第1話 これって産業スパイ?IT業界の闘い その4
水面下での政治力でモデルユーザをライバルB社へのリプレースからなんとか阻止したA社であるが、国内有数のハイテク企業の雄として、優秀な人材、個性的な人材の宝庫でもあった。
東大や難関大学工学部出身者が普通に営業で顧客まわりをしている。また、成長著しいA社には外資系企業からも多くの人材がキャリア採用で流入していた。彼らは枠にとらわれない実力本位の仕事師であった。麻のジャケットを粋に着こなし、輸入車に乗り、予算を達成すると、早々に長期休暇をとって優雅に過ごす。典型的日本企業のサラリーマンとは違う世界の人種だった。外資キャリア組のなかには、後にA社を出て、ポイントを多様な業界業種で横断的に利用できる革命的なポイントカードを創設する人物もいた。ビジョンと構想力が卓越していて、部下だけではなく上司や顧客までも動かしていく強力なリーダーシップの持ち主であった。
アパレル会社を死守したカミムラ氏もまたクセの強い人物だった。分厚い紳士録を開け、おもむろに、これ俺の一家と指さした。そこには一高⇒東大⇒某都市銀行役員の祖父、東大⇒大蔵省幹部の父の名があった。カミムラ氏自身は東大ではなくW大であり、やんちゃな男であった。仕事で実績をあげる一方、社内の女子社員との関係を自慢気にヤスオに聞かせた。私生活では輸入車のみならずクルーザまで所有し、派手に遊んでいた。資産家のお坊ちゃんとばかり思っていたら、そうではなかった。顧客に納入する数百台のパソコンや機器を自分が手懐けた販売店を通して、そこから現金を受け取っていたのだ。それを事務アシスタントの女性社員が告発したのであった。業務上横領ではあったが、A社は問題を公表せず、カミムラ氏を解雇もせず、全ての業務を取り上げ、何も与えずに席に監禁して晒し者にするという精神的な懲罰を課した。
名門のA社にはお嬢さまもいた。某銀行頭取の娘は、きゃしゃで可愛くかつ美人でであった。何人かの男子がアプローチしてスマートな慶応OBが射止めた。男子8:女子2ぐらいの割合だったから、女子は大事にされ社内結婚も多かった。
優秀な人材、やりがいある刺激的な仕事、A社への勤務は内気で消極的だったヤスオを前向きで意欲的な人間に変えた一方、長時間労働に疲れ果てていた。流通業担当のヤスオは格安量販店も担当したが、土日の店の繁忙時に頻繁にPOSが故障した。POSでは後発のA社は店舗独自仕様の特注品を納入していたため、実績がなく信頼性は低かった。携帯電話もない時代、ヤスオのポケットベルは度々呼び出し音を鳴らした。店に電話して状況を聴き、システムエンジニアの自宅に電話を掛ける。精神的な休暇はなかった。
また”経営課題の解決”というITの仕事は、やり甲斐と充実感に支えられ、新興宗教のような熱狂の中で、営業マンたちは毎晩終電車まで仕事に熱中していた。基本給と残業代がほぼ同じというくらい残業漬けの日々であった。
A社の商談の激務の中、ヤスオは休日出勤の会議中に貧血で意識を失うという騒ぎをおこしていた。そんな疲労困憊の状態で自身の結婚式を迎えたヤスオは寝坊して結婚式に遅刻するという失態も犯している。子どもが産まれたとき、この業界にいては家庭生活が成り立たないと思った。退職の意識が少しずつ芽生えた。
ちなみに、女子が少なく残業だらけの毎日でヤスオはどのように結婚相手と出会ったのか?スマホもアプリも無い時代の男女の出会いの場は合コンだった。システムエンジニア時代、残業が多いヤスオは必ず退社できる徹夜明けに合コンの予定をねじ込んでいた。睡眠不足とアルコールで脳の回路が麻痺している日々のなかで、予期せぬ子どもを授かっていた。アパレル企業との商談のさなかに、慌ただしく結婚式を挙げ籍を入れたのだった。
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