第3話 Think tankでsink out 踏まれ沈む その1 

 安定したD社のサラリーマン生活に飽き足らず、30代後半にして果敢にも◯◯総合研究所E社のシステム部門に転職したヤスオは、挑戦も虚しく約5年間暗黒の時を過ごすことになる。初日、事務所に足を踏み入れると、全く物音がなく静まり返った職場で、皆粛々と端末に向かっていた。A社でもD社でも感じたことのない緊張感がヤスオを襲った。事務手続きやパソコンの設定を済ませると、上司との面談でヤスオのミッションが説明された。営業と事業企画の兼務が言い渡された。海外製パッケージソフトウェアが時流に乗り成長しているE社IT部門であったが、別の柱を作る必要があった。他社製パッケージソフトウェアではなく、自社製で利益を確保したいという方針であった。ある流通大手企業の販売分析システムをその企業とアライアンスしてパッケージ化して、中堅流通業に導入していこうという戦略が進められるところであった。ヤスオはその事業企画と営業を任されたのである。そして彼に渡された名刺には”部長代理”という役職が印刷されていた。右も左もわからない転職したての彼に事業企画の責任と部長代理という肩書が重くのしかかった。(後で知ったが、銀行マンは中小企業の社長や幹部と渡り合う必要があり、30代になると最初の役職として”部長代理”の肩書が名刺に刷り込まれる習わしであり、銀行子会社のE社もそうであった。)

 結論から言うと、サーバー購入とシステムエンジニアの人件費で家一棟建つほどの投資をしたものの、当プロジェクトは全く日の目を見ず1年で幕引きとなる。理由は、国内トップの流通企業のシステムは重すぎて中堅企業には適用できないこと、中央一括仕入による全店同一品揃えから、地域性を活かした店舗ごとの品揃えへ流通業のトレンドが変化していたことであった。そもそもその流通企業自体が、時代に取り残され傾きかけていた。しかし、プロジェクトを閉めるまではヤスオには荊棘の道であった。営業マンとして売上予想ゼロと言えないので、見込みのあてがないまま営業会議で売上を約束する。そして翌月の営業会議で吊るし上げられる。また、営業と事業企画のそれぞれの上司から相反する指示がくだされ、身動きが取れなくなる。唯一の息抜きは、地方の顧客を訪問するときの移動の電車の中のみ。何の成果もない帰り道は胸が押しつぶされそうであった。土日の休みもプレッシャーで頭を抱えて家でうずくまっていた。


 ヤスオを苦しめたのはプロジェクトだけではない。A社、D社では人間関係に恵まれたサラリーマン生活を謳歌したものの、E社では全く人間関係が築けなかった。銀行は縦社会でトップが全体的権力を持って君臨する。下のもの、弱いものは自分の意見を言うこともできない重苦しい雰囲気があった。E社入社の初日、最も驚いたことは、夕方退社する際に、各社員が部内の課長、部長、役員の席を順に回って挨拶をしていくことである。オープンでフラットだったA社にも、おっとりとしたD社にもそんな文化も雰囲気もなかった。上席者が絶対的な地位をもっている世界であった。上下関係の厳しいE社では、途中入社で何ら実績を上げていないヤスオは立場が弱く、冷ややかに扱われていた。力関係を敏感に察知するアシスタントの女子社員にも、あからさまに上から目線でものを言われていた。


 流通業向けパッケージソフトウェア開発のプロジェクトが終わったあと、次の年には製造業向けパッケージソフトウェアの専任営業担当となった。大手から中堅の製造業をピックアップし、DMを送付し、電話を入れ、反応のある会社を訪問する日々が続く。いきなりの電話でキーマンに取継いでいただくことも稀であったし、訪問のアポイントを採ることは至難であった。そもそも権限のあるキーマンは多忙で、初見の営業マンに会ったりはしない。会ってくれる人物は仕事のない時間を持て余す立場であった。それでもなんとか自動車メーカー、家電メーカー等、数社において提案まで持ち込んだが、受注に至ることはなかった。

 

 2年間成果がでないヤスオは連日上司から執拗に責め立てられた。当初は業務上の叱責であったが、だんだんヤスオを叩くことが彼の目的に変質してきた。外出しては交通費が高いと責められ、社内で資料を作成していると営業しろと言われる。ヤスオの話し方、表情、人格が攻撃され、存在を否定された。日々30分の説教が日課とななり、ヤスオの精神状態は萎縮した。上下関係が厳しい縦社会の銀行文化を持つE社において役員からのプレッシャーにさらされる中間管理職は、下のものを痛めつけて憂さ晴らしをすることで自身の精神がバランスを保っているようであった。(この上司はヤスオより1歳年上であったが、その後40代後半には役員に昇格し、会社員としての名誉を手中にしたかと思われた。しかし、間もなく左遷され外部に出向することになった。時代が変わり、彼の行為はパワハラとして許されなくなったのだ)

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