女王
第一話 『妹』
俺は今、政府認定天天育成学校(天上才気に並び立つ天才を育成する学校)として知られる紅葉学園に通っている。
この学校は少々特殊な事情で建てられている普通ではない学校だ。
この学園は東と西の二つに分かれており、島全体が教育の場でもある。
奴隷制度などの様々な特殊な制度もある。
だが、今はその説明をしている場合ではなかった。
ある重大な問題が眼前に差し迫っていた。
ごくりと唾を飲んでから今一度、自分の部屋に置かれた生き物に眼を向ける。
ヌメヌメした謎の生き物が俺の目の前にはいた。
そいつは、時々、べちょっという汚らしい擬音語をたてて跳ねている。
俺の知識で目の前の生物を表す一番近い言葉は、『人面魚』だろうか?
試合後のボクシング選手のようにつぶれたまぶた。黒々とした肌。何のためにあるのか分からないナイフのように鋭い尾ひれ。
全てが生理的嫌悪感を引き起こさせるに足るものだった。
だが、問題は、自分の部屋にこの謎の人面魚(?)がいることなどではない。
それだけなら、気持ち悪いとは思いつつも、ゴミに出すか海に捨ててしまえばいいのだ。
幸い、ここは島だ。海など吐いて捨てるほどある。
だが、事態はそんな呑気に考えることを許してはくれなかった。
先に断っておくが俺はマゾではないし、ゲテモノ好きでもない。だから、さっき言ったみたいに人面魚もどきを捨ててしまいたい気持ちで心の海は満たされつくしている。
だが、
「おにいさま。おにいさまなら、きっと、この黒々として触るのも嫌になる物体を、極上の美食にしてしまえるのでしょう」
くりりとした眼に、薄い茶髪をミディアムヘアに掲げた美少女が俺の逃亡を許してはくれない。
一筋の濁りもないルビーの目でもって、妹は、俺がこの気持ち悪い生物を美味しく調理するのを期待していた。
…皆が言いたいことは分かっている。妹とはいえ、こんな頭のおかしな頼み事は断ってもいいのではないか、と言いたいのだろう?俺も本当ならその意見に賛成だ。
俺だって、五年間会うことができなかった妹の最初の頼みなんてものじゃなければ断りたかった!
五年間会えなかったのは事情があったし、悪いのはすべてあの、くそ親父のせいだということも知っている。
だが、寂しい思いをさせたのは事実なのだろう。
再開して一週間ほどだが、妹は寝る以外のすべての時間、俺にべったりついて過ごしている。
兄である自分が言うのもなんだが、妹は結構ブラコンらしい。
そんな妹を五年間ほったらかしにした兄がどうして妹の頼みを断れようというのだろうか?
ゴクリ
俺は意を決して黒々とした生物に触る。
“ふぎゃああああああああああああ!!カビの汚れよりもヌメヌメしているし、納豆よりもネチャネチャしている!!!ムリ。やっぱりムリ”
「い、妹よ、お前の前でこの少し醜い生物を調理するのはたえない、お前はこの部屋から出て辺りを散歩してみてはどうかな?」
俺は震え声で妹に提案してみた。
妹を追い出したら、とっとと冷蔵庫にある別の魚を調理して、この人面魚もどきは適当にゴミにでも出そう。
妹の期待は裏切れない(キリッ)って言っていなかったかって?
ムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリムリ
ムリのゲシュタルト崩壊を起こしそうなくらいにはムリ。
この生物ヌメヌメ、ネチャネチャするどころかヘドロの匂いもするんだもん。
気持ち悪いのは苦手だし、血を見るのは、ある事情から好ましくない。
「えー、いやでーす。
だが、妹は許してくれない。普段は敬語で接する妹が“だもん”とかいうのなんて初めてみた。
どんだけ、この妹は俺を懲らしめたいの?一緒にいなかった罰?
可愛い顔をしてえげつないことを言ってくる。
(大体、あのくそ親父は俺の死闘を、隠しカメラと衛星カメラで俺に無断で見ているだけだっつーの)
だが、事情の知らない妹の愛菜に対してそんなことをぶちまけるわけにはいかない。
血生臭い話を純粋無垢な妹に知られるわけにはいかない。
「早くかっさばいてくださいですー」
可愛らしく血生臭い魚を切ることを期待する妹。
退路は断たれた。
拳銃持った数十人のヤクザの前で
ええい、こうなったらやけだ。切ってやる。
俺は、ヌメヌメした魚に柳葉包丁の鋭い刃を入れる。
ブシューーーー
切った瞬間に噴水のように黒々とした液体が溢れ出す。
勢いに乗った液体は、あろうことか1m以上も飛び跳ねた後、真上から降りそそいできた。
そのまま、髪や、服、手の甲にまで泥水のような液体がついていく。
べちゃべちゃとした液体は気持ち悪かった。
匂いもひどいのだろうと思い、興味本位で、手の甲についた液体に鼻を近づけようとする。
だが、近づけようと意識するまでもなく悪臭が殺到してきた。
重油のように黒々とした液体の匂いは、その姿形を裏切らないヘドロと血がまざったような重厚な香りを醸し出していた。
「おえーっ」
妹の方から美少女にはあるまじき呻きが聞こえる。
そちらを見ると、俺がとばした液体の匂いをもろに食らったのか、口元に手をあてて黄色い液体を可愛らしい口から吐き出す妹がいた。
可愛い妹と再開して一週間でやってしまったことはゲロを彼女に吐かせたことだった。
*
今朝は酷い目にあった。
未だにゲロ臭い。
「その、ごめんなさいお兄さま。私が浅はかにもこんなことを頼んだばっかりに」
黒々とした液体に黄色の汚物をばらまいた妹は、そのまま風呂に入って、出てきて早々、俺に平謝りをしてくる。
改めて見ると血のつながりを感じさせないほどに可愛い妹だ。
茶色のミディアムヘアは、肩の辺りでくるりとカーブを描いて女性らしい柔らかさを感じさせる。目は大きくルビーのように赤い。
ともすれば、赤と茶の組み合わせは、アニメキャラのようでどこか不自然にも見えるだろうが、妹の愛くるしい一四歳という年相応の表情がそれを打ち消している。
むしろ、二次元を超えた三次元といえるかもしれない。
断じて俺がシスコンなわけではない。
妹を見た万物の人々がそう思うであろうことは容易に想像できる。
「大丈夫だよ、それより、悪かったな。吐かしちまって」
俺は妹の薄茶色の髪を撫でながらできる限り優しい声を出す。
「そんなことはないです。全然大丈夫です。むしろ、ありがたいです」
妹は俺の言葉に激しく首を振ってくる。
何故か感謝をしてくれる妹に苦笑しながらも俺は日常という幸せを有難く享受することにした。
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