後編

「お前が逃げなかったら、手荒な真似をしなくて済んだんだぜ? 何も殺そうってわけじゃない。ただ俺たちに協力してくれるだけでいいんだ……」

「協力させたいなら、それなりの対応をしてくれてもよくない? 生臭い頭陀袋を被せられちゃ、情報を吐く気も失せる」

「……状況を理解していないようだなァ。お前の連れは俺の部下が捕らえた。今頃は縛られて海の底だろうよ。そして、お前が生意気な事を言えば俺は仕置きができる。こんな風に!」


 キツネの首筋に痛みが走る。預かっていたマチェットは賊に取り上げられ、彼を拷問する道具に成り代わったのだ。小柄な青年は、頭陀袋の中で顔を顰めた。

 普段は倉庫代わりに用いられるコンテナは狭く、その場の代表者らしき男とキツネが向かい合う形だ。一方が椅子に座らされて後ろ手を縛られ、もう一方はマチェットの刃を弄びながら会話を続ける。生殺与奪を握られているような、そんな状態だ。


「会いたかったよ、“蛇”。こんな目立つマチェットを振り回す奴なんて、組織の中で二人もいないからな……」

「……さっさと目的を教えてくれない? 焦れったいな」


 大蜈蚣の男たちがキツネを捕らえたのは、ジュージのマチェットを預かっていたからだ。人相や背格好がジュージとは似ても似つかないのに捕まえた理由は、きっとその存在が使っている武器くらいしか伝わっていないからだろう。

 キツネは自らの正体をジュージとして騙りながら、情報屋としての能力を活用せんとしていた。このまま話を合わせておけば、自身を捕らえた目的やジュージの過去がわかるかもしれない。彼の瞳はむしろ爛々と輝いていた。


「まったく、裏切り者には似合わないマチェットの刻印だな。ファーザー・ハガチの寵愛を受けて無数の標的を殺し、最後には同胞さえも殺して逃げた、大蜈蚣の伝説めいた殺し屋。それがこんなに簡単に捕まるとは、衰えたんじゃないか?」

「……今は平和だからね。無益な殺しはしないよ」

「お前が抜けた後もファーザーはご執心なんだぜ、愛人さんよ。生きたまま連れて帰れば、莫大な報酬金と幹部の地位が約束される」

「……最初からそれが目的なら、ここで油を売る必要はないはずだ。すぐに連れ去って、ファーザーの下に献上すればいい。それが出来ない理由があるってことだろ?」

「ヒヒッ、その通りだ……。話が早くて助かるよ。お前には、一つやってほしい仕事がある」


 男はせせら笑い、キツネが被っている頭陀袋を剥がす。獲物に恐怖を刻み込むかの如く、武器をちらつかせながらにじり寄るのだ。

 肌を這うような嫌悪感を感じながら、キツネは泰然とした態度を崩さないように努める。向かい合う相手の息がかかるまで接近され、マチェットの刃先が僅かに頬に刺さっていた。血の雫が刃を伝い、蜈蚣の刻印を赤く染める。


「下剋上だよ。俺に付いて、ファーザー・ハガチを殺す手伝いをしろ……!」


 男の眼は、野心によってギラギラと輝いている。組織では低い立場なのか、上に立つという欲望を隠しきれないようだ。


「本当は伝説の殺し屋であるアンタに任せようと思ったんだが、この体たらくだろ? 期待はしねぇよ。奴の弱点を吐いて、暗殺のための囮になってくれればいい。安寧を得たいお前にも悪い話じゃないはずだぜ?」

「……なるほど」

「状況をよく考えろよ。お前は拘束され、俺が少し手を動かせばお前の喉笛を掻き切れる状態だ。助けに来てくれるかもしれない連れも、今は海の底……。馬鹿じゃなければ、どう答えるかはわかるはずだ」


 キツネは黙ったまま、数秒逡巡する。ジュージなら、どんな選択をするだろう?

 組織を裏切ったとはいえ、ファーザーはジュージにとって恩義がある存在だ。もし関係性を絶っているなら、このマチェットを大切に持っていることもないだろう。だとすれば、ここで選ぶのは——。


「断る。殺したいならここで殺せばいい」


 保身のためなら、裏切ってしまえばいい。キツネがハッタリを使えば偽の情報を流すことは十分可能で、彼にとっては無関係というべき組織のボスの暗殺に加担することもない。普段のキツネなら躊躇なくそれを選んでいただろう。

 だが、今は違う。ジュージの意思を聞いていないなら、安請け合いはできないのだ。


「……聞こえなかったなァ、もう一度言ってくれるか?」

「協力するつもりはない。殺したいなら殺しなよ。ただ、ここで自分を殺したら計画は進展しなくなるけど……それでも構わないならそのマチェットで刺し殺せばいい。ファーザーを敵に回す覚悟、あるんだよな?」


 刃が揺れた。キツネは僅かにのけ反り、初撃を回避する。殺意はないのだろう、軽い一撃が空を切った。


「ハ、ハハ……。良いんだな、俺を怒らせて? 俺ァ組織でも情報通でな、お前が逃げた依頼について調べたんだ。パディランドの屋敷に潜入し、そこにいる奴らを皆殺しにする任務だろ? そこの御令嬢……イサキ・パディランドだったか? 秘密裏に生きているかもしれないって思うんだよ。……お前が逃がしたんだよな?」

「随分な与太話だな。なんの根拠もない……」

「根拠は今から探すさ。俺がこの情報を裏に流せば、多くの人間が金欲しさに動く。証拠もそのうち集まるだろうな?」


 男は下卑た笑いを浮かべる。外堀を埋めるつもりだ。


「俺は詳しいんだ、“蛇”。お前のアキレス腱はここだろ? 金目当てか権力目当てかは判らんが、令嬢に取り入って成り上がるつもりなんだよな。俺の一声で、その計画も崩せるんだ。だから、俺に付け……」


 騒音とともに、男の声は遮られる。血相を変えた男の部下が、息を切らしてコンテナに潜り込んだのだ。


「た、大変だ……。確かに沈めたはずなのに、奴が消えたんだよ……」

「……役立たず共が! 海の底まで血眼になって探したのか? 朝陽が昇れば見つかるだろ? だから、俺の“交渉”の邪魔をするなッ!」

「ち、違……ひぎッ!?」


 背後の黒影がゆらめき、部下の首が乾いた音を立ててへし折れる。頽れた死体の陰から顔を出したのは、全身をしとどに濡らした死神だ。


「今、お嬢様の名前を呼んだか……?」

「お、おいッ!? ちゃんと鉄柱に縛りつけたはずだぞ!? ……おい、まさか!?」


 男は雷に打たれたような衝撃と共に、己の勘違いを理解する。水中での無呼吸脱出に、躊躇ない殺戮。組織で聞いた逸話から考えても、本物の“蛇”は連れの方だ。

 ジュージ・ヨルムンガンドは死体を無表情で踏み付け、緩慢な動きで体を揺らす。なんらかの予備動作を警戒し、男がマチェットを構えて向かい合った、その瞬間だ。


「情報通を名乗るなら、オイラの顔を知らないのは片手落ちだね。これくらいの縄抜け、やり慣れてるんだよ!」


 一瞬の隙だった。それまでキツネの方を向いていた男がジュージに注意を払った数秒、キツネは縄を放り投げ、自由を手に入れていた。緩くなった結び目を握り、ミスディレクションによって生まれる隙を待ち侘びていたのである。

 そして、マチェットが宙を舞った。キツネが男から盗み出し、すぐさまジュージの方へ投擲したのだ。


「ごめん、預かってたのにオイラの血で汚しちゃった!」

「……今からもっと汚れるんです。今回は許しましょう」


 投げ渡された一振りのマチェットを手慣れた様子で掴み、“蛇”は濡れた髪を振った。剣呑な視線は、真っ直ぐに男を見つめている。


「ハハ、お前が本物の“蛇”か……! 単刀直入に言うよ、俺たちと一緒に……」

「……イサキお嬢様の名を、どこで手に入れた?」


 剣閃と共に男の頬に血が滲む。只ならぬ様子に何かを察したのか、男はニヤニヤと嗤った。


「お前、やっぱり組織を抜けて平穏無事に生きようとしてんのか……? 依頼で何人も殺してきた奴が、のうのうと光の道を歩むために……? もう遅ぇよ。お前の手は既に汚れ切ってて、今さらその過去を漂白なんてできない。“蛇”は、裏社会の伝説から逃れられねぇんだよォ……!!」

「質問に答えろ、次は喉を掻き切るぞ」

「安心しな、お前の秘密は俺が大事に握ってる。俺に協力すれば、黙っててやるよ。だから、俺に従え……ッ!?」


 男が言葉を発し終わる前に、ジュージはその急所に肉薄していた。マチェットを振るのは、最小限だ。男の頸動脈から赤黒い血が噴き出し、瞳孔が開く。


「つまり……口を封じればお嬢様は安全、ということだろう?」


 躊躇いのない一撃により男の身体が崩れ落ちるのを一瞥し、ジュージは吐き捨てるように呟いた。


    *    *    *


 外の死体を全てコンテナに運び、死体が持っていた武器でそれぞれの体に少しづつ傷をつけていく。同士討ちに見せかけるための簡単な偽装工作を終え、ジュージはコンテナの扉を閉めた。


「組織から謀反を図り、方向性の違いで内部から崩壊。筋書きとしてはこんな感じでしょうか?」

「確かに、大蜈蚣としてはそれが一番都合がいい。不穏分子が一気に崩れたんだもんね……」

「ええ、後はこの情報が組織に伝わるかですが……。住民が通報すれば大蜈蚣が処理を行うでしょう。コンテナごとこのまま海に沈められるかもしれませんがね!」


 既にジュージは普段の給仕服に着替え、濡れたウェットスーツや酸素ボンベを荷物にまとめていた。密漁は上手くいかなかったようで、朝が来るということで諦めたようだ。海に沈められたことよりも、獲物を取り逃したことにショックを受けている様子だ。


「……あのさ、結果的にアイツらの前で名前騙ってごめんね。アイツらがマチェットだけ見て勘違いしたのが悪いんだけど、捕まってからも“蛇”のフリして時間稼ごうとしたんだよ」


 キツネは僅かに項垂れているジュージの隣に腰掛け、ぎこちなく頭を下げる。普段なら煙に巻くところだが、彼の過去の一端を興味本位で暴こうとしてしまったことへの気恥ずかしさのようなものがあったのだ。


「その傷、奴にかなり甚振られたんでしょう? 身を守るためなら情報などでっち上げて奴の誘いに乗ればよかったのに……。情報屋である貴方ならそれが出来る筈なのに、なぜ強情に沈黙を守っていたんですか?」

「あはは、オイラには判断が付かなくてさ。別人とはいえ、奴の誘いに乗れば“蛇”はファーザー・ハガチを2度裏切った事になる。……組織を抜けたのにまだあのマチェットを使ってるのは、少なからずファーザーへの義理があるのかなって思ったんだよ。だとしたら、その選択はオイラじゃなくて君がやるべきだなって……」


 ジュージが現在〈主の岬〉に協力しているのは、イサキ・パディランドの存在が大きい。その仲立ちがなければ敵対していたほど薄氷の上の関係である彼らにとって、誰に義理を通すかはとても重要な事なのだ。それが依頼次第で殺しも請け負う暗殺集団のボスに対してなら、尚更である。

 ジュージは数秒ほど逡巡し、ゆっくりと口を開く。どこか覚悟を感じさせる、確かな声色だった。


「このマチェットは、あの日私に与えられた自由なんです。ファーザーは路地裏で震えていた私を拾い、生き方を教えた。これで最初に殺したのは、ただ搾取される存在だった弱い私でした。そこにいた私は、孤高であることを是としていたんですよ」

「……孤高?」

「生きるためには狩る側でいなければならない。兎を狩る虎が蔓延る世界で、私は虎であることを余儀なくされた。そこにあったのは乾いた死の虚で、安寧ではなかった。そんな時に生きる意味を教えてくれたのが、イサキお嬢様なんですよ」


 ジュージはマチェットをホルスターから抜き、陽光に照らした。明け方の空はまだモヤがかかり、刃にくすんだ色を残す。その様子が可笑しいのか、彼は自嘲じみて笑う。


「生きるためなら、なんだってやった。ネズミや黒虫や人肉を喰らい、私を買った趣味の悪い男に抱かれた事もある。今でも、この舌は料理の美味い不味いが理解できないんですよ」

「じゃあ、なんでわざわざ牡蠣なんて獲りに……」

「恩返しですよ、イサキお嬢様への。あの日約束したミートパイには程遠くても、“幸福な食事”を作って頂けるという恩に報いるには、最高級の素材を用意するしかないでしょう?」

「……そうでもないんじゃない? 月並みな話だけど、そこに相手を思いやる気持ちがあれば料理ってのは美味しくなると思うんだ。……ジュージさんみたいにレシピを完璧を守るなら、ってことね!」


 慌てて補足を付け足すキツネの声を聞き、ジュージは苦笑した。どうすれば恩に報えるのだ、と言いたげな表情だ。

 言外の雰囲気を察し、キツネはスマートフォンに届いた写真をジュージに見せる。慣れない料理に悪戦苦闘する気位の高そうな少女の姿が、そこに写っていた。


「舐めないでよ、オイラは情報屋だよ? パディランド家御用達レストランのレシピは事前に調べてシスターに渡してある。ジュージさんが出来る最大の恩返しは、早く帰ってイサキお嬢様の作ったカキフライを美味しく食べることだからね。……ということで、帰ろっか! オイラもご相伴に預かりたいし!」


 その日のアレキサンドライト・コーストは海面の緑に昇る朝陽が反射し、目が覚めるような赤緑色を自然界に晒していた。彼らはそれを横目に眺め、それぞれの帰路に向かっていく。


    *    *    *


 同日同時刻、夜通し続いたカキフライ作りにおいて繰り返される失敗による牡蠣の不足に、シスターは困惑していた。


「嗚呼……レシピ通りに作ればこんな事にはならない筈なのに……」

「ねぇシスター、次はグラニュー糖を入れてみたいの! きっと甘くて美味しくなると思うのよね……!」

「イサキお嬢様、そもそも肝心の素材が……」


 その時、キッチンに大きな発泡スチロール製の箱を持ったウィステリオが入室した。彼は息を切らし、巨大な荷物をテーブルの上に置く。海産物特有の香りがキッチンに広がった。


「これ、匿名の送り主から届いたんですけど……。大量の牡蠣です!」

「誰かが注文したのですか? ……少し怪しいですね」

「ハーブ神父が生で一つ盗み食いしていたんですけど、『めちゃくちゃ美味いわ……』って言ってました。産地はアレキサンドライト・コースト。かなりの高級品ですよ……?」

「これ、加熱用って書いてあるのですが……」


 彼らが気付くことはないが、牡蠣の代金はジュージがキツネに払った報酬の金額と同額だった。事前のリスクヘッジとはいえ実質的に無償で働いた理由を、彼は今後も語ることはないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

キャッチ・オフ・コースト @fox_0829

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る