第7回
どれ程の時間、響紀は宮野首の祖母を探して彷徨い歩いていただろう。会ったことはおろか、見たことすらない相手を探す行為程無謀なものはない。せめて宮野首に、祖母がどんな見た目なのかだけでも聞いておけばよかった、と後悔しながら、けれどそれと同時に、聞いていたとしても見つけられたとは到底思えなかった。幼い頃からこの辺り一帯を遊び回っていた響紀であったが、しかし人を一人探すには幾ら何でも広過ぎる。宮野首が最初、『難しい』と口にしていた理由がようやく解ったような気がした。
陽はすでに傾き、夜の闇が再び世界を黒に染め上げようとしている。遠くに見える橙色と藤色のコントラストはとても幻想的で美しかったが、人探しに気力の尽き果てかけた響紀にとっては、またあの闇に犇く得体の知れないものと対峙しなければならないという事が不安であり、憂鬱で仕方がなかった。
気付けば響紀は白狐と出会った駅前の病院裏ベンチに再び腰掛け、途方に暮れていた。
大きな溜息を吐き、背もたれに背を預けながら四肢を大の字に開く。
こうしている間にも、あの喪服の女が奈央の身体を手に入れようと画策し、俺の両親にその手を伸ばそうとしているのではないか、と心穏やかではいられない。
けれど何の知識もなく、あんな不気味な奴らに立ち向かうなど、それこそ無謀すぎて響紀には考えられなかった。
そうなるとやはり宮野首の祖母の力を頼りにせざるを得ないし、例えばその祖母が一度あの喪服の女に屈しているとは言え、二人がかりであれば何とかなるんじゃないか、とやや楽観的な思いも響紀の胸の内にはあった。
しかし、何はともあれ、その祖母が見つからないのであっては話にならない。何とかして探し出さなければならない。或いはもう一度、宮野首に会いに行き、祖母探しを手伝ってもらうか。もう陽も暮れ、大学の講義も全てが終わっているであろう頃合いだ。その方が早いかも知れない、と思ったものの、今度は宮野首の居場所が判らない。どこの大学に通っているのかも聞いていなければ、どこに住んでいるのかも知らないのだ。いっそ神社で待っているか、とも思ったけれど、昼間のあの一件がある所為で何だか怖ろしくて、それも出来そうになかった。
はぁ、ともう一度大きな溜息を吐き、「どうするかなぁ」と独り言を口にした時だった。
ガンっと脛を思いっきり蹴り飛ばされる感覚に襲われ、響紀は思わず跳ねるように身体を起こした。痛む脛を両手で押さえながら、誰だコノヤロウ! とばかりに顔を上げる。
「痛いわけがなかろう、この痴れ者が」
果たしてそこに立っていたのは、見知らぬ一人の女だった。金に染められた髪は後ろで無造作に束ねられ、けれどその顔はしっかりと化粧が施されている。切れ長の目につり上がった眉が、睨みつけるように響紀をとらえ、離さなかった。紅の差された薄い唇は真一文字に引き結ばれ、今にも暴言が飛び出してきそうだ。美人ではあるが、如何にもキツそうな性格をしていそうな見た目だった。響紀の頭の位置には短い白のスカート。そこから伸びるスラリとした脚もまた白く滑らかで、その先には同じく白のヒールを履いていた。
「何故お前はこんなところで油を売っている」
責めるような口調で言われて、響紀は膝をさすりながら、
「何なんだよ、お前! 突然蹴るとかわけわかんねぇだろうが!」
「そんな痛みなどまやかしに過ぎない。お前はとうに身体を無くしているだろう。痛いわけがない」
言い切り、女は響紀の耳を引っ掴むと、思いっきり上に引っ張り上げる。
思わず響紀は「痛い!」と叫びベンチから立ち上がっていた。ぱっと離された耳を摩りながら、涙目で女を睨みつける。
俺の姿が見えているってことは、こいつも俺と同じ死人か、あるいは宮野首のように死者が見える人間か。
しかし、初めてあったにしてはやる事が酷すぎる。
「お、お前は一体誰だ? なんでこんな事するんだよ!」
声高に問う響紀に、しかし女は冷たい視線で胸の前で腕組みをしながら、
「そんなことはどうでも良い」
と間髪入れずに言い切った。
これには響紀も二の句が継げない。
何なんだよ、このクソ生意気な女は! とたじろぐ響紀を尻目に、女はスタスタと歩き出す。
「お、おい!」
思わずその背中に声を掛けた響紀だったが、何となく今朝一番で同じようなことがあった気がする。あれは、確か……と思い出そうとする響紀に、女は歩みを止めて、人を見下したような一瞥を響紀に寄越し、「何をしておる、早く来い」と短く命じる。
響紀はそんな上から目線の態度が鼻持ちならず、歯噛みしながら問うた。
「来いって、どこへ連れて行く気だ?」
そんな響紀に、女は溜息混じりに答えるのだった。
「……お前の、母のところだ」
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