神を見失った日

向風歩夢

神を見失った日

先日、私は諏訪大社を訪れた。


諏訪大社は長野県中部に位置する。諏訪湖周辺に本宮・前宮・春宮・秋宮の四宮を擁する由緒ある神社である。


そんな高名な神社を訪れた筆者であるが、一通り社を見学した後に諏訪湖のほとりで湖面を眺めていた時に私の心を埋め尽くしたのは空虚さであった。


私は私の抱える空虚さの原因がわからなかった。久しぶりの家族での旅行。母親の希望で諏訪大社を訪れた私だったが、私の心に浮かんできた感情は喜びでもなく、嬉しさでもなく、ただただ空虚であった。


家族の目がなければ、涙を流していたかもしれない。それくらいに心が空虚に満ちていた。

空虚で満ちていたなどという日本語表現が間違いであることは百も承知している。しかし、それでもその表現が当時の私の心境を表すに相応しいワードだと思う。


湖面を眺め、しばし空虚さに酔いしれていた私だが、いつまでも空虚でいるわけにもいかず、思考を開始した。


「なぜ、私は空虚さを感じているのか?」と、私は自問自答することにしたのである。


楽しいはずの家族旅行で感じた空虚。その理由を私は探し出そうとしていた。

レンタカー内で、私はハンドルを握りながら空虚の理由を追い求めていた。

突然黙り込んだ私を見て、家族はいつものように『考えごとが始まった』とため息を吐く。

私はそれに気づかぬ振りをして、家族サービスを忘れ、物思いに耽る。

国道とは思えぬほど道幅の狭い道路を走り、今日宿泊する予定の旅館へと車を飛ばす。

旅館に到着した私たちは従業員の案内に促されるまま、雰囲気のある和風な客室に入り込む。


決して世帯収入の多くない我が家が泊まるには分不相応に綺麗な部屋である。しかし、今日ばかりは我々が主役だ。分不相応など関係あるものか、偉そうにその綺麗な和室に寝転びふんぞり返る。


空虚さの理由などもうどうでもいいか、と天井を見上げながら思ったその折に、急に私の脳裏に思い浮かんだのである。


『そうか、俺は信じていたんだな』


 思わず私は呟いていた。

 空虚さの理由……。

 それは、『神がいない』ということを突きつけられたことに他ならない、と私は結論したのである。


 私はどちらかと言えば、宗教などに造詣の深い人間ではない。日本人ではあるので、どこかの氏子でどこかの仏教の宗派には属しているのだろう。祖父・祖母を祀っている墓が浄土真宗らしいということくらいは耳にしたことはあるが、特にその教えについて詳しく知っているというわけではない。


 私ほど頓着がない人は珍しいかもしれないが、それでも多くの日本人は『自分が特定の宗教を信じている』と思っている人が少ないと思う。私もそんな日本人の一人というわけである。


 諏訪大社には行ったものの、それは熱心に諏訪大社に祀られている神様を信仰しているというわけではなく、ただただ『良い雰囲気の古めかしい神社』を観光という名の暇つぶしに消費したいと思っただけのことなのである。


 私は思い出していた。諏訪大社の宝物殿を見学したときのことを。そこには諏訪大社の由緒正しさを示す数々の歴史的遺物が展示されていた。思えば、その時から空虚さを感じていたのだ。


 私は失望していたのだ。由緒ある諏訪大社でさえ、歴史的な遺物に頼らなければその威光を保つことができないという現実に。


 誤解はしないでほしい。諏訪大社は素晴らしい景観と雰囲気を持った間違いなく日本で有数の神社である。私はそんな諏訪大社を貶そうとしているわけではないことをご理解いただきたい。


 しかし、思ってしまったのである。そんな素晴らしい諏訪大社でさえ、遺産や歴史に頼らなければその存在を維持することができないのだと。


 本当に神が宿っているならば、遺産や歴史に頼る必要はないのだ。神が守ってくれるはずなのだから。それなのに、日本有数の諏訪大社ですら神は守ってくれないのである。


 私はどこかで思っていたのだ。人間の叡智の及ばない何かが神社を守ってくれているはずだと。しかし、その幻想が私の中で完全に崩れ去ってしまったのである。


 天井を見つめながら私は思う。

『私は結構信心深い人間だったらしい』と。私は自分のことを無宗教だと思っていた。だが、実は心のどこかで信じていたのだ。どこかに神はいると、そんな神を祀っている本物の神社なり、仏閣なり、教会なりがどこかにあるに違いないと。だが、そんな私の理想は奇しくも日本で最も歴史ある神社である諏訪大社を目にしたことで瓦解したのだ。


 私はふっと苦笑いを浮かべた。

『何を今さら』と。


 畳から起き上がると、私は旅館に併設された温泉に入浴するため、客室をあとにしたのだった。

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