親ガチャに半分はずれた私の話。
@niizima
第1話 親ガチャに半分はずれた私の話。
最近、「親ガチャ」という言葉を聞いた。
どんな親の元に生まれてくるかどうかで、人の人生が決まる、という意味らしい。
私はこの言葉に対して特に嫌悪感を感じなかった。そういうもんだろ、と思った。
なぜなら私は親ガチャに半分はずれてしまった側の人間だからだ。
私の親、特に父親は昔から問題の多い人間だった。
ここからは私の主観なので、父からは意義あり、と言われそうだがそんなの関係ねぇ。ここでは私の好きなように書かせてもらう。
私の父は人を傷つけることを平然と言う人で、酒が入るとひどくなる。しかも仕事をしていない時以外は酒が入っているのが基本という酒浸り。
酒が入っている時の発言は後で謝れば済むと思っており、酒の勢いでなんでもかんでも喚き散らして周囲をドン引きさせるのが父の十八番である。
ただし、自分が人に言われて傷ついたことは酒が入っていようがいまいが事細かく覚えており、酒が入っていてもいなくても相手を執拗に責め立てる。
あと、昔の男性にありがちな人をけなして笑いを取ろうとする基本性質で、私は父から褒められた記憶は一切ない。いつも誰かと比べられ、だからお前は、とダメなところばかりを突き付けられていた。
子育ての大変な部分は母に丸投げで(運動会や授業参観には来てくれていたけど)ただ、関わりたがらないくせに、自分に話が回ってこないと不機嫌になる。どないせぇっちゅうねん。精神が中学二年の女子なのか? と思ったことは数知れず。
父は車が好きで、中古だが何台も車を買ってコレクションしていた。ちなみに私が実家で暮らしていた時の自動車免許を持っていたのは父母だけなのに、車の台数は動かないものも含めて恐らく10台くらいあったと思う。田舎だからできる技である。
我が家は決して裕福ではなく、私も大学は奨学金を使って通い、今も返済している真っ最中だ。
食べる物に困ったりとか基本的な生活に困ったことはなく、どこのご家庭もこんなもんだと思って育って来たので、大人になって他のご家庭の父親像を聞いて驚くことばかりである。
まぁ、問題のある父親ではあったが、昔はまだ親しみを持っていたと思う。
完全に父親への感情が「憎悪」に変わったのは、私が大学生の時だった。
私は大学生になり、地元を遠く離れて一人暮らしをはじめた。
大学一年生のゴールデンウィークの最後の方に父親から電話がかかって来た。
「父さんと母さん離婚するわ」
その時の私は自分の家族が「普通の家族」だと思っていたので、泣いて父親を止めた。
今思えば普通の家族のレールから外れてしまうのが怖かったのだと思う。
だが、最初は離婚を止めようと必死だったけど、元々父親と母親では母親の方が好きだったし、帰省する度に父親から母親の悪口を聞かされ、こんな男あかんわ、と思い、大学三年生の頃には離婚オッケー派に転身した。
父親はまたそれが面白くなかったのだろう。次は私を激しく罵りはじめた。
「お前は母親そっくりだ」
「お前のせいで家族が壊れた」
などなど多少オブラートには包んでいるが、要約すればこんな感じのことを激しい口調で投げつけられた。
そして私と父親の間の亀裂が明確になったのは、私が大学四年生の時だ。
もめている父親のいる地元に帰りたくなかった私は、大学のある県での就職を決めた。
母親には色々と相談したりもしたが、父親には一切話をしなかった。
なんとか就職を決め、一応義理としてその話を父親にしなければと、年末に地元に帰省した。
一人で乗り込む勇気はなかったので、以前から良くしてくれていた父の従姉妹に当たるおばさん二人に付き添ってもらって実家に帰った。
一応就職することを伝えたが父親はだんまり。
まぁこれで義理は果たしたからいいか、と思って夜は友達とご飯に出かけようとしていた時、事件が起こった。
興奮した父親から電話がかかって来た。
電話越しにものすごい勢いで怒鳴られた。
「俺が話しにくい状況を作って勝手に話して帰って、あれで話したつもりか」
「お前の使っとる携帯返せ(父名義)」
「今すぐ家に来て説明しろ」
などなど。
文字にするとそこまでのインパクトがないが、ものすごく治安の悪い口調で言われた。人が狂ったところをはじめて目の当たりにした瞬間である。
しかし私が「今友達とおるんやけど……」と言うと、途端に黙り込んだ。
人様にお見せできんことをしとるって自覚あったんかワレェ! と今なら言える。ちなみに友人は私が色々包み隠さず相談して来た相手なので、父がロクデナシなことについてはとっくにご承知である。
埒が明かないのと、もうここでケリをつけるしかねぇと思い、友人に断りをいれ、おばさん二人を再招集。母を運転手に実家に戻った。
母は父に見つかるとヤバイので近くの公民館で車で待機。
おばさん二人を伴って実家に突撃。おばさんたちは家の外で控えていざという時に入って来てもらうと言う算段にしていた。
そして実家に乗り込んだのだが、案の定酒を片手に罵倒の嵐。
酔っているので話が延々ループ、ただし父のブチ切れたテンションは最高潮のまま。地獄以外のなにものでもない。
あとでおばさんから聞いた話だが、父は勝手に知り合いに頼んで私を地元の建設会社の事務職に就職させることを目論んでいたそうだ。おそらく私に地元に帰って来て欲しかったのだと思われる。誰が帰るかアホ。
話をうまく着地させることに定評のある私でも、妥協点が全く見つからず罵倒されながら途方にくれていると、電話が鳴り、窓がバンバン叩かれた。
ついて来てくれたおばさん達が心配して乗り込もうとしているのだと分かった。
しかし、おばさん達は酒が入っており、父も酒が入っている。ここでエンカウントしようものなら警察沙汰になりかねないと私は考えた。
父は以前、祖父の葬式が終わった後にナタを振り回したそうだ。
その時は親戚のおじさん達がなんとか止めてくれて大事には至らなかったらしい。当時の私はそのことを知らず、大学生になって初めて知った事実に愕然とした。
そんな前科のある父なので、何が起きても不思議はない。
父の話も延々ループで出口が見えず、おばさん達が乗り込んでくるのも時間の問題。
もう話を聞くのも飽きた私が取った行動は、
「今までありがとうございました」
と頭を下げ、携帯を机に叩きつけた瞬間猛ダッシュを決めた。
ロングブーツを履いて来ていたので呑気に履く訳にもいかず、ブーツを引っ掴んで裸足で玄関を出た。
「早く! 行くよ!」
とおばさん達に声をかけ田舎の灯りのない真っ黒な道を猛ダッシュ。
「おい!」
と父が玄関から出て来たが、三人で母のいる公民館まで猛ダッシュ。
車に乗り込んで、
「早く! 早く車出して!」
「ヤバイヤバイ!!」
「追いかけて来てる!?」
と映画みたいなセリフを三人で行って母を急かして車を発進させた。
あの時は走るのに必死だったが、あの日の話をおばさん達と話すとすごく面白かった。
おばさん達は当時確か60歳前後。しかもあの日は酒が入っていた。
当時20代の私はかなりスピードを抑えて振り返りながら走ったのだが、おばさん達はぜいぜいと必死に走っているのだが、差は開く一方。めちゃくちゃ必死に走っているのにスピードが全く出ていないことに当時の私はとても驚いた。
今思うと60代を走らせるな、と思うが、あの時は命の危機を感じていたので許してほしい。
そんな命の危機を感じる場面でも、後に笑い話にできるのだからうちの一族の女は強い。
父に叩き返した携帯だが、以前から返せと言われることは想定済みだったので、前もって携帯ショップでデータは移行済み。実家に行く前の車の中でデータは全て消去して父に返した。
今思い返しても私ってばやればできる女だな。
父の誤算は、携帯を人質に取ればどうにかできると思った浅はかな考えに尽きる。
父の中の私は、何もできないお子ちゃまな私のままなのだろう。自分が大きな声で脅せば言うことを聞くと思っていたと思われる。
何度でも言おう。
アホか。
「親ガチャ」という言葉についてインタビューを受けた若い人の中に
「気持ちは分かるけど、不謹慎」と顔をしかめた人がいた。
そういう気持ちももちろん分かる。
でも、そういう人たちは親と喧嘩をすることがあったとしても、命の危機を感じたりしたことはないんだろうなと思った。
羨ましいな、と思うけれど、私の親は変えられないし、あの父がいるから今の私がいるのだ。
父がああならなければ、多分私は今ほど考えることをしなかっただろうし、今以上に独善的な大人になっていたと思う。
父は神が私の成長の為に与えた試練なのだと思うこともできる。
ただ、たまに与えた試練がデカすぎやしないか神様。と思うこともある。
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