が必要であり、その申請を通せたのは申請者が区長だったからであろう。


 弑流しいな達が到着した頃には現地調査課が既にあれこれ作業をしており、調査部の面々にはそれぞれの手伝いを任された。リチャードは他の部署との情報管理のために来ていない。ほとんど関わり合いのないガブリエレと御影みかげも来ておらず、結局はいつもの面々での参加である。


 建物の入り口付近で現場の警備をしている局員から、シャルルが数枚の資料を受け取る。それらには求人広告のようにやって欲しいことや行って欲しい場所、人数などが書かれていた。


「はい、じゃあこれ好きなの選んでください」


 資料をその場で広げ、回し読みした後で希望を言う。二人一緒に募集されているものはひじりみおが選び、他の面々も“そうなるだろう”と勘繰って譲った。

 他の仕事は一人ずつなので、弑流としては初めての単独任務である。現場経験の少ない彼のために先輩達が譲ってくれたため、言葉に甘えて先に選ばせて貰った。


 興味深そうな、そして重要そうな仕事が並ぶ中、迷った末に選んだのは”現場写真撮影の補佐”というものだった。説明には『撮影係の手伝い。現場の光源調節や機材の運搬。撮影も含む』と書かれてあった。

 受け取った資料を持って警備員に見せると、何故か何とも微妙な顔をした。何か不備があったのかと不安になる中、その局員は「頑張れよ」とだけ言って通してくれた。


「?」


 憐れみを含んだような激励に嫌な予感を覚えながら、指定された場所に向かう。撮影係は現在撮影中とのことで、場所は地下に降りてすぐの扉のない小部屋だった。


「失礼します……」


 そっと声をかけながら入ると、中には白髪の男が一人、撮影に勤しんでいた。声と気配に気付いて振り返る。


(あ……もしかして、フルム人?)


 東極人が日焼けした、というレベルでは到底ない浅黒い肌。これは、東極の西南に位置し、シグルドリーヴァの南に位置する国フルムに住む人の特徴である。砂漠地帯で日差しの強い国だからか、国民全員褐色の肌を持っているのだ。閉鎖的な国であるためよく分かっていないが、戦いを好む者が多く、その気性の荒さや他にない肌の色から差別されることも多いのだという。


 弑流も偏見は持たないようにしているが、少し萎縮してしまう。会ったばかりの実物よりも、今まで聞かされてきた話の方が記憶に残っているからだ。


 黄みがかった白の柔らかな短髪に浅黒い肌を持った男は、「ああ」と一言呟いた。その時にチラリと八重歯が覗く。睫毛や眉毛は髪と同じ色だが、瞳の色は純粋な白だった。そして不思議なことに、白目の部分が墨を入れたように黒かった。フルム人は皆こうなのだろうか。目付きは少々悪く三白眼気味だった。


 警察局の制服ではなく白のタートルネックを着て、耳には青い色ガラスで出来たイヤリングをしていることから、警察局員ではなさそうだ。だが、カメラを持っている時点でこの人の手伝いをするということで良いのだろう。警備員が微妙な顔をしたのは、フルム人を嫌がる人もいるからかもしれない。


「キミが、オレの手伝い?」

「は、はい。そうです」

「ふぅん。……あのさ、ネガって知ってる?」

「…………はい?」


 突然話が飛んで困惑する。


(ネガ?)


 ネガといえば意味の候補はいくつかある。例えばネガティブの略だとか、ネガフィルムのことだとか。語源は同じなのであまり違いはないが。

 単純に考えて撮影係からの質問なのでフィルムのことだろう。通常の風景と明暗や色相が逆転したフィルムのことをネガフィルムと言うからだ。ちなみに逆はポジフィルムと言う。


 風景を絵として残せるカメラという機械について弑流はそれほど詳しくないのだが、たまたま何かの拍子に知識を手に入れていたらしい。ネガという言葉を聞いてぽんと思い浮かんだ。

 これだろう、という確信を持ちつつ、遠慮がちに答える。


「えっと、フィルムのことですか?」

「オレの名前」

「…………」


 その通り、と来ると思ったところを全く予想外の返答が飛んできて、思わず押し黙ってしまう。


「オレを見て言ったんだよね、色、逆じゃん、ってさ」

「は、はあ」

「ネガフィルムそっくり、だって。”ネガフルム人”じゃん、ってさ」

「ああ、そうなんですね……」

「だから、オレの名前、ネガ」


 よく分からないが、自己紹介をしてくれているらしい。確かに彼の色合いは東極人に居がちな黒髪黒目に肌色の配色を、そのまま反転したような色だ。東極人を撮影したネガフィルムに似ているかも知れない。彼の質問の意図に沿わなかっただけで、弑流の回答も間違ってはいなかった。


 会話に主語がないが、親に名付けられたとかであるならば、フルム人全員がこの配色、というわけでもなさそうである。


「よろしくお願いします、ネガさん。自分は冷泉れいぜい弑流と申します」

「シーナ、ね。よろしく。……早速だけど、これで床、照らして」


 懐中電灯を渡された。特徴的な見た目のネガに気を取られて五感が鈍っていたが、仕事に引き戻されることで周囲の情報が一斉に入ってくる。


 地下だからか湿っぽくひんやりした空気とカビ臭い匂い。せ返るような血の匂いもした。


「うわ……」


 血の匂いの元は床で、照らした場所にはべったりと黒い血痕がこびり付いていた。ネガも「血だねえ」と呟いて撮影していく。尋常ではない量で、ここで何かしらの凄惨な事件があったと想像出来る。


「誰の血なんでしょうか?」

「鑑定部に寄ると、犯人の子らしいよ」

「……”ドール”ですか?」

「うん、それ。血塗れのソーイングセットとか、落ちてたピアノ線とかにも、同じ血が付いてたって」


 嫌なことを想像してしまって顔を顰めた弑流も含めて、ネガが現場全体の写真を撮る。


「え、自分も?」

「うん。部屋の大きさを測るのに丁度良かったから」

「なるほど……」


 ネガは弑流にあれこれ指示しながら、自分の知っている情報を話し出す。それによると、恐らく”ドール”は区長から拷問紛いの扱いを受け、その度にソーイングセットで”手当て”をしていたのではないかと推測されているようだ。体の傷から、ピアノ線で締め上げられるなどされていたのだろう。そして、この部屋はそのための部屋であったと。


「審議では、情状酌量の余地と罪の重さを量りにかけて、処遇をどうするか決めるんだって。……ああ、それ、もうちょっと右」

「そうですか。あ、はい」


 何かを引っかけるための金具が飛び出た天上を撮るために、広範囲を照らせる光源を持って右往左往する。


「撮れた。ありがと」

「いえ」


 精神にも肉体にも衛生的に良くない部屋は、”ドール”がどのように扱われてきたかを推し量るには十分だった。証拠にもなる写真は審議場に提出され、今後行われるであろう”ドール”の審議に大きく関わることだろう。


 それが弑流にとってはとても複雑だった。いっそのこと区長諸共極悪人であったなら、こんな気持ちにならずに済んだはずだ。あんな惨劇を起こし、村と遺体を焼き、何人も人を殺しておきながら表情一つ変えない。それが残虐な精神の元で行われていれば、一方的に恨むことが可能だったのに。


 何故このような気持ちにならなくてはいけないのだろうか。


 別の部屋の写真も撮るために移動するネガに着いていきながら、腹立たしさも入り交じったまま嘆息する。すると、ネガが立ち止まって振り返った。


「やっぱりオレ、嫌?」

「……え?」


 思わずきょとんとする。


「オレ、フルム人だし、その上さらに変わった見た目だから。嫌がられること多いんだ。普通に話してくれたの、珍しかった」


 警備していた局員の反応からしても、普段避けられがちなのだろう。妙な誤解をさせてしまったことに慌てて首を振る。野蛮な国、と差別的に言われるフルムに住んでいるからといって、全員が粗野なわけではない。少なくともネガは、話し方に癖があるものの物腰は柔らかかった。


「いえ! 違います! ネガさんのことではなくて……。“ドール”の境遇について同情の余地があることが複雑で。あんなことをしておいて、一方的に恨ませてくれない事が腹立たしいと言いますか……」

「あー、そっち。……東極は良くも悪くも平和ボケ、してるよね」

「……どういうことですか?」

「だって、ねえ? フルムでは人が死ぬとか当たり前過ぎて、いちいち気にする人なんかいなかったもの。自分の家族以外はみんな敵だし。オレの場合は家族も敵だったけど。東極は、一人死んだだけで大騒ぎで、ものによっては国民全員に知らせるから」

「その、フルムでは何故そんなに亡くなるんですか?」

「何故って……。『砂漠だから、水が欲しい。でも、水はオアシスにしかない』から。自分たちの家族が独占するために戦うし、負けたら死ぬ。それの繰り返し。オレは戦うの得意じゃないから放り出されたんだけどね」

「そうですか……」

「うん。だから、ねえ? キミが色々考えるのも、オレが考えないのも、文化の違いだな、って」


 常日頃から当たり前のように人が死んでいる世界なんて、考えたこともなかった。そのため、死に関してあっけらかんとしたネガの発言は奇異に映る。雰囲気は優しそうなネガですらこうなのだ、フルム人を”野蛮”と差別する人々の気持ちが分からないでもなかった。


 次の現場は、先程の部屋より数倍広い部屋だった。床も、先程は石造りだったのに比べてこちらは布張りだ。かといって清潔感があるわけでは全くなく、何か腐っているようなえた匂いと、排泄物などが処理されずに残っているであろう吐き気を催す匂いが充満していた。


 局員が忙しなく出入りし、何かを運び出している。そのうちの一人が鼻を押さえた弑流とネガに気付き、マスクを渡してくれた。マスク越しでも、匂いは相当強烈だった。


「な、何の匂いですか、これ」

「……キミは、あまり考えない方が良さそう」


 ちらっと彼が見た先には、明らかに何か想像したくないものが入っている黒いビニール袋があった。細長いそれを見ただけで何となく何が入っているか分かってしまうが、ネガの言うとおり深く考えないことにした。入り口付近でこの状態なら、奥はもっと凄いことになっているはずだ。気分を悪くして吐き気を悪化させない為にも、気を強く持つ必要がある。


 予想通り、奥は匂いが強くなり、床に貼ってある布は元の色が分からない程黒ずんでいた。仕事なので写真に収めるが、腐った残飯やら排泄物やら嫌なものばかり撮る羽目になるのは予想外だった。血は平気だったネガも嫌そうにしている。


 部屋の構造は複雑ではなく、ただ奥に長い部屋だった。左右に部屋のような窪みがあり、ビニール袋はそのそれぞれに一つずつあるようだ。窪みは個室トイレくらいの大きさで、奥の壁には先に輪の付いた鎖が下がっていた。何が繋がっていたかは考えないことにした。


 まるで牢屋が並ぶ監獄の様である。


 ここが何の部屋か考えたくもない。二人ともそんな気持ちのまま無言で撮影を続け、全て撮り終わると早々に戻った。一度階段を上って外に出て、マスクを外して新鮮な空気を吸う。しばらく突っ立ったまま深呼吸を繰り返す。


「…………オレ、写真撮るの、好き。だけど、これはちょっと」

「自分も無理です……。というか、皆無理ですよ。考えたくないですけど、あれ絶対駄目な部屋ですよね」

「うん。考えるのはやめよう。鼻が曲がりそうだった。この服、もう着れないな……。でも、良くない部屋は、この二つで終わり。後は、大丈夫って聞いた」

「そうだと良いんですけど。前にも呪術師の家に行ったんですけど、とても綺麗で清潔な、片付いた部屋だったんです。それが、持ち主が変わるだけでこんなにも……」


 リンに外傷が一つもなく、自由はなかったとはいえ清潔な部屋だったことを考えると、彼女の呪術師は相当マシな方なのかもしれない。……今回が酷すぎる可能性も捨てきれないが。


 ある程度落ち着いたところで撮影を再開しようとしたが、ネガの提案で今日はもう切り上げることにした。他の局員はまだ仕事をしているが、補佐先の彼が帰ろうと言う以上、他を気にする必要はない。


 『制服、しっかりクリーニングして貰ってね』との助言を貰って、帰路についた。

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