第12回

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 小林はいったい何を企んでいるのか。『他のみんな』とはいったい誰のことなのか。そしてこの件を、自分はいったい誰に相談するべきなのか。大樹は帰宅してからも、ずっとそればかりを考えていた。


 やはり親や昨年の担任には相談しておくべきだろう。小林が本気であんなことを言ったのかどうかは判らないけれど、このまま無視するわけにはいかない。何か起こってからでは遅いのだ。


 ――相原奈央には?


 いや、なるべくなら、相原には黙っておきたい。大樹は一年前、小林のせいで骨を折りかけたあの一件で、相原には言わないことを選んだ。それは相原に余計な心配をかけさせたくないという思いからであり、同時に今回の小林の発言も、余計な不安や怖い思いをさせたくないという願いから、大樹はやはり相原には伝えない方がいいだろうと、そう思った。


 大樹から小林の発言を聞いた母親は、すぐさま学校にその旨を連絡してくれた。どのような会話がなされたのか、細かいところまでは大樹も知らない。


「大樹も気を付けてよね? また怪我なんかさせられたら……」

 心配する母親に、大樹は頷き、

「大丈夫だよ。ちゃんと注意しておくから」

 とにかく、そう返事することしかできなかった。


 もちろん、相談したからと言って、大樹の抱いた不安が払しょくされるわけもない。大樹は小林の言葉を反芻し、あれやこれやと悪い想像や妄想を働かせなながら、なかなか寝付けない夜を迎えた。


 とても静かな夜だった。その静けさが、余計に大樹の不安を掻き立てる。


 本当に先生たちに任せるだけで大丈夫だろうか。自分からも何か行動した方が良いのではないだろうか。せめて相原のそばにいて、守ってやることはできないだろうか。その方が自分としても安心だし、何かあった時に対処しやすくなるのではないだろうか。


 ただ、小林ひとりが相手ならまだ何とかできそうだけれど、やはり気になるのは『他のみんな』だ。


 小林はいったい、この一年、どう過ごしていたのだろう。どんな奴らとつるむようになってしまったのだろう。相原のことを忘れもせず、そればかりか、ずっと大樹と相原の関係を見ていたかのような、あの発言。それが大樹は気になってしかたがなかった。


 果たして自分は、どうするべきなのだろう――


 そんなことを思い悩みながら、大樹はろくに眠れないまま、翌朝を迎えた。


 いつまでも悩んでいたってしかたがない。とにかく今は、できる限り相原さんのそばにいるようにしよう。あとのことは、それから考えよう。それしかない。


 大樹はいつものように自転車に乗り、けれどいつも以上に周囲に気を配りながら登校する。


 駐輪場で相原と会えると思っていたが、けれどどこにも相原の姿は見当たらなかった。


 もしかしたら先に着いてしまったのか、と相原の自転車を探してみたが、自転車すら見つけることができなかった。


 途端に大樹の中に不安がよぎる。


 ――もうすぐ相原さんは、俺のモノになるんだから。


 ――俺は何もしないよ。他のみんながやってくれるから。


 ――心構えくらい、必要だろ? 大好きなものを奪われるんだからさ。


 改めて小林の言葉が思い起こされて、全身の毛がぞわりと逆立つのを感じた。


 まさか――誘拐。拉致。連れ去り。そういうことなのか? 


 ……いや、待て、落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない。大樹は思いながら、胸に手を当てて深呼吸する。たまたま遅くなっているだけかもしれない。自転車が壊れて、バスで登校しているだけかもしれない。或いは、風邪か何かで今日は休みなだけなのかも。


 こういう時、連絡先くらい交換しておけばよかったと大樹は後悔した。一年も付き合いがあったのに、恥ずかしくて自分から相原の連絡先を聞くことができなかった自分を心底憎んだ。


 だが、今さら悔いてもしかたがない。このまま相原が来るのをここで待つより、一度相原のクラスまで様子を見に行ったほうが良いだろう。


 大樹は自転車を急ぎとめると、相原のクラスへ駆け足で向かう。


 放課後に相原と図書だよりを掲示しに来たことはあったけれど、わざわざ相原に会いに教室まで来たのはたぶん、初めてのことじゃないだろうか。


 確か、今このクラスには宮野首や矢野もいたはずだ。知らない生徒よりも話しかけやすくて助かる。けれどその反面、大樹は内心警戒もしていた。


 村田には、あのふたりには自分が相原を好きなことを言わないよう、釘を刺しておいたのだ。


 村田に『さっさと告白しろよ』と言われるだけでウザいのに、矢野桜はそれに輪をかけて面倒くさい。きっと自分が相原のことを好きだと言ったら、全力で大樹にかまってくることだろう。そんなことを、大樹は望んでなどいない。なるべくなら静かに、穏やかに、相原との関係を深めていきたいと考えているからこそ、矢野にはこの感情を悟られたくなかった。


「……宮野首さん、矢野さん」


 大樹は教室を覗き込み、ふたりに声をかけて手招きした。


 宮野首と矢野は「ん?」とこちらに顔を向けると、ふたりして大樹のところまで歩み寄り、

「なに? なんか用?」

 矢野が首を傾げた。


 大樹は教室の中をきょろきょろと窺いながら、

「えっと……相原さん、いる?」


 よほど予想外の言葉だったのか、その瞬間、矢野も宮野首もふたりして眼を見張る。


 それもしかたのないことだろう。そもそも相原はほとんど人との関わりをもっていないのだ。そんな相原に会いに来た自分に驚くのもわかる気がする。


「まだ来てないけど……」と宮野首は口を開く。「どうしたの?」


「あ、いや、その……」大樹は一瞬、どう返答すればいいのか悩んでから、「と、図書委員で伝えておきたいことがあったんだけど、いないならいいや」


「あぁ、図書委員」矢野は納得したようにうんうん頷いて、それから嘲るようにケラケラと笑いながら、「なんか神妙な顔してるから、てっきり相原さんに告りに来たのかと思ったじゃん!」


「――えっ!」


 瞬間、大樹もまた思わぬ言葉に目を見張り、顔が熱を帯びるのを感じた。


 ヤバい、と思った時には、宮野首も矢野も、

「……えっ」

「……あっ」

 と再び眼を見張って、大樹の顔をしげしげと興味深そうに見つめてくる。


 大樹はどこへ視線をやればいいのかきょろきょろと眼を泳がせて、耳まで真っ赤に染めながら狼狽えてしまう。あまりの恥ずかしさに手足が震えてしまうのを必死に抑え、平常心を取り戻そうと試みるがうまくいかない。こうなることがわかっていたからこそこの一年間、大樹は矢野や宮野首には相原への想いを黙ってきたのだ。


「あ、いや、そういうわけでは、ないんだけれど――」


 ないんだけれども、次の言葉が思い浮かばない。動揺し切って、何を言えばいいのか何もわからないくらい、頭の中はグルグルしていた。


 そんな大樹に、宮野首と矢野は目配せしてから、

「……あ、いや、うん。なんか、ごめん」

 何故か矢野は謝り、宮野首も両手を合わせながら、

「そ、そうなんだ、木村くん、相原さんのことを……」


 もはや否定のしようがないのは明白だった。明白だったけれども、この想いはどうにかしてここで止めておかなければならない。


 大樹はしどろもどろになりながら、

「あ、あぁ、いや、でも頼む、誰にも言わないで! 相原さんにも!」


「い、言わない、言わないけど……ねぇ?」


「ねぇ? って言われても、それは、まぁ、うん」


 何とも言えない空気がその場に流れて、しばしの沈黙が訪れた。


 てっきり村田のように『告れ告れ』と嘲ってくると思っていた矢野でさえ、「マジか…‥」といった表情で気まずそうにしているのが印象的だ。


 そんな空気に耐えかねて、大樹は慌てて視線をふたりに戻して、


「――あ、そ、そうそう! そんなことより、一昨日の大雨、凄かったよね!」


 困りに困った挙句、全く関係のない話題を振ってしまう自分が情けなかった。


「お、一昨日? そ、そんなに降ったっけ?」


 矢野もその話題に乗ってくれたのか、宮野首に顔を向けた。


「えっ、えぇっ?」


 困ったように眉根を寄せる宮野首に、大樹は「あっ!」と口を開く。


「そうだった、一昨日の大雨はうちの方だけだったんだ」


「へぇ。木村ん家、確か麻北区の方だったっけ?」


 矢野の言葉に、大樹は「そうそう」と頷いて、

「あっちとこっちの天気、微妙に違うんだよね」


「あ、そうなんだ」と宮野首も納得したように、「そんなに降ったの?」


 降った降った、と大樹は大きく何度も頷いてから、

「凄かったよ。夜遅かったけど、雨の音の所為で目が覚めちゃったもんね。部屋から外を見てみたら、川も増水しててさ、このまま振り続けたら氾濫するんじゃないかって思ったから」


「そんなに。大丈夫だったの?」


「まぁ、本当に一時的なものだったから」


「それなら良かったね」


「うん、まあね」


 その時、HRの開始を告げるチャイムが校内に響き渡った。


 一斉に生徒たちが動き始めて、自分の席に戻るものや大樹のように他のクラスから来ていたのであろう生徒たちが教室を出ていく。


 大樹はほっと胸を撫でおろし、

「あ、チャイム。そろそろ僕も戻らないと」それから改めて教室の中を見回し、「相原さん、結局来てないね……」


「まぁ、何かわかったら、あとで教えるよ」


 矢野は言って、改めてにやりと笑むと、バンッと大樹の背中を叩く。


「い、痛いって! なんだよ!」


「あんたと相原さんがどこまでの仲なのか知んないけど、頑張ってね!」


 大樹は再び顔が紅潮するのを感じながら、

「よ、余計なお世話!」


 逃げるように、自分の教室へ向かったのだった。

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