第10回
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玲奈は暗闇の中にいた。
あの学ランの男子の顔が目の前に迫った瞬間、玲奈は目を固く瞑っていた。
何が起こるのかと緊張し身構えていたが、けれどその身には何も起こることはなく、恐る恐る瞼を開くと、そこにはただどこまでも続く闇が広がっているだけだった。
当然のように玲奈は焦り、狼狽した。自分の身に何が起きたのか確認するように辺りを見回し、次いで自身の身体に視線を向けた。そこには間違いなく自分の身体があって、しかし地面の上に立っているという感覚はまったくなく、まるで闇の中を浮いているかのように感じられた。
ここは、どこ? なんでこんなところにいるの? なにがどうなっているの?
玲奈はタマモを探し、村田を探し、桜を探した。けれどもどこにも彼らの姿は見当たらなかった。闇の中にただ独り、玲奈は不安と恐怖と心細さに目に涙を浮かべ、
「なんで……? どうして……? タマちゃん? どこにいったの? 助けてよ……!」
胸を押さえながら、祈るように口にした。
こんなことになるのなら、言われたとおり関わらなければよかった。放っておけばよかった。あのまま大人しく家に帰って、ただ待っていればよかったのだ。
玲奈はそんな後悔に苛まれながら、闇の中で蹲った。
涙が溢れて止まらなかった。何をどうすればここから抜け出せるのかもわからなくて、ただただ絶望した。音も声もなく、闇と静寂が広がるばかりの世界で、玲奈はただ泣き続けて。
――ぴちょんっ
どこからか、水の滴るような音が聞こえた。
それは静寂の中にあってはっきりと玲奈の耳に届き、蹲っていた玲奈ははっとして立ち上がった。辺りを見回し、耳を澄ませて、その音の出所を突き止めようと試みた。或いはそこに、この闇の世界から抜け出す何かがあるんじゃないかと期待しながら。
――ぴちょんっ
再び、あの音が聞こえた。
玲奈はその音を頼りに、恐る恐る歩き出した。その先に更なる恐怖が待ち受けているかもしれないとは思いつつも、けれどこのままここでじっとしていても助けが来るとは限らない。何もしないでいるより、玲奈はとにかく何かをして安心したかった。
――ぴちょんっ
また、音がした。玲奈は間違いなく、その音へと近づいていた。どこからだろう、何の音だろう。玲奈は不安に思いながらも、一歩一歩、着実にその音へと近づいて行った。
やがて、玲奈の目の前にぼんやりとした光が現れた。
その光はあのお化け桜の形をしていて、
「――ひっ」
玲奈は息を吸うように、小さな悲鳴を上げた。
そのお化け桜からは無数の腕が、足が、顔が、うめき声や叫び声、すすり泣くような声をあげながら浮かんでいた。そのどれもが、恐らく玲奈とほとんど変わらない年齢の、少年や少女たちのものだった。
「なに、これ……」
玲奈は一歩後ずさり、両手で口を覆いながら目を見張った。
それはあまりにも気味の悪い光景だった。桜の木が、人の身体をバラバラにして、その根や幹に取り込んでいた。満開の花弁は、はらはらと零れながら、零れた先からまた新たな花を咲かせていった。けれどその色は所々茶色く染まり、ぴちょん、ぴちょん、と枝の先から黒い水を滴らせていた。
その異様な桜の木の根元に、茫然と木を見上げる矢野桜の姿があった。桜の身体はわずかに光を発しており、今まさに桜の幹に手を触れようとゆっくり、ゆっくりと歩みを進めていた。
玲奈はそれに気づくと、思わず駆け出していた。桜の方を後ろから掴み、声をかける。
「矢野さん!」
桜はその歩みを止め、緩慢な動作で振り向いて、
「――だれ?」
眉間に皴を寄せながら、玲奈に問うた。
「わ、私は二組の宮野首玲奈。ねぇ、帰ろう、矢野さん。ここに居たら、たぶん、ダメ」
「ミヤノクビ? ……帰る? どこへ?」
「どこって――」
「……見て、この桜の木、綺麗でしょ?」
玲奈から顔を戻し、桜はその大きな桜の木を見上げながら、
「あたしはね、この木と一つになるの」
「一つに? 何、言ってるの、矢野さん」
「彼に呼ばれたの。この木には、あたしが必要なんだよ」
「だ、ダメだよ! こんなところにいたら!」
「……なんで? みんな一緒だよ? 何がダメなの?」
「み、みんな一緒?」
「ほら」と桜の指さす方には、あの身体をバラバラにして幹に練りこんだような手足や顔、胴体があって、「ああやって、みんなと一つになるんだって。一緒にお花見してるんだって。だって、こんなに綺麗な桜なんだもの。いつまでも一緒に見ていたいでしょ?」
「で、でもこの桜はダメなの! 早く帰ろうよ!」
「……なんでダメなの? 帰るなら、あんたひとりで帰ればいいじゃん。私はここに残る。ここで桜の木と一つになるの。もう、決めたんだから」
肩を掴む玲奈の手を振りほどくと、桜は再び一歩、桜の木へと近づいて。
玲奈は首を激しく横に振りながら、
「村田くんは? 村田くんはどうなるの?」
そうだ、村田の心配するさまは明らかにただの友達とか幼馴染とか、そんな感情だけではなかったはずだ。何か他の、もっと別の感情もそこにはあったはずなのだ。
「――村田」
呟くように口にして、桜は立ち止まった。
玲奈はさらに語りかける。
「そう、村田一くん。矢野さんの幼馴染でしょ? すごく心配してる。矢野さんが戻ってくるのを、きっと強く願ってる」
「ハジメが、あたしを――」
もう一度玲奈を振り返ったその瞳には、うっすらと光が差していた。そして何かを思い出したように目を見張り、「そうだ」と小さく口にする。
「あたしは、あたしは……」それからふと空を見上げて、「この声は……ハジメ?」
「……えっ、なに? どうしたの?」
玲奈は耳を澄ませてみたが、けれど幹から聞こえてくる呻き声しか聞き取れない。
「聞こえるの――ハジメの声が――あたしを――呼んでる――」
その途端、桜の身体がとても強い光を発した。その輝きはあっという間に辺りを包み込み、玲奈は余りの眩しさに両眼を固く瞑った。そして次に瞼を開けた時、
「――や、矢野さん?」
そこにはもう、桜の姿はどこにもなかった。
どこへ行ったのだろうと辺りを見回してみても、影も形も見当たらなかった。或いはあの光に包まれて、帰ってしまったのだろうか。
……私を置いて。
玲奈は安堵しつつも、けれど今度は自分自身の心配をしなければならなかった。
「いったい、私はどうやって帰ればいいの……?」
そう、呟いた時だった。
『――帰る必要なんてないさ』
男の子の声がして、玲奈は振り向く。
そこには、あの学ランの男子が立っていて。
『あの子の代わりに、お前が僕たちと一つになるんだからね』
にやりと口元を、歪ませた。
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