第27話 可能性

第27話 可能性



 朝、昇る太陽に向かって歩き続ける。


 滑らかな凹凸おうとつのある砂漠に、穏やかな風が吹く。


 い空に、なだらかない砂地のコントラストが映える景色。



 ……変わったな。

 いや、変わりすぎだろう。

 もはやどこにも死の荒野っぽさが影も形もないというか。

 これはもう地名を変えてしまう必要があるのではないだろうか。

 すでに見渡す限り全く別世界の様相である。


『これは見晴らしのいい景色でございますね』


 色々と余計な事まで危惧したくなるくらい周囲の光景は変わっていた。



 遠くの地平線までながめることが出来る。

 見通しを悪くしていた険しい岩山が無いからだ。

 陽光を遮っていた空中回廊も見当たらない。

 重々しい灰色に染まった曇天はどこにも無い。

 あれほど規模が大きかった嵐だって、その名残なごりすらも無い。

 きれいサッパリ、何もかもが消え去っている。


 すべては死灰に飲み込まれてしまったのは疑うべくもないのだが。

 皇帝さんとともに死出の旅へと立ってしまったのだろうか。


 あまり考えたくないけど詩的表現で誤魔化せる問題じゃないよね。

 消えて無くなったら何かしら影響の出る質量だと思うんだけど。


 過ぎた時間を知る材料すら残っていないのが厄介だ。

 想像もつかない時間が経過している可能性も否めない。

 遥か遠方の地に飛ばされたと言われたら信じてしまうかもしれない。

 場所が違うと言われたほうがまだ納得できるほどだ。


 いや、本当に場所が違う可能性までは疑わないんだけど。

 大陸にこんな白い景色は無かったし。


 全体的に起伏きふくが乏しく、広々としている。

 これは相当に歩く必要があるかな。

 というか広すぎるんですけど。

 あと、白すぎるんですけど。

 まぶしいんですけど。





 昼はしばしの休憩だ。

 といっても疲れているわけでは無い。

 ほぼ真上に太陽がある時間では方向を知る術が無いのである。


 一面の砂漠が続く景色には、代わり映えも無い。

 場所が場所だけに、人の気配もまた無い。

 いや人の気配なんて読む方法を知らないけど。


 ここで人を見かけなくても、正直あまり心配はしていない。

 人類文明を脅かす当面の脅威は、すでに乗り越えている。

 残すところは細かい後始末だけ。

 そのはずだ。


 現時点で人類の武器や魔術は魔物の固有法則まほうに及ばない。

 一部の突出した者がかろうじて魔物に対抗できる段階だろう。


 そう、


 人類が築き上げる文明にとって、時間は有利に働く。

 実際、魔物なんて脅威のうちにも入らなくなるはずだ。


『だけど、行かれるのでしょう?』


 だけど、考えるまでもないね。


 今は『記憶』があるから分かる。

 ああ、魔物相手に逃げ回ったことが遠い昔のように思える。

 思えば成長したものだ。


 まあ自分に成長とか技術とか力量とか無縁な話なんだけど。


 そもそも魔物の作法ほうそくに従う必要がないのだから。

 同じ土俵に立って戦う意味が無いというのが正確か。

 自分は力士スモウレスラーではないのだ。


 今の『記憶』がある自分なら分かる。


 むしろ自分にとっては、人類には当たり前のことこそが難しい。


 中でも食事、呼吸、睡眠。

 これは必要性と身体機能の両方に問題がある。


 対話や共感。

 これは神経系の構造的な問題があると思う。


 あとは病気、怪我、老化と、それから死ぬのも無理かな。


 いや、ぱっと思い付いただけでも結構あるぞ。

 人間的な普通の生活を偽装するにも問題が山積みだ。

 全部を列挙するといくら時間があっても足りないんじゃないだろうか。


 真似くらいなら出来ることもある。

 だが実際に人の近くで長期間生活すれば、絶対に誤魔化せない。

 人類社会に紛れ込んで馴染むことはまず不可能だと言ってもいい。

 騎士団長さんたちの反応を見て、そのことがよく理解できた。

 旅の途中、『記憶』無しで人類の集団に紛れていた事こそ奇跡のような偶然なのだ。


『……だけど、行かれるのでしょう?』


 ……つまり、そういう事になるかな。


 何しろ魔物は自分と同じ領域の存在だ。

 比喩でも何でもなく、手を伸ばせば本質に届く。

 問題になる部分を探すほうが難しいというものだろう。

 この世界で働いている独自法則まほうの強度にも意味が無い。

 強いて言うなら少し距離感を感じるくらいかな。

 自分にとって魔物との対峙は、その程度の意味しかない。

 人類が意識をせずとも呼吸できるのと同じようなものだ。


 偶然で何かが終わることはあっても、偶然で問題は解決しない。

 もし奇跡頼みの繰り返しだけでは、破滅を避ける術が無い。

 その肝心の破滅後に関しては偶然だとかそういう要素が存在しない。

 そこに可能性だの希望だのを見出すのは、ちょっと無理がある。





 夕日を背に、自分の影を踏むように歩く。


 地面は揺れない。

 もう地面が動き出すことは無い。

 でも、何となく、足元が揺れ続けている気がしてしまう。

 まさかそれが秘められた自分の願望、という訳でもないだろう。

 きっと、反復してきた動作が錯覚を引き起こしているだけだ。

 習慣を通り越し、半ば定着する段階にまで到ってしまっただけだ。


 それだけの間、揺れる地面を歩いていたということだろう。

 沈むことがないというただ一点を除いて、あとは嵐の海を歩いて渡るのと大差の無いような、そんな困難な行程だった。

 地面が流体となり、海のように荒れ狂って動く荒野を乗り越えて『記憶』を取り戻すまでの間の話だ。


 荒野を歩いたのはそれほど長い時間ではなかった。それは事実だ。

 荒野を歩いたのは途方も無く長い時間でもあった。それもまた事実だ。


 わずかな時間でも、それを繰り返してゆけば途方も無く長い時間になる。

 偶然性のそれなりの支配きせきには天文学的なそれなりの試行回数ぎせいが必要だったという話に過ぎない。



 様々な条件によって世界が無数に分岐するという考え方がある。


 いわゆる、平行世界パラレルワールド、と呼ばれる概念だ。

 時間軸を一次直線の形、あるいはそれに類する概念でしか捉えていると生まれる発想である。


 現時点での人類には破滅を覆す力は無い。

 星の力が定めた破滅は、誰もが変えることができなかった。

 せいぜい世界のごく僅かな範囲で限定的に揺らぎを与えるのが限界なのだろう。


 実際、世界は人間の選んだ選択肢によって分岐するわけではない。

 時間軸の構造は、認識する者の限界が見せている虚像に過ぎない。


 世界の構造は、その本質は、実に単純なものだ。


 しかしそれは『単純だから誰にでも理解できる』という意味ではない。

 そんな安易な結論には繋がらない。

 

 人類に都合の良い基準の中で世界が作られたわけではない。

 世界に都合の良い基準の中でたまたま人類が生まれただけなのだ。

 世界の本質は現時点での人類の想像と全く異なる点にある。

 だから、その本質は人類が考えた規格の言語へと落とし込むことができない。

 いや、専用の造語を付け加え無理矢理に翻訳することは可能かもしれない。

 だが人は基本的に短絡し、誤解をする生き物だ。

 精度の高い近似式を発見して、万物を理解できた気になってしまう。

 それは、世界に対する人類の可能性を狭めてしまう要因にもなる。

 行き詰まったらその都度、固定観念を壊す必要があるかもしれない。

 先に進むために必要ならば、何度でも。


 人の概念が当てはまらない自分だからこそできる役割だろう。


 そもそも時間による世界の分岐という概念が実感できない。

 運命とか宿命とかいうものの意味を把握できているかも怪しい。

 なにしろ自分には時間軸が適応されていないのである。


 自分の機能だか本質だかそういう何かが、自身の変性を許容していない。


 切り分け、剥ぎ取り、張り合わせる。

 再生成しない程の傷でも消えてしまうことはない。

 資材リソースを消費して復元する。


 当然、復元に必要な資材は何でも良いわけではない。

 空中回廊のように適合する資材は、世界中ほとんど存在しない。

 だが何もこの世界に限る必要だって無いのだ。

 自分自身の肉体なら、適合しない部分が無い。

 たとえそれが、も《・》

 そっくりそのまま復元するための資材リソースにできる。

 これなら完全に適合して、復元レストアの妨げにならない。


 



 夜は星の光を頼りに歩く。


 自分にとって虚空こそが世界の本質なのかもしれない。


 星図と季節の関係を記憶しておけば、方角に迷うことは無い。

 超長期的な話でなければ、地上環境の特徴を覚えるより正確だ。


 完全に把握しようとすると時間がかかるのが難点かな。

 それでも時間だけの問題なら、どうにでもなるし。


 都合の悪い時間じぶんを切り捨てて、

 都合の良い時間じぶんを継ぎ接ぎすればいい。


 これが自分の中にある時間感覚であり、世界観というわけだ。

 もっとも、この方法だって言葉通りの簡単な話では無い。

 存在しなかった時間は切り貼りできないのだ。


 終末後の世界では、自分を隔てる条件が成立しない。

 滅びた世界の自分と同じ部位があれば、それは共有できる。

 共有と言うと正確では無いか。全く同一のものなのだから。


 人に説明する機会なんてあるかどうかは分からないけど、今滅びていないこの世界に存在するのと同時に、すでに滅びた世界にも並行して存在しているのである。


 だから、この世界に無い『知識』や『記憶』を引用できるのだ。

 自分自身と世界の犠牲をいとわなければ、という条件は付くけれど。



 滅びの運命は常に世界を捉えていて、根付いてしまっている。

 こびり付いて剥がすことも困難だし、消そうにも消えない。


 これまで滅びた世界にも預言者を自称して終末論を振りかざす人はいたけど、ああ本質は理解できていないんだなという感想しか思い浮かばなかった。そういう預言者モドキが人類滅亡とか必死に語るより遥か昔、人類誕生どころか生物誕生以前から、未来永劫いつまでも、あらゆる状況においてほぼ継続して何時でも、自分が破滅と称する宇宙全体の完全消滅が顔を覗かせているのだ。べつに生態環境の崩壊だけが問題になっているわけではないし、ましてや終末論が語られるそのときだけが終末の危機という訳でもない。


 世界の存在維持は条件が厳しい。

 このまま何もしなければ、あるいは少しでも繋ぎ合わせに失敗すれば、おそらく今この状況、次の瞬間にだって終末は訪れる。全くの手探り状態のスタートから始まり、何なら手本となるような完成形や理想形がまだどこにも無い。むしろゴールが実在するかどうかだって疑わしい。こういう状況を人類は綱渡りのようだと比喩するものなのだろうけど、実際には綱渡りの比では無い。なにしろ綱渡りであれば用意されて然るべきロープやワイヤーみたいな狭い関門すら、現実には用意されていないのだ。

 極めて過酷でエクストリーム困難な状況ハードモードである。

 既存の歴史を切り貼りして、世界の形を自分に都合の良いものに変え、現実として仕立て上げなければ、わずかに先の時間へと進むことすらできない。


 だけどそれを、何度も。

 そう、何度も。


 何度も繰り返し、切り貼りを続けてきた。

 のだ。


 繰り返した回数は、犠牲にした世界の数は、数えていない。

 とにかく、莫大だ。それこそ人には数として認識できないくらいの。

 一応、忘れる事の無い『記憶』を参照すれば、正確な答えは出せる。

 だけど状況はすでに、その桁数を数え終わるより、世界が終わってしまうほうが早い段階に到っている。

 比喩ではなく本当に数え切れないのだ。時間的な意味で。


 破滅をひとつ、ほんの僅かに遠ざけるためには、より多くの犠牲が必要だ。


 時間を切り貼りするというのは、余剰部分を滅ぼすのと等しい。

 当然、内包する生命はひとつとして残らず消滅する。

 それどころか再構築できる環境すらも失われる。


 終末後の破滅は、生命や知性体の類には乗り越えられない。

 物質という枠組みが消失する終末後に、それらが発生することもない。

 可能性の大小などという話ですらなく、偶発が起こり得ないのだ。


 少なくとも今まで滅ぼしてきた世界の中で、ただ一度の例外も無かった。

 終末後の破滅までを確認し、それ以降の観察を続けても変化は無い。

 今もなお数え切れないほどの自分自身が、終末後の破滅時間をしているのだから間違いない。


 自分では、破滅に到ってしまった世界をどうにかすることはできない。

 自分の肉体が再生成するだけで、他の何かが変わるわけではないのだ。

 皇帝さんのように物資を集積しても、他の世界に持ち出すことは出来ない。

 猫耳さんのように鍛錬で能力を強化できるわけでもない。


 そして何より、知識や記憶の限界を組み合わせてなお、終末は揺るがない。

 ましてや『記憶』が無い間は、情報の蓄積すらもままならなかった。


 だから自分は、開き直るしかなかったのだ。



 まあ、そうだね。開き直りだ。

 これは乗り越えたとは言わないよね。


 結局は問題の先送り、延命措置に過ぎない。

 それが正解だったかどうかも、まだ分からない。

 なにしろこの先の時間は自分にとって未到達領域だ。

 結論だってすぐには出ないだろう。

 そもそも結論だなんていつまで経っても出ないのかもしれない。

 それでも自分には無い可能性を、希望を見出せた事は大きい。


 そう。可能性だ。

 人類の可能性に関しては、様々な人が自分に示してくれた。

 皇帝さんも、大賢者さんも、騎士団長さんも、騎士さんたちも。


 ……いや、剣聖イヌミミだって例外ではない。

 ただ奴は破滅の未来への最短距離を進んでいただけで。



 でもまあ結果として猫耳さんが残ったのは僥倖ぎょうこうだ。


 猫耳さんの存在は必ずや、人類の可能性を大きく広げる。

 驚くべきことに、全く同じ状況が整っても反応や行動が違う。

 いや、そういう簡単な話にまとめる事もできないか。


 盗賊団の元親分、鍛冶師、魔術士見習いや、猟師に、流浪の料理人。

 親の仇討ちだったり、伝説の剣を探してたり、単純に金品目的だったり。

 帝都を偵察中の帝国軍近衛兵として出会った

 必ず討伐隊に参加するけど、肩書きや所属どころか動機までも違った。

 なぜか出会うことだけは決まっているのに、経緯から結末まで不確定なのだ。

 シュレディンガーの猫とかいう話にも似ているよね。色々と違うけど。

 猫と言えば、猫耳と尻尾が生えてるのだってはじめてのケースだった。


 もう行動原理がブレ過ぎとかいう段階を通り越しているんだよなあ。

 存在そのものの振れ幅が大きくて情報分析もままならない。

 ああ、あと何故か名前も違ってたりして呼び方にも困るし。


 この世界なんて特に酷い。

 よりにもよって因縁のある剣聖ターミガンの弟子。

 しかも正当な剣聖継承者アイビスの名前にまで到っていた。

 剣聖イヌミミが猫耳さんの可能性を知れば利用するのも必然だろうけど。

 でも他の世界だと、その名前は他の人に与えられるものだったはず。

 置き換えられた人のほうは今どこに行ってしまったんだろう。

 いや、この場合はどこにいつ行くんだ、という言い方になるのかな。

 入れ替わったわけでもないから、後回しになる事もないだろうし。

 そもそも剣聖イヌミミはもういないから順番の問題でもないのか。

 いくら適合者がいない時代でも、そういう入れ替えしないだろ普通。

 これからの歴史は混線して、滅びた世界とは全くの別物になるのかもしれない。


 剣聖の育成によって猫耳さんの特性も強くなっているのは疑いようも無い。

 でも剣聖は強さを求めない人間を気まぐれに育てたりはしない。

 だから猫耳さんだって剣聖を利用していたのは間違いない。

 本人にそういう意識が無くとも、あくまで主体は猫耳さんのはずだ。

 結果的とは言え、剣聖がこの段階で退場してくれたのは非常に助かる。


 何しろ剣聖の破滅志向は根が深い。

 あれは年月と世代を重ねるほどに果てしなく深くなる底無しの闇だ。

 剣聖が絡むと必ず破滅が早まるから対処に困っていたんだよ。

 破滅後の世界で何度も思い知らされている。

 それが後腐れなく片付いたのは猫耳さんのお陰だろう。

 きっとあの特性で今後も世界の運命を揺さぶり続けてくれるに違いない。


 ここに到るまで、実は剣聖に幾つも世界を滅ぼされているけど。

 結果的には世界の可能性を広げることに繋がったというわけだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る