第3回

   2


「それで」と結奈は手摺りに身体を預けながら、響紀に尋ねた。「お婆ちゃんには会えた?」


 駅構内へと続く歩道橋兼自由通路のど真ん中。幅約五メートル、長さ三十メートル程ある通路の下には、左右三車線の道路が走り、自動車やバス、トラックなどが引っ切り無しに行き交っている。


 歩道には数えきれないほどの歩行者がおり、駅へ向かう者、バス停へ向かう者、或いは駅前の学校や会社へ向かう者と様々だ。


 響紀は結奈の左隣に立ち、手摺りに背を預けながら、通路を行き交うサラリーマンや学生たちに目を向けた。当然のように、誰一人響紀には目もくれない。見えていないのだから当たり前だ。そう思ったが、結奈にすら目を止めないところを見ると、ただ単純に自分たちのことで忙しいだけのようだ。稀に結奈をチラチラ見てくる男どもの僅かな視線は何となく感じられたが、あんなものは見ているうちにも入らないだろう。


 その結奈は今右手にスマホを持ち、耳に当ててまるで誰かと電話しているふうを装っている。響紀との会話は『見えない』人からするとただの独り言にしか見えず、道行く人々から変に思われたくない、という結奈の希望によるものだった。


「昨日の夜、会ったよ」と響紀は言って、通路の天井裏に目をやりながら、「あの喪服の女について、色々聞いた」


「そう、それは良かったね。どうしたらいいか、わかった?」


 響紀はその質問に対して渋面を作り、大きな溜息を一つ漏らす。


「香澄さんが言っていたことなんだけど、あの女を常闇から救い出せば良いらしい。そうすれば多分、奈央や俺の両親が狙われることはなくなると思うんだ。もうすでに、俺の母親にあいつの手が伸びていた。今回はまだ無事だったから良かったけど、この先どうなるかはわからない。とにかく早く何とかしないと。だけど、その方法が解らないんだ。どんなに考えても、俺のクソみたいな脳みそじゃぁ、コレだって答えが思い浮かばない。早くしないと、あの女が今度は何をしてくるか解らないだろ? だから、焦っててさ」


 それに対して、結奈は「ふうん?」と気の無い返事をする。


「出来れば、今すぐにでも何とかしたいんだ。次に奴らがどんな事をしてくるか解らないだろ?」


「そうだね〜」


 それからしばらく結奈の言葉を待ってみたが、しかしそれ以上何も言ってはこなかった。


 ただ通路下の道路を眺めるばかり。二人の間に、沈黙の幕が降りる。


 この女はいったい何を考えているのだろう、どうして何も言ってはこないのだろう、と思っていると、不意に結奈は口を開いた。


「あ、話、終わり? もういってもいい?」


 その言葉に、響紀は思わず「えっ!」と目を見張りながら、

「いやいやいや! 良いわけないだろ! 何かあるだろ?」


「何って、何が?」トボけたような表情で、結奈は首を傾げた。「あなたはおばあちゃんから、あの喪服の少女の話を聴いた。そして、あの少女を常闇から救い出せば、奈央さんもご両親も結果的に襲われることはなくなると考えた、それは解ったわ。でも、それを私が聞いてどうすればいいの? あなたは私に、何を求めているの?」


「何って、それは……ほら、さっきも言っただろ? 俺を助けてくれって」


「具体的には?」


「えっ……」と思わず響紀は口籠る。


 具体的に、と問われると、答える言葉が浮かばない。そもそも具体的にどうやってあの女を常闇から救うのか、その方法すら解らないのに、具体的に何を助けてもらいたいのか答えられるわけがない。ではどう答えれば良い? 何をして貰えば良い?


「それは、だから、その、なんだ……」


 響紀はしどろもどろになりながら、必死になって言葉を探した。


 営業をしていた頃、響紀はこんなに返答に困ることはなかった。記憶した商品の知識から客の望んでいるであろう商品を勧めれば良かっただけだったからだ。他にも刺繍やプリント諸々の加工について客から尋ねられる事はあったが、その専門のスタッフが社内に居たので、そういった解らない質問は彼らに投げればそれでよかった。


 それがどうだ、今の俺は。


「私に何を求めているの?」という簡単な質問にすら答えられないじゃないか。


 俺は結局、結奈に何を求めているんだ? 助け? 助けって何だ。具体的にはどう助けてもらいたい? 何を助けて欲しいんだ?


 困り果て、言葉を失う響紀を、しかし結奈は何が楽しいのか、ニヤニヤと笑いながら眺めてくる。


 何がそんなにおかしい。あんな質問をしてきて、ニヤニヤ笑いやがって。


 段々と怒りが込み上げてきた時、結奈は静かに口を開いた。


「要するに、どうしたらあの喪服の少女を救い出せるのか、一緒に考えて欲しい。そういうことでしょ?」


 その言葉に、響紀は僅かに思案し、小さく頷いた。


 そうだ。結局はそこからなのだ。俺には何が出来るのか、それからして解らないのだから。


「なら、最初からそう言えば良かったのに」


 悪戯っぽく微笑むその顔が、何だか無性に腹立たしかった。

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