NO NAME

@aikawa_kennosuke

NO NAME

二人でベンチに腰掛けていた。


母も私も黙っていた。


母が体勢をわずかにずらすと、ベンチが少しだけ揺れた。



母の認知症の兆候が現れたのは2年前の年末のことだった。

年末、親戚の集まりに一年ぶりに訪れた際、母は私の息子、つまり自分の孫の名前を思い出すことができなかった。

息子ももう二十歳になる。言葉にはしなかったが、幼少の頃からよく世話をしてもらっていた祖母に名前を覚えてもらえていなかったことには、相当のショックがあったと思う。


そして母は昨年、車で事故をやった。

アクセルをブレーキと踏み間違え、民家の塀に突っ込んだのだ。

幸い、母を含め怪我人は出なかったが、これはもしやと思い、母を病院に連れて行くと認知症の診断を受けた。


母は一人暮らしだったから、さすがに心配だった。

自分が食事や生活処理をした記憶も曖昧なようだったから、特に夏場等、熱中症で倒れては大変だと思い、母をすぐに介護施設に入れてもらった。


妻や息子と協力すれば、在宅で介護することもできたかもしれない。

だが、私はその選択肢をとらなかった。




「遠藤さん」

と声がした。


母の後ろに施設職員の女性が立っていた。

「遠藤さんよかったね。息子さん来てくれて。」


母は無反応だった。

私も無言だった。


「そういえばこの木。」

職員の女性は、私達のいる庭の真ん中に植えてある木を見て言った。

「ムサシノケヤキっていうんですよ。東京にお住まいだと、あまり聞かない名前かもしれませんが、昔ここの地域で見つかった品種らしいですよ。」


私は少し頷くだけで、無言を続けた。

職員は「ごゆっくり」と言って、施設の中に入っていった。



名前などないのだ。

そう思った。


この緑をたたえる、竹箒をひっくりかえしたような形をした木にも、ほとんどの人にとっては名前などないのだ。

ただの“木”だ。


私は昭和の最後の方と、平成を生き、そして令和の時代を行きている。

怒涛の変化だったと思う。


旅行や遠出の都度、睨みつけるように見ていた地図冊子も今では影も形もない。

手紙も、公衆電話も今では影を潜め、全部が手のひらにおさまる四角い端末で解決できてしまう時代になった。


道端の花の名前を知る感慨も、相手の名前を手を使って書くことの喜びも、地名を知る驚きも、何もかもが薄められてしまった。


代わりに膨大な無名の情報が押し寄せてきた。

誰が書いたのかも分からない文章、実在するかも分からない人、知らない土地、知らない商品。

それらは、もう名前も知らなくていい、ただ無名の空虚なものだ。


ムサシノケヤキも今では、多くの人にとって無名で空虚なものでしかない。

ただの木だ。

誰も気に留めず、ただ、情報の波を流れていく。

そこに感動や感慨は無い。



ムサシノケヤキなのだから、武蔵野に生えていた木なのだろう。



“武蔵野”は今もあるのだろうか。



国木田独歩の『武蔵野』を読んだことがある。

それによると、武蔵野と称されていた地域は相当の広さに及ぶらしい。埼玉だけではなく、東京の池袋や雑司が谷の辺りまでも含まれているとか。


そんな曖昧な、かつて武蔵野などと呼ばれていた土地を、「ここが武蔵野か」などと思いながら踏みしめる者が、今何人いるか。

少なくとも私の知り合いには一人もいない。


武蔵野は、いろいろな新参の地名に上書きされて、歴史の地層の一部になろうとしている。


今は、ただ立派な建物が並ぶ、ただ緑が豊かな、ただ人がたくさんいる、それだけの土地なのだ。

名前なんか、どうだっていい。




グっという、母の喉が鳴る音が聞こえた。


母はまっすぐムサシノケヤキを見つめていた。

午後の日差しにまどろんでいるのだろうか。隣に座る、名前も知らない中年の男のことを、多少なりとも意識はしてくれているのだろうか。


母にとっては、私もムサシノケヤキと一緒だ。武蔵野と一緒だ。

名前なんかない。他との差異や多少の特徴はあっても、ただ、そこにあるだけのものだ。


ただ、それで良かったのかもしれない。

名前なんてあるから、余計な感情が生まれる。

同情し、悲しむ。

自己主張する。

大切だと思う。

理解した気になる。

知ったような気になる。


結局は、自分以外のものなんて、赤の他人で、固い壁を隔てたわかり合えないものなのかもしれない。


母はそんな「名前」にがんじがらめにされた社会生活から開放されたのかもしれない。

本当は、それでよかったのかもしれない。


そして、母だけではない。世界全体が、名前のない時代に向かっている気がする。


時代はNO NAMEなのかもしれない。




私は立ち上がると、母に告げた。

「そろそろ帰るね。また来るよ。」





帰り際、施設の出入り口で、母は立って見送ってくれた。


母は泣いていた。

自分でもわけが分からないような感じで、なぜか泣いていた。

そして、やせ細った手を挙げて、私に向かって懸命に振っていた。

名前も知らないはずの、私に向かって。




帰り道、国道を走らせていた車内から見えたのは、夕日が照らす武蔵野の田畑や山々だった。


私はそれを美しいと思った。

同時に、母と過ごした時間がぽつりぽつりと脳裏に浮かんだ。


そして、自分に言い聞かせるように、

「これでよかったんだ」と呟いた。

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