第16話 第三者


 時は少し遡り、みおひじりが昼食を食べていた頃。


 リンとレノは食べようという考えにすら至らず、ただただ闊歩かっぽしながら話に花を咲かせていた。何かに夢中になっている間はどれだけ歩いても疲れを感じないようだ。


 互いに今まであったことや愚痴などを話しながら、往復を続ける。そして今はレノが何故動物を嫌いなのかという話をしているところだった。


「夜と一緒でトラウマがあるの。それ以外に深い意味なんてないよ」

「そうか。……見ると鳥肌が立つとか?」

「…………。まあ、そんな感じ」

「じゃあ、これはどうだ?」

「え」


 レノが見ている目の前で、燐はくるりとその場で宙返りして見せた。着地と同時に、燐のうつし身である黒狼が出現する。燐は着地するや否やすぐさまもう一度宙返りすると、またもや着地と同時に人型に戻る。黒狼であった時間は僅か数秒にも満たないが、それでもレノは明らかな嫌悪感を示した。


「ちょっと君、本当にやめてくれる? 一気に嫌いになったんだけど」

「今まで嫌いじゃなかったのか?」

「うっ……べ、別に嫌いとは言ってなかったじゃん。回りくどい言い方しないから話しやすいし」

「僕もあんたの事は嫌いじゃない」

「僕は君のこと今嫌いになった」

「そうか」


 ……嫌悪感を示したが、その後の会話で毒気を抜かれ、結局怒ることはしなかった。顔を覆ってため息を吐きながら、歩き続ける。

 この世で二番目に嫌いなものを見せられてなお、見せた本人を嫌いになれない自分に呆れて首を振る。

 そもそも本人が半分動物のようなものなのに、何故嫌悪感が少ないのだろうか、とも考えながら手から顔を上げ、特に何の意図もなくふと前を見た。


「…………!」


 その目に、先程はいなかった見慣れない人影が二人、行く手を阻んでいるのが映り込んだ。

 普通の格好であったならば、たまたま辺鄙へんぴな場所に観光に来ていた物好きが迷子になったのだろうかと思うところだが、それは明らかに観光客には見えなかった。そもそもここは観光に来るような所ではない。

 帽子にサングラス、服、そしてマスク。見るからに怪しい格好の男女。

 レノたちが待っていた”ドール”ではないが、何か不穏な気配を感じて警戒度を上げる。立ち止まった彼らに、男女はゆっくりと近付いてきた。


「あれ、あんたの知り合いか?」

「なわけないでしょ。君のじゃないの」

「覚えはないな」


 明確にこちらに向かってくる二人に燐も警戒の目を向ける。


「てか、君のおふざけ見られたんじゃない? よく分かんないそういう組織とかだったらどうするの」

「見られた見られてない関係なく、都合よくそういう組織のやつがこんなところにいる可能性は低いんじゃないか」

「まあそうだけど。あと絶対違うけど一般人だったらまた面倒くさいな」

「ああ、僕らはいないことになっているんだったか。軽率だったかな……。ただ、まあ、向こうは用があるみたいだが、僕らはないから無視していいんじゃないか?」

「……確かにそうだな。行くか」


 レノは腰と背中の銃器を触って確認し、警戒しながら燐と一緒に別方向に歩き出す。そして、


「チッ」


二人の内の男の方が、懐から拳銃を取り出したのを見た。半分予想していたことだとはいえ、実際になってしまったことに舌打ちする。


 銃口が自分の方を向いていることを視認し、咄嗟に身を屈めた。

 ぱしゅッ、とくぐもった銃声が数回響き、飛んできた弾丸の内一つがレノの右腕の制服を切り裂いた。その下の皮膚も微かに切れ、血が滲む。


「おい、大丈夫か!?」

「……掠っただけ。それより、消音器サプレッサー付きとかやる気満々じゃん……って、うわっ!」


 相手の弾切れで隙が出来た間に自分の傷の状態を軽く確認していたレノを、燐が横から肩に担ぎ上げた。


「え、ちょ、何して……」

「舌噛むなよ」


 小柄な少女は自分より頭一つ分背の高い男を担いだまま、地面を強く蹴ってその場から走り出す。ショットガンやその他武器の重さもあるためかなり重いはずだが、そんなことは全く感じさせない。


 この男女が何者か、何が目的かは分からないが、作戦決行予定のビルには近付ける訳にはいかない。燐はそう考えて反対方向に逃げた。

 開発途中で何かあったのだろう、幸いなことにここにはあのビル以外にも建物があり、そのほとんどが廃墟だった。銃撃戦が起こっていても通報される心配はなく、燐がその屋根を男一人分背負って飛び越えても見られる可能性は低かった。遮蔽物があるために逃げやすくもある。

 男は銃口を向け続けるが、動く的に当てるほどの実力はないのか、はたまた燐に当てないようにするためか、撃ってはこなかった。その間に燐の方が引き離し、建物が邪魔になるため銃を下ろす。

 代わりに女の方が人間離れした動きで追ってきた。軽々と屋根の上に飛び乗る。


「あいつ、式神か?」


 相手が両方人間だったならば逃げきれたかもしれないが、式神がいるとなると話は変わる。レノを担いでいる燐の方が圧倒的に不利だ。実際、女はすぐ後ろに迫せまってきていた。

 燐は追いつかれる前に出来るだけ遠くに逃げてから、レノを地面に下ろした。すぐに迎え撃てるように小刀を引き抜く。掠り傷とはいえ怪我をしている彼を庇うように、彼女が前に出た。

 担がれたまま振り回されたレノは少しふらつきながら、腰から拳銃を抜いた。女であれ男であれ、この相手にショットガンは不利だ。女は素早すぎるし、男は武器の飛距離的にあちらが有利だからである。

 二人で敵を迎え撃つべく構えるが、難なく追いついた女は燐を無視してレノを狙った。先程の男も然り、燐ではなくレノを狙っているようだった。

 ただ、男と違うのは女が素手であることだ。武器など持たず、レノの懐に素早く潜り込むと、


「…………っぁ、かッ」


その首を掴んで締め上げた。レノは咄嗟に手に持った拳銃の銃口を女に押し付けると、容赦なく一発撃った。燐もレノを助けようと横から女に斬りかかったが、


「…………!」


女がレノを盾にしたため無理やり軌道を逸らした。


 女は脇腹から血を流しながらも平然とレノの首を掴んだまま、燐の攻撃を良いようにあしらった。このままだと確実に殺されるか何かするレノを見捨てられずに応戦する燐はその場に釘付けとなり、その間に男が追いついてくる。女は男がすぐ傍まで来たことを確認すると、近くの建物にレノを引き摺り込んだ。追うしかない燐も釣られて中に入る。男を攻撃しようにも、女がレノを手中に収めている限り軽率なことは出来ない。

 レノは剛力で首を絞められて上手く呼吸できず、酸素欠乏で意識を手放していた。彼がマスクをしていたことも悪影響となったようだ。


 殺す気はないらしく、女はそんな彼から手を離し、自分の足下に転がした。男が燐の後ろから拳銃を投げる。女はそれを受け取ると銃口をレノの頭に向けた。


「……よし、そのまま逃がすなよ」


 男は女にぶっきらぼうに言うと、燐に目線を移した。


「そこの男を殺されたくなかったら大人しくしていろ」

「…………何が目的だ?」


 彼女の質問には答えず、男は燐を建物の中央に立たせると、腰のポーチから取り出したチョークで彼女を中心とした円を描いた。奇妙な記号や文字のようなものを織り交ぜた、呪術的な陣だ。式神の女も従えているあたり呪術師とみて間違いないだろう。


(こいつ、もしかして僕に呪いを刻む気か?)


 呪術師が式神を捕らえてやることと言ったらそれしか浮かばない。既に女という強力な手駒がいるというのに新たな手駒を増やそうと言うのか。

 いや、そもそも燐には既に“あの男”から刻まれた呪いがある。効力が何かも分からない気味の悪い呪いだ、上書きされるのは悪いことではないが、それによって面倒な効力を付けられると困る。現在の呪いは気味が悪いだけで害はないし、上書きされると不利益の方が大きい気さえする。


 とはいえ、レノを人質ひとじちに取られている以上下手なことは出来ない。言われた通り、大人しくしておくしかないだろう。仙術は一発逆転の所謂いわゆる必殺技だが、使い慣れていない彼女にはここで使う勇気はなかった。失敗すれば命取りの大技をいきなり使うのはリスクが高すぎる。


 倒れたままの彼をちらりと見ると、胸が上下しているのが見えた。とりあえずは無事そうだ。


 男は描き終わった陣の端に立つと、刃物で親指に傷を作り、自らの血を一滴垂らした。落ちた血が触れた部分から陣が赤黒く染まっていき、鈍い光を放つ。まるでじわじわと血が広がるように、陣の全体が不気味に輝いた。


(っ! 動けない……?)


 先程までは確かに動けたはずだったが、今は全く指先の一つも動かすことが出来ない。足の力が抜け、すとんとその場に座り込んだ。

 男の血を触媒として呪術が発動したのだ。

 赤黒い陣から溢れた同色の奇妙な文字が、燐の体を這うように登り上がる。痛みなどは特にないが、ザワザワと鳥肌が立つような気持ち悪さが襲った。すぐさまその場から離れたくとも、体が動かないため逃げられない。

 金縛りのような状態になっている燐を尻目に男が陣の中に入り、彼女に呪いを刻むべく近付く。

 気絶したレノはまだ目を覚まさず、外部との連絡も取れない。澪と聖のペアがどうしているかは分からないが、こちらは計画が失敗しただけではなく想定外のトラブルにまで巻き込まれた状態だ。レノのためについ男の言うことを聞いたが、燐が男の式神にされてしまえばレノを生かしてもらえるはずもない。


 燐は男を睨みつけて威嚇しながら、ただ何か打開策がないかだけを考えていた。

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