第1話 これって産業スパイ?IT業界の闘い その1
大学を卒業したヤスオが入社したのは国産コンピュータメーカー系のソフトウェア会社。なぜ、コンピュータを選んだか?地味でおとなしいヤスオは、有名企業にことごとく落ちた。そんなぱっとしない若ものを拾ってくれたのはソフトウェア会社だった。昭和末期、コンピュータ業界は右肩上がりに伸びていて、ソフトウェア技術者は大変な人手不足だった。10月になってもどこからも内定がもらえなかったものの、国産コンピュータメーカーのA系とB系のソフトウェア子会社からはあっさりと内定をもらった。
最初にB系から内定をもらい、A系に辞退を申し入れたが、熱心に声をかけてくれたA系に断りきれず入社した。A社とB社・・・その5年後に泥沼の闘いに巻き込まれることは、そのときは予想もしていなかった。
入社すると3ヶ月間は研修の日々。100人以上大量採用したその会社は、コンピュータの素人の学生をみっちりと教育しなけれなならない。昭和の時代はまだ産業界全体に余裕があり、何も生産しない新人を養うゆとりがあった。
17時30分に研修が終わると数少ない女子社員に男子が群がって、夜の街に繰り出す毎日。学生時代の延長のような日々であった。
3ヶ月の研修が終わり配属されたのは大手流通業の大型コンピュータの運用サポート部隊。システムエンジニアとはプログラムを設計する仕事って聞いていたけれど、大型コンピュータは環境設定にも人手がかかる。端末1台追加したり、移設するだけでも、ネットワークの定義を書き換えて動作確認する必要がある。それは稼働中はできないから、業務が終わる21時過ぎから、チームの出番となる。そして24時前に作業が終わる。大きな作業は徹夜。朝4時まで設定作業と動作確認を行い、そこから事務椅子で仮眠する。朝7時にシステムが無事に立ち上がると、近くのファミレスでモーニングを食べる。収集したデータの解析がある場合は、そのまま午前いっぱいデスクワークを行う。28時間労働。ただ朝の太陽が眩しかった。
チームは華のない10人足らずの男所帯。ストレスの溜まる仕事場だから皆タバコの煙を吐きまくり空気が淀んでいた。30代の主任はいつもイライラし怒鳴り散らしていた。おとなしいヤスオは特にお叱りの対象になった。重苦しい職場だった。
これって思い描いていたシステムエンジニア像と全く違う。希望が破れ傷心のヤスオは、正月休みに夜行列車に乗り、あてもなくなんとなく九州に向かった。九州を一周しながら、その大地のエネルギーに癒やされ、桜島の噴煙を眺めながら決意した。辞めよう。ただし、今辞めても何も残らない。3年がんばって技術を身につけて自信をもって辞めよう。
社会人3年目、新人を部下に持つようになり、半年に及ぶプロジェクトを無事完了させたヤスオは、仕事を成し遂げた充実感を覚えながらも、この職場には何の未練もなかった。入社以来、いつも怒鳴りちらしていた上司は、プロジェクトの成功に安堵しながら、猫なで声で、「ヤスオくん、次も頼むよ」と言ってきた。すかさず、ヤスオは「会社を辞めさせてもらいます」と告げた。
そこから、ヤスオの人生は変わり始めた。転機という言葉があるが、振り返ればまさにそうであった。退職を申し出たヤスオに親会社から出向してきた部長は、ヤスオを料理屋に誘い、「A社で仕事してみないか?」と予想しない提案をしてきた。A社は昭和には、コンピュータ、通信機、半導体で日本を牽引するハイテク企業の雄であった。理系大学生の就職希望のトップで、ヤスオが卒業した大学からも就職は難しい高嶺の花と思われた。驚くことに推められた仕事の内容は営業であった。地味で人見知りで消極的なヤスオに営業の仕事ができるのか?不安と恐怖でためらわれた。一方で、これまでの地味でぱっとしない人生から何か変えてみたい、という気持ちもあった。興奮で眠れず、一晩考えた翌日、部長にA社への出向を受け入れることを申し入れた。自分の人生を変えよう、挑戦しようという気持ちがその決断につながった。
昭和天皇が崩御し、時代も昭和から平成に移るその年、ヤスオは新しい世界に一歩踏み出した。
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