愚者の館
鳥位名久礼
第1話
大陸北東の辺境の国「アムール・ルーシ大公国」の首都・
華やかなメインストリートを一歩横に入ると、浮浪者や違法な売買が取引されている街の裏の顔が見られる裏通りがある。
その通りを三人の男が歩いていると、鼻ピアスに無精髭の男が興奮した仕草で前方を指さして言った。
「うほ♪ 見てくだせぇ! 獣人のガキですぜ!」
その横から身長150cmに満たない小柄な男が顔を出す。
「へへ、ほんとだ! こいつぁ高く売れますぜレオの
上半身が裸で腰蓑だけをまとった獣人の少年は、ゴミ箱に捨てられていた肉がついていたであろう骨を夢中でかじっていた。
人間の年齢で七歳くらいだろうか。
顎下まで伸びた前髪の横から飛び出る鋭い耳。野生を感じさせる尖った犬歯。
体はひどく痩せてはいるが、目には生きようとする強い光が宿っている。
北の大地には、人と人ならざる者から産まれた生物や、意図的な異種交配で産まれた、珍しくも排他的な生物が多く存在する。それらは獣人や狼男などと呼ばれ、そしてこの少年もまたそれらの呼び名で蔑まれていた。
「あぁ? ガキじゃねぇか、興味ねぇなぁ」
身長が二メートルを超える、「レオの頭」と呼ばれる大男。
ただ背が高いだけではない。全身が巨大な筋肉の塊であり、また全身を覆う様々な文字や柄のタトゥーが男の禍々しさを際立たせていた。
自身の頭部より太い男の腕が、口に葉巻を運び煙を吐きながら、男は平然と獣人の少年の横を歩いていった。
彼らは法に縛られない者。いわゆる
「………」
少年は骨をかじりながら、傍を歩いて行く大男達に向かって殺気を纏った鋭い視線を向けていた。
しかし大男達が何もしてこないことが分かると、少年も興味がなさそうに、再び骨へと視線を落とした。
「ひぇひぇひぇ! 一丁前に殺気だけは大したもんですなぁ」
小柄な男が笑いながら、骨をかじる少年の背後に腰をおろすと、乱暴に少年の髪を摑んだ。
「がっ!」
驚いた少年に向かって下卑た笑いを浮かべる男。
「ひぇひぇ! 小遣い稼ぎだ、おら来いよ、売人のところに連れて行ってやる! ひぇーひぇ♪」
「おーい、なに勝手なことしてんだよ。俺はガキに興味はねぇって言ったろ」
「ひぇ?」
グシャ!
鈍い音が路地裏に響く。
頭と呼ばれる男の足が、小柄な男の頭部を踏み潰したのである。
頭蓋骨が砕け、血を流し痙攣する男が、少年の目の前に倒れた。
「俺はルールが嫌いだ。だから俺たちにルールはねぇが、勝手なことは俺の見てないところでやるんだな。おら、いくぞ」
「へ、へい!」
無精髭の男は、緊張した表情で答えた。
(……たすけられ、た?)
獣人の少年は、目の前で赤い水溜まりを生成していく肉塊と、去っていく男たちを、何度も交互に見た。
少年は、もう震えもしない肉塊の腕部を両手で持ち上げて口元に寄せると、意を決したようにガブリと噛みつき、その骨と肉を剥離させた。
(……まっず。なんでニンゲンのニクってこんなにカラダがうけつけないんだ……。オイラもはんぶんおなじだからかな……)
生きるため背に腹は代えられなかったとはいえ、これ以上喉を通りそうにない。下手をすると、せっかく飲み込んだものが戻ってしまいそうだった。
少年は肉塊が纏う衣のうち、赤く染まっていない部分で自分の口元を拭った。
(……あのおおきなおとこ、オイラをゴミをみるようなめでみてこなかった……。コイツやほかのニンゲンたちとは、なんかちがう……)
まだレオと呼ばれていた大男の背中は見えている。
少年は肉塊の懐から小銭の入った小袋を取り出し、立ち上がる。
そのままレオとの距離を20m程まで詰め、その距離保ったまま後をつけて行った。
「おい~、俺の孤独を邪魔する気かよ」
「へ? どうしましたレオの頭?」
「さっきのクソガキがついてきてんだろうが」
「ええ!?」
無精髭の男が振り返ると、後方に先程の獣人の少年が四足歩行でゆっくりと歩いてきている。
大男は振り返りもせず、葉巻を吸いながら歩いていく。
「ど、どうしましょうか」
「おめぇでなんとかしてこい。この先は袋小路の広場、そこは俺が一人で酒と葉っぱを楽しむ場所だ。邪魔するんじゃねぇぞ」
「へい! わかりやした!」
無精髭の男は背筋を伸ばして応えると、ゆっくりと少年に近付いて行った。
「!!」
獣人の少年に緊張が走る。前傾姿勢になり、グルルル…と威嚇の牙を見せながら様子を伺うが、引き返す気配も見せずに歩みを止めない無精髭男を見ると、少年は二歩三歩後ずさり、逃げるように横道へと入って行った。
「おいおい、オレはやる気ねぇよ。レオの頭の邪魔をしなきゃ死にゃしねぇ。しっしっ! さっさと失せな」
男が少年に近づくと、少年は横道に入った。
「逃げたか!?」
無精髭の男が横道を覗く。
「へへ、いねぇ、それでいいんだよ」
男は額から流れる一滴の汗を手で拭うと、壁に背をつけてタバコを吸い始めた。
しかし突如として、男の見ていた世界が急速に移動し、そして頭部へあったはずの痛みに苦しむことも、声を上げることも出来ぬまま、その意識を手放すこととなった。
獣人の少年は、建物の壁や足場を伝って屋根上に登り、待ち構えていたのだ。
男が動きを止めたタイミングで真上から飛び降り、両足で男の頭を摑むと、そのまま重力に任せて地面へと打ち付けていた。
獣人の少年の足には、衝撃に対する支障は何もない。
少年は素早く飛び退き、獣のように両手両足を地面につけた前傾姿勢をとって、様子を伺う。
(いきてるかな…それともしんじゃった…? まぁ、どっちでもいっか……)
男に立ち上がる気配がないことを確認すると、レオが向かった方向へ四つ足のまま疾り出した。
獣人の少年が身を隠しながら進んでいると、前方に見え始めた袋小路にて「レオの頭」と呼ばれていた大男が独り乱暴に腰かけ、葉巻を吸っている姿が見えた。
少年は身近な建物から屋根上へと登り、大きく迂回をしながら袋小路の行き止まり側の建物の屋根上へと移動すると、上から様子を伺い始める。
「ふぅー」
葉巻を吸いながら、この国の蒸留酒“サラマンドラ(火酒)”を嗜む男。
レオニード――通称「レオ」と呼ばれる、無法者集団の頭領。
レオ本人は名声や権力、金銭には全く興味がない。彼はただ自由に生きているだけである。そこに利益を求めたアウトローが集まり、組織が形成された。
組織の頭領としての自覚もなく、自由に生きる。何者にも縛られぬ存在。それがレオニードである。
「おい、クソガキ! 死にたくなければ失せろ」
誰一人いない静かな裏通りの広場。レオの声が鈍く響く。
「俺は、相手が誰であろうと、平等に暴力をふるうぜ」
闇夜に包まれる周囲。レオは煙を頭上に向けて吐いた。
それはすなわち、真上から覗いていた少年と目が合うことになる。
驚いた少年は、びくりと体を震わせた。
「……なんでわかるのさ……」
はぁ、とため息を吐きながら、呟くように少年は言った。
少年は先程くすねた小銭の小袋を上から放り投げ、レオの前に落とす。
「それ、あげる。さっきたすけてくれたおかえし。まぁ、たすけたなんておもってないだろーけど」
「けぇー! ちゃんとした言葉話せるのかクソガキ!」
酒のボトルをボロボロの木のテーブルに置いて大笑いする男。
「気に入らねぇな。俺は他人からの施しは受けねぇ。その金持ってさっさと失せろ、獣くせぇクソガキ」
レオはテーブルに置いたボトルを手に取り、再び飲み始めた。
「ほど…なに? まぁ、いらないってことだよね。そーゆーことならもってくけど」
少年は屋根上から飛び降り、小袋を拾うと、素早く飛び退いて間合いを取った。そしてゆっくりと立ち上がり、おもむろに口を開く。
「……ねぇ。このセカイ、いきづらくないの? こんなふーにくらくてせまいみちでこそこそと、ふつーのニンゲンからかくれるよーにいきててさ……」
人間に石を投げられて出来た傷跡を摩りながら、少年は問う。
「喰いてぇ時に喰う、飲みてぇ時に飲む、邪魔するやつはぶっ殺す。俺の生き方は単純かつ明確だ、力があれば何の不自由もねぇ。そこがどこであろうとな。(あー? 俺はなんでこんなガキと話してんだ?)」
レオは懐から、紐で縛られた数枚の干し肉を取り出して、乱暴にテーブルの上に投げた。
「例えば、力があれば俺の首根っこを抑えて強引にこの肉を奪うことだって出来る。路地裏で残飯を漁る生活も必要ねぇ。てめぇをなめた奴をぶっ殺していけば、いずれ体からアザも消える。まぁ、そんな栄養失調の貧相な体では無理な話だがな。けぇーけっけっ!」
レオは残り少ない酒を飲み干すと、葉巻を口に運んだ。
「ほら、肉が欲しけりゃ俺から力ずくで奪ってもいいんだぜ。てめぇのようなクソガキにそんなプライドがあればな。まぁ、死にたくなければ、暗がりに戻ってゲロでもすすっているんだな」
「やだよ、しにたくないにきまってるじゃん……。こんなところでしんじゃったら、いままでなんのためにがまんしてゴミにあたまつっこんできたのかわかんないよ」
獣人の少年はひらひらと手を振って、挑発に乗らない意図を示した。
「オイラはいきる……。いきのびてみせる。どんなことがあっても、どんなめにあっても、ぜったいに……! そしていつかオイラをゴミあつかいしてきたニンゲンたちをみんなブンなぐってやるッ……!」
少年は拳を力強く握ると、レオ達と初めて会った時に見せた、生きようとする強い光を再びその金の瞳に宿し、レオを睨んだ。
その後少年は、ふぅ、と息を吐きながら力を抜くと、はは、と苦笑いをする。
「オイラもオマエみたいにいきてみたいよ……。それじゃーね」
くるりとレオに背を向ける獣人の少年。
しかし少年は半回転で止まらずそのまま一回転すると、その遠心力の勢いに乗せて、持っていた小銭袋をレオの顔面目掛け勢いよく投げつけた。同時に、獣人自慢の瞬発力で瞬時に距離を詰め、テーブルの上の干し肉に手を伸ばす。
少年の手が干し肉に届くまであと一センチというところで、レオの巨大な手が少年の顔を覆い尽くした。
「がっ!」
レオに頭を摑まれた少年の足が地面から離れていく。
「けぇーけっけっけっ! さっきまでドブネズミみてぇだったクソガキが、野良猫くらいまでには成長したか!」
足をバタつかせながら、少年はレオの腕に爪を立てるが、鋼鉄のように硬い皮膚には通らず、逆に少年の爪にヒビが入り始めた。
「このまま頭を砕くのは簡単だが、てめぇはもう少し楽しませてくれそうだ」
「はなせぇ!!」
「けぇーーけっけっけっ! 弱えってのは罪なもんだな! 己の意思でさえ思い通りにならねぇ」
レオは少年の顔を摑んだまま、どこかに向かって歩き始めた。少年は足をばたつかせながら抵抗するが、レオは気にする様子もなく、葉巻をふかしながら歩いていく。
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