62.知らなくても苗木は育つ
本当に人間を食べるのですか? と尋ねたところ、くすくす笑って揶揄ったのだと言われた。実際のところ、人間の死体は養分になり得るらしい。ただ生きた状態で吸収することはないとか。ほっとして力が抜けました。
タチの悪い冗談だったのですね。そう言った私の隣で、シリルとノエルが遠い目をしていました。南は海がある方角ですが、何か見えるのかしら?
南から侵入したのは、海の向こうの兵士だったそうです。シリルによれば、もう心配はいらないと。
「追い返したの?」
「昔ね、フィリスが風で海へ吹き飛ばしたのを、ノエルが真似したんだよ」
内緒話のように明かされた話に、私は大きく頷きました。ノエルとフィリスは仲がいいですし、殺さずに退けた話を聞いていたのでしょう。同じ方法で殺さずに切り抜けたのですね。海ならば死ぬこともありません。
「毛皮が汚れなくてよかったわ」
「僕があんな連中のために黒くなるのは、プライドが許さないんだよ」
ぺろりと前足を舐めて顔を洗いながら、ノエルはにやりと悪い顔で笑った。そういう顔が、本当に似合うわね。猫って悪役っぽいんだけど、この生意気さが可愛いの。すごく得してると思うわ。
私とラエルは、庭に用意されたベンチに並んで腰掛けた。先程の聖樹様移植で汚れた足を拭くのだ。侍女が持ってきたお湯で土を流し、タオルを受け取る。ラエルはといえば……ぱっぱと手で払うだけで白い肌が元通り。
「ずるいわ」
『ふふっ、グレイスだって聖霊になったら同じだよ』
早いか遅いかの問題と笑うラエルだけど、私は今、足を洗ってるのよ? あなたは払うだけで綺麗になるんだもの。それに日焼けしないのも羨ましい。侍女が用意した日傘の下で肩を竦めた。こうなったら早く聖霊になるしかないわ。
運ばれたお茶を飲んで、苗木を振り返る。己の目を疑って、ごしごし擦ろうとして、ラエルに止められた。
『何をしてるの、グレイス』
「いえ……あの、聖樹の苗木が倍になってるわ」
高さがぐんと伸びて、明らかに枝の数も多い。幹も太さが増している気がした。いえ、気のせいじゃなくて太いわ。風に葉を揺らすと、その度に枝が増える……目の錯覚かしら。
『倍になってるからね。何もおかしくないよ』
成長速度が速いのは、現在時点で養分を確保しているかららしい。海辺の近くで地中に立派な養分が埋まっているのだとか。それを吸収して急成長し、引っ越しを数日で終える予定だった。
「まぁ、すごく豊富な栄養なのね」
『僕が知る限り、最高の養分だよ』
それ以上は教えてくれない。別にいいわ。ラエルに害になるのでなければ、構わないもの。シリルの尻尾を撫で、気まぐれに腹を見せて撫でるよう強請るノエルを構う。大人しく待っていたフィリスをたっぷり掻いて、一段落したところでパールの尾羽を整えた。
「聖獣って話が通じるからいいわ。もふっても怒らないし、大きいから毛も長くて気持ちいいのよね」
見ている間にまた苗木が育つ。この勢いだと明日には庭の欅と同じくらいまで成長しそうね。水や堆肥を与える領民も大騒ぎだった。
この聖樹が大木になったら屋敷を建てるの。一緒に暮らす未来を夢見て、私はフィリスの柔らかい背中にもたれた。今日は日差しも優しくて、最高のお天気ね。
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