第19回
12
その日の放課後、例の如く帰りも峠道を通らず隣町へ迂回して帰宅した奈央は、全身汗まみれの気持ちの悪さに耐えられず、自室に鞄を投げるようにして置くと着替えを手に風呂場へ向かった。
パートに出かけた小母はまだ帰宅しておらず、当然のように小父も響紀も居ない家の中は薄暗く、異様なほどひっそりしていた。普段なら窓から差し込んでくる傾いた陽の光は、しかし厚い雲に覆われている為に地上まで届かず、部屋の奥は真っ黒い闇に塗りたくられてしまったかのようだった。
奈央は脱衣所のドアを閉めると、汗に濡れた衣服を脱ぎ洗濯機の中に直接投げ入れていった。洗濯機の横に脱衣かごがあるにはあるが、奈央がこれを使ったことは今のところ一度もない。かごに入れてしまえばそれは小父や響紀の目に入ることになる。そんな恥ずかしいこと、できるはずがなかった。当然、小母もそれを解っているので洗濯も干すのも別。特に、干す際は小父と響紀の分は一階の庭に、小母と奈央の分は二階のベランダに(なるべく物で隠すように)干していた。奈央が居候することになるまでは全員分二階のベランダに干していたそうなのだが、奈央が一緒に暮らすことが決まった際に、小母が配慮して今のような形になったという。それもまた奈央が申し訳なく思う一因ではあるのだが、感謝しこそすれ「どうか前と同じように」なんてこと言えるはずもなかった。
風呂場に入った奈央は、目線よりやや上の、外側に格子のはめられた摺りガラスの窓が閉じられているのを目で確認してから中に入った。いっそ湯船に湯を張ってゆっくり浸かろうかとも思ったが、今はとにかくこの汗を洗い流したくて仕方がなかった。
奈央は蛇口ハンドルをひねり、シャワーヘッドから放出される湯の温度を確認すると、頭から湯を浴びていく。べたべたしていた肌から汗が流れていくのを感じながら、大きく溜息を吐いた。吐いた息とともに僅かばかり疲れも抜けていったようで、少しだけ肩が軽くなったような気がする。お風呂の時間だけ心癒されるような気がするのはどうしてだろうか。やはりどうせなら湯に浸かりたい。湯船の中で大きく伸びがしたい。そう思った奈央は湯船に栓をすると、シャワーと蛇口の切り替えハンドルを回した。きゅっという音ともに、シャワーヘッドからの放出が止まり、蛇口から勢いよく湯が流れ出す。奈央はシャワーヘッドを戻すと、まだ数センチしか溜まっていない湯船にゆっくりと身を沈めた。それからその温かさを確かめるかのように、掌を湯船の底にあてて湯を混ぜる。
その時だった。窓のすぐ外から、かたんっと何か物音が聞こえてきたのである。
「えっ、なにっ?」
奈央は思わず独り言ち、我が身を掻き抱くようにして縮こまった。恐る恐る摺りガラスの方に顔を向ければ、すっと何かの影が動くのが目に入る。
――誰かがいる?
奈央は一瞬青ざめ、更に物音を聞き取るためにじっと耳を澄ませた。
思い起こされるのは数日前、風呂場の摺りガラスのドアから見えた、脱衣所の謎の人影。そしてあの峠道に住む、怪しげな若い男のにやけた顔。それらが何故か頭の中で結びつき、まさかここまで追ってきたのでは、という根拠のない恐怖に変わった。
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