第14話 通路と部屋

第14話 通路と部屋



 人は死ぬ。


 これは必然だ。

 そこに人の事情や心情や感情や所業などが顧慮こりょされることはない。


 宿命と呼ばれることもあるそれは、そむくことも、さえぎることも、さまたげることも、避けることさえできない。時を定めることなく、場所を選ぶこともなく、状況をかんがみることもなく、容赦ようしゃなく、例外なく死ぬ。人は、自らがほっする生き方を選ぶことはできず、すなわち望んだ死に方を選ぶ事もできないのだ。自ら死を受け入れること、つまり自分を殺すことさえも、時や場合や状況を選ぶのであれば、それは決して容易なことではない。


 望むかいなかに関わらず、生命あるものすべてに通じて言えることだろう。あらゆる生命は等しく、その宿命に固く結び付けられている。選ぶことはできない。だから妥協する。あるいはその妥協こそが、生きるという事なのかもしれない。


 せめて諸々の事情をんで人の宿命を操作してくれるような超越的な存在がいれば、救われない誰かが救われたりするのだろうか。もっと誰もが等しく幸せな人生を送ることができるのではないだろうか。

 しかし実のところ、そういった平穏無事な人生を誰もが歩むことができたとして、それに幸せを感じるかどうかなんていうのは当人にしか決められない。

 けっきょく当人にとっての幸せとは何ぞ、という話に行き着いてしまう。幸せというものの定義がまず、万人に共通する認識ではない。生きているだけで幸せという人もいるだろうし、生きる実感を着実に積み重ねていかなければ幸せを感じないという人もいるだろうし、あるいは死の感触が迫る切羽詰った状況にこそ幸せを感じると言う変わった人もいるかもしれない。まあ、他人の不幸は蜜の味、だとかそういう類の言葉が存在する。これは幸せというものをひとつの方向軸に限定して表現できない人類の多様性を的確に表現している言葉だと思う。

 だから結局は、人が口にする幸か不幸かという区分が相対的な尺度しゃくどでしかなく、かつ定量化できない主観的な概念でしかないことが問題なのでは無いだろうか。幸せの実感をすべての人に分配できないのは思想の統一ができないからだとも言い換えられる。人は自分の脳内物質でさえ制御できないし、情報の記憶方法にも偏りがあるし、記憶から情報を読み取る方法にだって個人差があるせいで、確認した時点での状況に応じて体験したはずの過去の事象に対してさえも受け取る感情を容易く変化させてしまう。誰かの助けがなければ生きることもできないのに、助けてくれた誰かを忘れて不自由だの不幸だのと好き勝手なことをわめくのが人間だ。あるいは幸福や運勢という考え方そのものがまやかしに過ぎないのかもしれない。不平不満を探すために労力を費やすことさえ厭わないことこそ、まさしく人間のサガと呼ぶべきものか。

 もっとも実際に助かることなく死んでしまえば、幸せがどうとか救いの有無だとか当人にとってまったく関係なくなってしまうのも確かではあるけれど。だからこそ、もし死んでいたら、もし生きていたら、という仮定を語る意味は無い。少なくとも自分はそこに価値を見出すことは不可能だ。


 に屍をさらすものも、家族に取られて死ぬものも、救う者も、救われる者も、最終的な死という結末に何の違いもない。死後の世界というものの有無、その是非についてを論じるつもりは無いが、記憶や精神を構成する脳や神経系を肉体に置き去りにした何かが、その後に何かを感じたり思ったりなんてできるはずがない。死は絶対だ。生物にとって、それだけが平等で、公平だ。どうせ死ぬのは同じだから救済なんていらないなどという考え方は極論だけど、死後の世界でも信じなければ生きる希望が無いというのは、いかに現在の世界に救いが無いかということに対する不平不満の感情が表出しているだけではないのだろうか。まあ、もっとも、それが世の中であり、人というものかもしれないけれど。



 あれだ、救済者の在不在だとか、世界観の考察をしたかった訳じゃないんだけど。

 とかく運命により織り成された現実のほうが問題だ。つまり今の自分の状況である。


 なにしろ、あのちょっとした山のような高さから落ちたのだ。


 きっと助からない、あるいはもっと直接的に、死んだと自分でも思っていた。

 もうどうにもならないと諦めて無抵抗だったのが良かったのか、ちょうど落下地点に開いた穴が狭くて細長い謎の空間に繋がっており、うまく通り抜けて服が破れたから生き残れたらしい。これ、要約だけ聞くと最後が理解できないよね。自分でも意味不明である。でも服は破れたのだ。残念ながら記憶には無いため、推測部分を除くとどうしても訳がわからないものになってしまう。


 のべつ幕無まくなしに服が破れ、破れた部分があちこちに引っ掛かり、また引っかかっては少しずつ破れる。しかも、段差などには一度も激突することなく。それが繰り返されたことにより、落下速度が何段階にも分けて徐々に減衰した、というのが省略した推測部分である。あくまで推測だ。こんなこともあろうかと厚着していたのが幸いしたようで――いや、こんなこともあろうかと思ったのかどうかも記憶にないから、幸いにも厚着だったと言うべきか――気が付いた時には、床上一メートルくらいの所に突き出ている壁の突起物に、ベルトが挟まった宙吊りの状態で止まっていたのだ。もっともこんな補足説明カバーストーリーは考え付いた自分自身さえ信じていない。意識を失ったのかどうなのか地下空間突入の直後あたりから記憶が曖昧だった。結果として怪我らしい怪我をしていないし、上へと続く吹き抜けのあちこちに引っかかっている衣服の切れはしを見る限り、推測と現実に起きたことの間に大差はないみたいだけど。



 こうして振り返ってみると、かなり奇想天外ファンタジックな体験である。

 きちんと書き記せば、ちょっとした短編物語が出来上がりそうな情報量だと思う。

 だがその結果は無傷かつほぼ全裸で宙吊りになっているという恐るべき状況である。いかに現実が残酷というか厳しいものであるかを理解させられる。その点で言うなら物語的な幻想的ファンタジーとはかけ離れたものだと思う。

 すなわち、事実は小説より奇なり。用法合ってるかな?

 もはや偶然という言葉で済まないような奇跡ミラクルであることは確かだろうから、他に表現も思い浮かばない。


 通り抜けた穴の位置関係やサイズから考えて、自分が入り込んでしまったのは例の大きな魔物が直に突き刺さっていた跡とも違う。と、思う。

 地下空間にしても、幅の狭い通路のようなものだったわけだし。

 穴のサイズにしても、謎の地下空間の存在にしても、脱衣アクシデントにしても、何らかの悪意ある緻密な計画を疑ってしまいたくもなる。


 これは何者かによって仕組まれた事なのではないか、と。


 でも、これが本当に誰かの陰謀ということはありえないだろう。

 投げ飛ばされた自分の動き如何によって、空気抵抗も変わるわけだし。飛距離と風の影響から考えて、落下地点の誤差は数歩分の距離では済まない。人ひとり分しかない地面の亀裂に、人ひとりを狙って投げ入れるなんて芸当は、人ひとりの力では不可能だ。


 仕組まれた通りに状況が起きる確率なんて想像も付かないほど低いはずだ。小数点以下に、天文学的な数のゼロが並んでしまうような気がする。再現性が無くて失敗がほぼ確定している計画を、ふつう陰謀とは呼ばない。

 誰かの意図によるものだとしても、被験者の死亡が前提だ。本気で殺しにかかってきている状況に、冗談ジョークで済む要素は存在しない。


 もっとも誰かが何かしらの意図を持って投擲したなどと疑う余地なんて、実際にはどこにもないのだけれど。


 投げ飛ばした張本人、つまり大賢者さんのことを思い出せば嫌でも分かる。

 色々な事を短期間で考えて計算するには、大賢者さんは脳内筋力度が高すぎた。

 決して長い付き合いではなかったが、この確信はある種の信頼と呼んでもいい。

 アレで何かをそんなに深く考えていたはずが無い。


 大賢者さんは筋力を極めて物理で殴るスタイルだ。

 特殊能力や応用技術などは無く、肉体の暴力こそが基本にして究極。そんな大賢者さんの戦闘スタイルをかんがみるに、何も考えずに近くにあるものを投げただけという可能性が高い。直後に死後硬直してたし。

 今にして思えば、この大層な名前の剣モドキの存在を思い出して利用しようとするほどの余裕があったかどうかすら怪しい。事前に内臓はみ出てたし。


 つまり自分が被害者になってしまったのは偶然の産物なのだ。

 いや、正確に言うと被害者は自分ではなく、自分の服なんだけど。


 名は体を示すとかいうけど、大賢者さんに関しては命名詐欺を疑うべきだと思う。考え無しに暴走して周囲に被害を与える前に、自主的に「賢」の部分は返上するべきだったんだ。ああ、いや、確かに大賢者さんの行動による被害者なんてものは魔物と自分の服以外には無かったけれども。

 もとより偶然への介入なんてものは、世界中の出来事と介入による影響、それによって分岐する結果を最初から最後まですべて知っているでも無い限りは不可能な話だ。


 そんな過ぎ去ったことを考えるより、これからの対応を考えたほうが建設的だろう。

 といっても、山より高い魔物に向けて投げ飛ばされて何かの建造物内部へダイブという流れなんて、まずありえないほど特殊なケースである。今回と同じようなシチュエーションなんて、もう二度と体験することはないはずだ。そういう意味では、今後の対策も特に必要ないのかもしれない。

 何より、あんな風に人を投げ飛ばせるのは体格的に猫耳さんでも無理そうだし、大賢者さん本人はすでにお亡くなりになっている。

 内臓が外付けの状態で死後硬直まで始まってたのに生きていたら、それはもはや人間では無くてその他の何かだ。あれ、まてよ、大賢者さんにしろ猫耳さんにしろ、たいがい人間の領域では無かった気もするな。なんだかちょっと不安になってきたけど、それでもやはり大賢者さんは人間だ。いくらなんでも死んだ人間が生き返ったりはしないはずだ。ありえない事を心配しなくてもいいだろう。いい、よね?



 ……ふむ、これについてはあまり考えないほうがいいかもしれない。

 運命とか何かそういう作用が積極的にそういう状況を準備しはじめても困るし。


 問題解決に繋がりそうにない思考は一旦放棄して、改めて現状確認をしてみようか。



 自分自身の服装を見下ろす。

 いや、すでに服装と呼ぶのもはばかられる状態だ。

 大賢者さんの最期、脱げかかった半裸状態よりも、さらに酷かった。

 服のほぼすべてが自分の身代わりとして、お亡くなりに……お無くなりになってしまったからだろう。

 いや、違う。まだ完全には無くなっていなかった。腰のベルトに引っ掛かって、申し訳程度に布切れが残っている。

 ええと、これ、ほとんど全裸と違いが無いんじゃないかな?


 このままでは具合がよろしくない。

 肌触りとかそういう意味より、主に倫理的な意味で。

 誰かに見られたら変質者と間違われてしまうのではないだろうか。

 大事な部分をベルトを締めて隠す。が、上手くいかない。当たり前だ。

 そもそも人間の身体はベルト一本で隠しきれるようにできていないだろう。

 というかベルトだって一本で人間の身体を隠し切るように作られていない。

 上手くいくはずがないのだ。うん、最初から分かってた。

 分かってたけど、嘆いてもいいだろう。何とも締まらない格好だ。


 剣モドキを片手に、ベルトを身体に巻きつけただけの準全裸探索を開始。


 いやダメだコレ。どこから見てもまごうことなき変態である。

 誰かに見つかったら確実に完全に変質者扱いじゃないか。

 肉体的損傷はほぼゼロでも、精神的損傷はまぬがれない。


 いったい運命は自分に何をさせようというのだろうか。

 今の自分にできることなんて、衣服の代わりを探すことくらいなのに。

 まったく、運命とかそういうのは誰か他の人が担当している領分だろう。

 たとえ誰かが何かを画策しているとしても、自分が巻き込まれる意味が分からない。

 他人の思惑通りに動きたくないとは言わないが、機転を利かせて様々な難問を解決してゆくようなキャラ付けを自分自身に科した覚えは無いのだけど。


 なんていうかここから妙にシリアスな方向に路線変更したり、選ばれし者への苦難の試練みたいなのが降りかかってきたりしない事を祈るしかない。何に祈ればいいのか分からないけど。

 試練みたいな主人公向けのイベントは管轄かんかつ外っていうか、自分にはちょっと荷が重すぎる。できればそういうのは猫耳さんとか皇帝さんみたいな主人公っぽい人たちに任せてあげて欲しい。



 いや運命とかそういうのを抜きしても、ここは色々とひどい。

 ベルトにはさまった布切れがモゾモゾして不快とかそういう話ではない。

 それも全くないということではないけど、それだけではない。


 幾度も折れ曲がった通路。

 交差している、いくつもの脇道。

 一見、複雑に入り組んだ迷路のように見えないこともない。

 通路はすべて、一定のパーツを組み合わせたパターンで構成されている。

 同じ場所を延々と回っているんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。


 だが、迷うことは無い。それ以前の問題だった。

 今のところ、脇道はすべて目に見える距離で行き止まり。

 複雑に見えても、実質的には一本道である。

 手抜き迷路というか、ここは迷路ですらない。

 こういう構造は迷宮と呼ばれるものの定義に近い。


 なんていうかこう、騙された感がひどい。

 べつに誰かに騙されたわけではないのだけど。

 謎の建造物探索かと思ったら、単なる長時間耐久行脚あんぎゃでしかない。

 探索で感じるであろうはずのドキドキワクワクを返してほしい。

 決して露出行為の特殊性癖に覚醒した感じでドキドキしていたとかいう話ではない。ベルトに挟まった布切れが落ち着かないけど、そういうドキドキは需要ないから。

 すでに今の心境は作業的な虚無感でいでおり、未知に対する期待感みたいな何かは思い出すことすらもできない。

 いやまあ探究心みたいなのは最初から無かった気もするけど。


 単調な道のりを歩いていると益体やくたいもない事ばかり考えてしまう。

 一本道なのに思考が横道にれていってしまうとはこれいかに。


 上り勾配が長く続いているのが精神的によろしくないのだろうか。

 それも、疲れて引き返すという発想に到らない程度の、微妙な勾配である。

 歩くという行為がじわりじわりと辛くなりそうな、悪意を感じる設計。

 どれだけ歩いても視覚的に変わり映えの無い通路は、精神にも何かしらの影響があるのかもしれない。なにか人間性というか、感情というか、尊厳というか、そういうものが気が付かない間に削られたり折れたり失われてしまっていないだろうか。

 通り抜けようとする者の人格的な部分から殺しに掛かってきているとしか思えない。

 あの超でっかい魔物とはまた別のベクトルから攻めてくる脅威なのだ。

 もうこれは、この通路の入り口にでも『汝、この門をくぐるなら一切の希望を捨てよ』とかそういう注意書きでも記しておくべき案件ではないだろうか。



 内心で文句をたらたらと並べつつも歩く。ひたすらに歩く。

 無心とは呼ばないかもしれないけど、無心のつもりで歩く。


 と、ふと気が付いたことがある。

 埃っぽさというか、咽喉のどの奥に感じていた異物感が無い。

 いつの間にそうなっていたのかよく分からない。

 逆に、完全に無くなったからこそ気付いたのかもしれないけど。


 足元を見回しても、灰色の砂は落ちていない。

 自分が落ちてきた穴は、外まで通じていたはずだよね?


 ここで問いかけようとして、猫耳さんがいないことに思い到る。

 話し相手が誰もいないことで、はじめて自分の孤独に気が付く。

 いや、それどころか、風の音すら聞こえてこなかった。


 外は砂嵐だったはずだし、風が止むというのも考えにくい。

 落ちてきた穴を確認しようにも、気軽に確認できる距離ではない。

 物音はしなかったけど、何かの拍子に塞がったのかもしれない。

 先程から通気孔らしきものを見ていないのも気になる。

 呼吸が出来なくて悲惨ひさんな状況になってしまわないだろうか。

 まあこれだけ容積がある通路で空気が無くなるなんて当分先の話だろうけど。

 通路に出口がなければ、二度と外に出られない可能性はある。

 とはいえ、このまま荒野そとに出ても悲惨ひさんな事態になるだけだ。

 具体的には灰色の砂がヤバイ。砂嵐が起きるとさらにヤバイ。

 鋭利な大粒の砂が露出した皮膚を削り、肉に食い込み続ける。

 砂漠地帯に慣れているから大丈夫だとか自信満々に断言してた軽装備の人が最初の嵐で死んだから間違いない。

 ましてや自分は軽装備どころかほぼ無装備である。失血死を免れ得ない。

 全裸死体になって誰かに発見されるというのも悲惨みじめな気がする。

 状況は相変わらずの高難易度ハードモードだな。


 音と言えば、足音や衣擦きぬずれの音さえも無い。

 いやまあこれは何も着ていないから当たり前かな。当たり前かな?

 ともかく聴覚が仕事をしていないせいか、何もかもが現実離れして感じられてしまう。

 周囲に誰もいないことも相俟あいまって、歩いているという実感が湧かない。

 猫耳さんがいないせいで、思考が上手くまとまっていないのだろうか。

 ……いかん、この考え方は危ない。猫耳さんトーキングに毒されている。

 猫耳さんがいても対話が成立するわけではないのだ。

 むしろ話が混線して考えが余計にまとまらなくなるはず。

 いや、自分は猫耳さんのいるいないに関わらず注意散漫だったね。

 よく考えたら一緒にいるのが猫耳さんでなく他の誰かでも同じかもしれない。

 ならばなぜ猫耳さんを思い浮かべたのか。猫耳さんで無くとも構わないのではないか。

 もしかすると気が付かない間に自分の心の支えになっていたとか。自分は精神的な面でも、猫耳さんという同行者の存在が必要不可欠になっていたとでもいうのだろうか。

 仲間意識? 友情? 相棒? 恋愛感情? 家族の絆?


 ……無い。無いわ。どれも違うな。

 猫耳さんとの関係性にしっくりとくる言葉が思いつかない。

 まあなんだかんだで魔物の脅威から守ってくれていたのは事実だ。戦闘に関してはほぼ完全に依存していたのである。関係性としては寄生生物と宿主やどぬしとか、そういう言葉のほうが適しているのかもしれない。あとよく考えたら自分は猫耳や尻尾の観察しかしていなかった気もするし。

 これは猫耳依存症とか猫耳中毒とかの類なのかな。



 時間といえば、通路を歩き始めてかなり時間が経った気がする。

 単純に同じ場所まで戻るにも、結構な時間が掛かるのではないだろうか。

 緩やかな下り坂を走ったところで、速度が何倍にも上昇するわけではない。

 戻る過程については考えるだけでも憂鬱ゆううつになってしまいそうだ。


 これ実はけっこう問題があるんじゃないだろうか。


 まず、この通路には目印となるものがない。窓も無い。

 どこまで戻れば元の位置なのか、それすらもサッパリ分からないのだ。

 目をつぶってその場で回れば、進んでいた方向すら分からなくなるだろう。

 時間感覚があいまいな感じになってきているせいで、時間でだいたいの見当をつけることもできない。


 もしかすると自分は、一本道で道に迷っているのか。

 何気に、帝都にいた時よりも遥かに方向音痴が酷くなっている気がする。

 自分自身にまったく成長というか進歩が見られない。

 移動距離だけなら相当なものになっているはずなのに。


 何度も往復する過程なんて、あまり考えたくはない。

 今更になって慌てて引き返したとしても、どうにもならないだろうし。

 戻って反対方向が行き止まりとか、二度手間が三度手間になっても面倒だ。


 だからせめて、この先にあるものを確認しなければ戻るに戻れない。

 などと決意を新たにして戸を開く。



 ……ところで、この開き戸は何時いつ何処どこから出てきたのだろうか?


 まあ、開けてから思い出したように警戒し始めても意味は無いのだけど。

 後から気が付いたところで、不用意に開けてしまった事実は変わらない。

 こういう時に慌てても仕方が無いし、開き直るしかないよね。


 開き戸は、そのまま部屋に繋がっていた。何かの建物の内部だろうか。


 いびつで、大きい部屋だ。

 目測だが、端から端まで数十歩といったところだろうか。

 部屋の中には石のような質感の、円柱形の台座のようなものが並んでいる。

 一つの台座にはそれぞれ一つずつ、何かしらの物品が置いてあった。


 さかずきに似たやわらかい何か。

 奇妙な形に絡み合って外れない二本の輪。

 本の模型らしきものはページが開けない。

 微妙に生暖かい透き通る材質の果物。

 のこぎりに似た板が中から出ている細長い円筒。

 解こうとすると色が変わる結び紐。


 物品の造詣はどれも精緻ではあるが、装飾の類には見えない。

 置いてある物は多種多様で、共通点すら思い浮かばなかった。

 よく見ると壁も棚になっていて、やはりそこにも色々と置いてある。


 これまでに見たことも無いような物に触れながら、思考を巡らせる。


 魔物がいるわけでもなく、罠も無い。

 だからといって安心できる状況とも限らない。

 むしろ、未知の光景を前に不安や危機感を感じるべき場面だろうか。

 あるいは好奇心を働かせて、もっと貪欲どんよくに探索するべきだろうか。

 自分で判断できない。分からない。どこかに知恵でも落としたかもしれない。

 色々と起きすぎて心の整理ができていないのかもしれないけど。


 家具の類が見当たらないためか、部屋の中に生活感は感じられなかった。

 だが、蜘蛛くもの巣にまみれている様子も無い。

 あ、死の荒野があるせいで、蜘蛛みたいな生物はここに侵入できないのか。

 ほこりが見当たらないので掃除されている……のだろうか?

 まさか埃すら入る隙間も存在しないとも考えにくい。

 展示場、もしくは商店の陳列台のようなものかもしれない、と想像を膨らませる。


 いや、台座にじか置きという粗雑な扱いだけれども。

 人に見せて何らかの感銘を引き出すための配置にも見えない。

 少なくともこれは芸術品の類に対する扱いではないし。

 しかしこれらが全て実用品だとしても、用途がまったく思い浮かばない。


 試しに手に持ってみても、材質が判別できるわけでもなかった。

 分かることといえば、少しひんやりとした台座の硬質な感触くらいだろうか。

 あとは持ち比べることで重いか軽いかが分かるくらいだ。

 だから何なんだという、どうでもいい情報しか手に入らない。

 まあ今までだってわりとそんな感じだった気がしないわけでもない。


 ただ、破れた衣類の代替かわりになるものがあるかもしれない。

 そう思って部屋の中をひととおり物色した結果、いくつか身に付けることができそうなものを見つけた。


 星のように輝くものが所々に編みこまれた、夜空のような色の外套マント

 果実のような形にも見える複雑な模様が掘り刻まれた留具カメオ

 淡い光を放つ謎の液体で満たされ、肩掛けの付いた透明な水袋。

 六つの複眼があつらえられた幾何学的な形状の仮面マスク


 何だか全部を身に付けても変態性が増すだけのような気がするんだけど。

 ベルト一本よりもマシではある……のかな?


 自問自答しつつ奇妙な装身具を身に着けていると、


「そうか。やはり、ここにいたか」


 聞き覚えの無いほど明瞭な、しかし既視感のある声。

 それも自分が入ってきた背後からではない。

 部屋の入り口が他にもあった事に遅れて気が付く。


 赤黒い鎧を着た誰かが部屋の中に踏み込んだ。




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