第四部・第4話

 すでに、アキとフミは拠点の生活に入り込んでいた。

 みんなにとっては、やっと増えた仲間。

 絶望の中に入り込んだ一筋の光。

 希望のような存在だった。

 ここから、新しい世界を作りたい。新しい世代に繋げていけるような、そんな未来を作りたかった。その基礎に自分たちがなれたら、それだけで良かった。

 二人の兄妹はその礎。

 もう不安ばかりの未来ではない。

 ヒーナは────未来を見ていた。

 無事に冬を越え、それなのに、春と共に未来が崩れていく。


 どこで間違ったのだろう。


 何も問題はなかったはずなのに。

 これからだったのに、何かが音を立てて崩壊していく。

 これまでのことを、まるで無にしていくように。

 もう、誰一人、殺したくなかった。

 これからは大きくなっていくだけ。

 裏切りも失望もない世界を夢見ていた。

 それなのに、土台を作ることすら出来ない。

「ヒーナは責任を取れるの?」

 ティマの言葉がヒーナに突き刺さる。

 その声は続いた。

「ルイスの話を信じれば、あの二人が牙を剥いたら…………私たちは終わる」

 ヒーナは何も返せない。

 事実だ。

 返せるはずがなかった。

 ティマの目を見ることすら出来ないままに、そのティマの声が頭に降り注ぐ。

「同意して。私はもう……誰も失いたくない」


 ──私は、リーダーだったはず…………

 ──何か…………


 その時、口を開いたのはレナだった。

「……ティマ……ティマ……やめて…………お願いだから…………」

 しかしその震えた声は、ティマには届かない。

 そして、やっと、ヒーナが口を開く。

「あなたが…………殺すの?」

「私がやる。出来るのは私くらいでしょ?」

「逃げないでよ……あなたが殺したいんでしょ?」

「今すぐ殺したいよ。この時間すら無駄だ」

「ダメよ…………殺させない…………あの二人を殺すなら、私があなたを────」

「────出来るの?」

 そこに、やっとナツメが挟まる。

「やめてよ……どうしてここで言い争うのよ! 仲間でしょ⁉︎」

 すぐに返すのはヒーナ。

「仲間だからだ。仲間だから…………このままにはしておけない…………」

 顔を上げたヒーナの目は、それまでのヒーナのものではなかった。

 ヒーナが大きな責務を背負っていたのは全員が知っていた。

 そして、それはあまりにも大きい。

 それがヒーナを変えたのか…………あるいはヒーナ自身が変わることを望んだのか。

 その目を見たチグでさえ、ヒーナの目は恐怖の塊に見えた。そして、チグは自分を恨んでいた。ヒーナのことは自分が一番理解していたつもりだった。しかし、何か大事なことに気が付けないでいた。他の誰もが気付けなくても、自分なら気付けると思っていた。

 しかし、現実はチグが思うより深刻だった。

 足音。

 動いたのは、それまで口を噤んでいたスコラ。

 ティマに近付くと、その頬をスコラの掌が叩いていた。

 突然の甲高い音に、部屋の空気が凍りつく。

 そしてスコラが口を開いた。

「明日の夜まで時間ちょうだい。あの二人はもう仲間…………殺すとしても…………納得したいの。いいでしょ」

 そして、誰もが口を閉じた。





 ルイスはまだ立って歩くには難しかった。

 足の筋肉が衰弱でだいぶ弱ったままだ。救いはやっと食事を取ることが出来るようになったことだろう。三日もすれば歩けるだろうというのがスコラの見立てだった。元々はルイスも軍人として最前線を渡ってきた肉体がある。一般人とは違う。ただ、体に無理をさせ続けた。

 ルイスが生きることに消極的になっていることに逸早く気が付いたのはチグだった。

 目を覚ました途端にアキとフミのことで大騒ぎになり、二人の話は聞いたが、ルイス自身が何を抱えているかまでは聞いていない。

 あんな状態になってまで生きていたのには、よほどの理由がある。ただの生命力だけではないだろうとチグは思っていた。スコラとレナも驚いていたほどだ。

 ここで会えたなら、もう仲間。どこの国の軍人かは関係ない。同じ人間として支え合っていければいい。そのために、チグは暗くなるまでの時間、これまでの物語を話した。

 不思議と総てが懐かしく感じた。

 もちろん辛いこともあった。

 仲間の死もあった。

 しかし、なぜかその総てを、噛み締めるように、そして確認している自分がいた。

 心のどこかで、何かを諦めている自分がいた。

 諦めてなんかいないはず。

 これからもリーダーはヒーナ。

 ヒーナにみんなが着いていく。

 何も変わらない。

 何も変わらない……はずなのに…………。

 やがて、ルイスが語り出した。

 両親のこと。

 そして恋人のこと。

 なぜここまで死ぬことが出来なかったか…………。

 チグはただ、救わなければならないと思った。誰もが戦争を経験し、生き残るために地獄を見ているはずだ。ルイスを救えなくては誰も救うことは出来ない。しかしそれはコンピュータで出来ることではない。

 これから、ヒーナと一緒に多くの人を救うために、自分も強くなりたい。

 それなのに、いつの間にかルイスの話に涙が止まらなかった。

 その夜、ティマは装甲車の屋根にいた。

 重機関銃が中に収納された状態では、装甲車の屋根は思った以上に広く感じる。

 しかし、いつも一緒にいるはずのナツメの姿は無い。

 ティマの中にも、これまでのことが蘇る。しかし、あまりいい思い出には感じられなかった。なぜ自分が存在しているのかなど、どうでもよかった。

 例え自分がアーカムの生き残りだったとしても、そんなことはどうでもいい。

 自分はティマ・シティでしかない。

 ティマが見ているのはティマ自身。それでよかったはず。

 それなのに、このわだかまりはなんだろう。


 ──感情なんか……いらなかった…………


 他に一階の部屋にいるチグとルイスを除いて、残る全員は地下にいた。

 食事を摂りながらも、一様に言葉は少ない。まさかこんな一日になるなど誰も想像していなかった。

 生き残っていた人間がいたことで、あんなに輝いていた目は、もはやどこにも無い。誰もアイバとフミを直視出来ずにいる。

 それは切なさなのか、それとも寂しさなのか、それすらも分からないままに残酷に時間だけが過ぎていく。

 アイバにかける声もない。

 アイバから二人を奪ってしまったら、どうなってしまうのか。誰も考えたくなかった。もしかしたらアイバまでも失うことになるかもしれない。


 どうして?

 なぜ?


 それだけが宙に浮く。

 いつもならティマの後ろを追いかけていたナツメも動かない。いつものムードメーカーではなかった。両膝を抱え、ただ天井を見上げ続ける。

 その後ろでスコラはすでに横になっていた。しかし眠れるはずもない。何の決断も出来ないでいた。〝悪魔〟として生きてきた。しかし今は違う。そう思っていた。それなのに、なぜか以前の感情が蘇ってきている気がしてならない。久しぶりの感覚だった。

 それでもシーラのことを思い出していた。忘れたわけではない。忘れるつもりもない。胸には今でも三人分の認識証がある。そして同時に、その二人の死も受け入れていたはずだった。

 それなのに、なぜか今夜はシーラに会いたくて仕方がなかった。シーラならどんな決断をするだろう。それだけが頭を何度も行き来していた。

 すでに眠りについているアキとフミの側でアイバも横になり、その三人を包むように横になるレナ。自分が決断をすることはない。考えても仕方がないことのように思えた。今は、最後になるかもしれない夜を心に刻んだ。

 こんなことなら、アキとフミに出会わなければよかった。そうも思ったが、レナはそれでも感謝していた。自分の立ち位置を確認させてくれた。ここで生きていけると思わせてくれた。

 そして、目の前で穏やかな表情で眠っている二人が、自分に牙を剥けるなんて思えなかった。

 ヒーナが階段を登っていく音が聞こえたが、レナはそのまま。

 受け入れるだけ。例え明日何が起きても、総てを受け入れるだけ。





「まだ夜は冷えるよ」

 装甲車の下から声がした。

 ヒーナの声。

 しかしティマはそのまま。

 それでもヒーナは横の機銃に足をかけて屋根によじ登る。あまり慣れていないのか、決してスマートな乗り方ではない。

「数えるくらいしか登ったことないけど、いい高さだね」

 横になったままのティマの横に座ったヒーナの声に、少しだけ間を開けたティマが応える。

「高所恐怖症にはキツイよ」

「高所恐怖症なの?」

「訓練所で克服したけど」

「意外だねえ。ティマはいつも完璧に見えたから…………」

 ティマはそれには何も応えなかった。

 少し間を開けるが、ヒーナも特別続けようとはしない。

 やがて、口を開いたのはティマ。

「この状況をナツメが見たらなんて言うかな」

「いつもみたいに冗談の一つでも言うんじゃない? 嫉妬して登ってくるよ。ティマのこと大好きだし」

「私が男だったらねえ」

「それだったら私も惚れてるよ。ティマが女で良かった」

「関係ないのはスコラくらいか」

「ってことは、惚れられてたりしてね」

「レナに譲るよ」

「言うようになったね……ティマも…………最初は全然違った…………」

 そう言ったヒーナの顔に笑みが浮かぶ。

 ティマは僅かに見えるヒーナの横顔を見上げていた。

 そして繋げる。

「アーカムのことになると、私は感情的になるのかもしれない…………認めるよ。すまなかった」

 その言葉に、ヒーナは視線をそのままに応える。

「私は……リーダーであることに拘りすぎた…………常にみんなにどう思われているかが気になって……評価されたくて…………そのために動いてきたような気がする…………何かが見えていなかった」

「それは私たちにも責任がある。ヒーナはシーラが認めたリーダーだ。みんなそれに甘えたよ。何かあるとヒーナに責任を押し付けてきた…………私も……」

「でも……それがリーダーでしょ」

 そのヒーナの言葉は決して弱々しいものではなかった。

 その言葉が続く。

「シーラから受け取った……死ぬまで全うするよ…………シーラは凄かったんだね…………」

 僅かに震えているようなその声に、ティマは何も返さなかった。





 朝、ティマはまだ装甲車の上にいた。

 ヒーナの姿はすでにない。

 ナツメが隣にいない朝は久しぶりだった。

 ──もうみんな起きてるかな…………

 そんなことを考えた時、下から聞こえるのはアイバの声だった。

「さすがティマは早いな。みんなまだ寝てる」

 アイバが一人なことは足音で分かっていた。

 ティマが応える。

「まだ早朝だよ。ここは朝日が差し込むからね」

「健康的じゃないか」

「あんたが健康を語るなんて……また雪が降るかもね」

「同じだろ。お互い人間じゃない。あの二人もね」

 その言葉に、ティマは反射的に上半身を起こしていた。

 アイバの言葉が続く。

「分かってたよ。ティマと同じだ。キラは私と同じだったがティマは違う。ティマはあの兄妹と同じなんだ」

「じゃあ…………私とあんたは敵同士?」

「昔はね」

 アイバの顔は見えない。

 アイバも屋根に登ってくるわけではない。

 ただ、ティマはアイバの顔を見るのが怖かった。

 そのアイバの言葉が続く。

「カルは敵国の兵士だった。昨日来たルイスだってそうだ。戦争は終わったんじゃないのか? だったら仲間になれるはずだ。私はティマは仲間だと思ってる。ティマは違うのか?」

 ティマは何も返せない。

 ──やっぱり……感情なんてないほうが…………

 そこにアイバは繋げた。

「最近はずっと辛かった……感情なんてなければ辛く思うこともない…………けど…………人間になれた気がした…………やっと仲間になれた気がした……もう人間の敵はイヤだ…………力なんてなくていい…………」

 自分はアイバのことを何も分かっていなかった…………ティマの素直な思いだった。唯一の繋がりがある関係だと思っていた。でも、それは違った。アイバとみんなの繋がりは〝力〟だけではなくなっていた。それに気が付かなかったのは自分だけ。ティマにはそう思えてならない。

 これからどうなっていくのか分からない中で、アイバは今の自分を見ていた。

 未来のために、今を見ていた。

 そのアイバは地下室の方へ体を回すと一歩だけ歩き、口を開いた。

「あの二人に感情はない…………前の私と同じ…………今を見るか未来を見るか…………ティマに任せる」

 それだけ言うと、アイバは地下室への扉を開けた。

 その朝は、そのまま誰も動こうとはしなかった。

 それでも春の陽射しは傾いていく。





 時間だけが残酷に進んでいく。

 陽は傾き、気温がゆっくりと落ちていく。

 それぞれの考えを、誰も確認など出来ないままに、しかし決めなくてはならない。

 誰もが自分を納得させたかった。

 決めることで生まれるものはなんだろうか。

 先のために、今を決めなくてはならない。

 今逃げる者に、先を見ることは出来ない。

 そして、バラバラに宙に浮く全員の思考が、警告音で引き戻される。

「なんでこんな時に────」

 ラップトップを覗き込んだチグが思わずそう口にすると、全員が立ち上がる。

 チグの溜息混じりの声が続いた。

「アーカム…………今のところ五機。南東から。距離は七〇〇〇。今の速度だと二〇分で」

 同じく溜息をついたヒーナが繋ぐ。

「出来れば通り過ぎて欲しいけど…………ティマは?」

「気付いてるよ」

 そう応えたのはナツメだった。

 任せておいて問題ない。誰もがそう思っていた。しかしナツメだけは違った。今のティマなら、やはり心配。

 というより、戦闘時に唯一ティマを心配していたのはナツメくらいだろう。いつもそうだった。例え人間とは思えないような外傷の回復力があるとは言っても、いつもナツメはティマを気にかけていた。

 いつか、突然いなくなってしまうような、そんな気がしていた。

 そして今回に於いては、全員に複雑な感情が交錯しているのは事実。いつもと同じようには動きづらい。

 しかしヒーナはヘルメットを持ち上げ、マイクに向かって口を開いた。

「ティマ──もしかして気付いてる?」

 少しして声が聞こえた。

『やっぱり? そんな気がしたから今はルイスの所に来てたよ』

 ヒーナが軽く息を吐いた直後、ヘルメットにティマの言葉が続く。

『通り過ぎる可能性もあるけど──どう?』

「直接攻撃されない限りは様子を見よう──こっちも火を落とすよ」

『了解──待機する』

 緊張感を持たなければいけないのに、なぜか全員が安堵していた。

 ナツメが火を消しながら呟く。

「あいつら、熱とか探知するのかな……だとしたらこの地下ってマズくない?」

 すぐに応えたのはアイバだった。

「熱探知ではないようだ。動体センサー的なものでもない。人間以外の動物には興味がないしな。あいつらが持っているのは人間だけを見付けるセンサーだよ」

「最悪だ」

「でも何かの影に隠れていればやり過ごすことは出来た。今回もここで静かにしていれば見つかることはない」

 まだまだ分からないことばかりだった。何度も戦闘をしたことはあっても、そのスピードと攻撃力の強さに、生き残るのがやっと。破壊したドローンを調べても未知の技術。

 するとヒーナが口を開く。

「チグ──ルートに変化は?」

「どこに向かってるかは分からないけど……真っ直ぐこっちに来るね。一五〇〇切った」

 そのチグの言葉に、ヒーナは素早くマイクのスイッチを押した。

「ティマ──もうすぐ一〇〇〇──真っ直ぐ来てる」

『了解──こっちは窓があるから気を付けるよ』

 直後、チグの声。

「来たよ」

 そして、全員が息を潜める。

 今の状況で、誰も戦いたくなかった。

 そのまま通り過ぎて欲しかった。

「……なんで…………」

 そう呟いたのはチグ。そのチグの次の言葉を全員が待つ。

「……屋上で、止まった…………」

「そんなバカな──どうして…………」

 そう言ったヒーナがドアまで向かうと、その肩に手をかけたのはスコラ。

 ヒーナの背後からスコラの低い声がした。

「待ってヒーナ……ルイスを地下に────」

「ダメ……今からじゃ動きでバレる」

「ここに私たちがいるのはもうバレてる──せっかく見つかった生存者なんだよ」

 すると、ヒーナは振り返ると、ナツメに顔を向けて口を開く。

「ナツメ……ティマとルイスの所へ────」

 そしてスコラに視線を移して続ける。

「ついてきて……アイツらが動いた時に出遅れたくない…………チグ、頼むわ」





 地下に残ったのはレナ、アイバと二人の兄妹。そしてラップトップに張り付いたチグ。

 ナツメはティマとルイスの部屋に急いだ。

 ドアをノックする。

「ティマ、私。開けるよ」

 ドアを開けるとそこには担架で上半身を起こしたルイスと、その側でライフルを構えるティマ。

 昨日の昼間以来のティマの姿。思えば、いつも一緒にいた。二四時間も経っていないのに、随分と久しぶりのような気さえする。飛びつきたい気持ちを抑え、ナツメはルイスを庇うようにティマの隣へ。そして口を開いた。

「屋上にいる……多分、気付かれてる。数は五」

「分かった……ナツメ…………」

 声を落としたティマが続ける。

「私を、押さえにきてくれたの?」

 そしてティマはゆっくりとナツメの目を見た。

 不安と興奮の入り混じった目に見えた。その目のナツメが軽く顔を伏せる。

 そのままナツメが続けた。

「一緒じゃないと…………眠れないからさ…………」


 ──何があっても構わない…………

 ──ティマについてく…………


「さっきルイスから聞いたよ」

 ティマはそう言って話を切り替えた。

「コレギマの沿岸部でキャッチしたっていう無線……カギマ大陸の物だったそうだ。つまり元々は敵国だ。もしかしたら……戦勝国はいるのかもしれない。だとすれば、まだまだ分からないことは多いみたいだね」


 ──どうして……今、そんな話…………


 ティマが続ける。

「そこに行ってみたい…………敵か味方かは分からないけど…………冬前に到着したなら、もうだいぶ進んでるかもしれない」


 ──どうすればいいの?

 ──どうして、そんな話をするの?


 ヒーナとスコラは二階にいた。

 目の前の階段を登れば三階。その先に三階の廊下の天井が見えた。その天井の上にはアーカムのドローンがいる。各階の廊下は狭い。元々がそれほど大きなビルではない。いざという時に動きにくいのは事実だった。

 スコラはランチャーを右肩に構えた。

 相手は五機。下に行かれたらチグとナツメに任せるしかないが、せめて一機だけでもここで仕留めたかった。

 ヒーナはマイクに向かって小さく口を開く。

「チグ……動きは?」

『アーカムはそのまま。さっきティマが装甲車に移動したとこ。ルイスにはナツメが着いてる。重機関銃で叩けるよ。大丈夫……天井落としたくらいじゃビルは崩壊しないから』

 地下室でそう言ったチグの背後で、突然アキとフミが立ち上がっていた。

 呆然とするレナの前で、二人は歩き始める。

 チグが振り返る。

「ダメだよ──ここにいて」

 そう言って立ち上がるチグの声も、二人には届いていない。

 黙って歩き続ける二人に手をかけようとした時、チグの前に立ち塞がったのはレナだった。

「やめて、お願いだからチグ…………」

「レナ……違うよ……私は────」

「殺さないで…………」

 レナの感情が溢れていた。全員が敵に見えていたのかもしれない。二人を失いたくなかった。

 チグがレナにそれを理解させるには、時間が足りない。

「違うってばレナ──今外に行ったら──」

「どうして簡単に殺そうとするの──⁉︎」

 そこにアイバ。

「レナ、違うよ。チグはそんなことはしない」

 チグがホッとしたのも束の間、兄妹はドアを開けた。

 アイバの声が続く。

「落ち着いてレナ」

 そう言いながらもアイバの体はチグの前へ。

 チグは前に進めない。


 ──何? アイバ……何なの?


 兄妹は階段を上り始めた。

 チグが言葉を漏らす。

「何よアイバ──二人を止めて────」

 アイバはレナを庇うようにしながら、チグの体を押す。そのままバランスを崩したチグは床に腰を落とした。

 そして、目の前にあるアイバの目に恐怖した。

 それは昔のアイバの目。

 その目が、静かにチグを見下ろす。


 ──教えなきゃ…………

 ──みんなに教えなきゃ…………


 しかし、チグは動けなかった。

 そしてアイバが口を開く。

「確かめたいんだろ? あのドローンは、私やあの兄妹を殺しに来てる。当然ティマのこともだ。だから追いかけられる」


 ──そんな…………


 ティマもいつものように戦闘に集中出来ていなかったのかもしれない。

 装甲車の上にいながら、横をすり抜けていく兄妹に気が付けないでいた。

 気が付いた時には目の前に緑の球体が二つ。

 驚くティマをよそに、その光はしだいに大きくなり、目の前の道路へ。

 ビルの屋上から、まるで降り注ぐような五機のドローン。

 やがてそれは、轟音と共に光に当たって砕けた。

 周囲の空気が震える。

 砕け散ったドローンの破片が、まるで煙のように辺りに漂い、やがて地面に散らばった。

 全員のヘルメットにヒーナの叫び声。

『チグ! 何が起きたの⁉︎ 説明して!』

 飛び出してきたナツメは、装甲車の横で緑の球体に自動小銃を向ける。無駄なことは分かっていた。しかし、今はティマを守りたかった。

 その背後からアイバが近付く。

 その声がした。

「やっぱりだ。ティマ。ルイスの言ってたことは正しかった」

 その声を受け、ティマは黙って装甲車の屋根から飛び降りる。

 そして二人の球体にゆっくりと近付いていく。

 そこに階段を駆け降りてきたヒーナとスコラ。

 その背後にはチグとレナも駆けつける。

 目の前の光景に、言葉を失った。

 誰もが覚悟していた光景。同時に、嘘であって欲しいと願っていた光景。

 そこには緑に光る球体が二つ。その中のアキとフミが、黙って全員のほうを見つめる。

 そして、そこに真っ直ぐ歩いていくティマの声。

「正体がバレたら、私たちを殺すの?」

 それに応えたのはフミだった。

「お前以外に用はない。お前は貴重な仲間だ。殺さない」

 その声と口調は、全員がそれまで聞いていたフミのものとは違った。

 ティマが返す。

「あんたたちの仲間になった覚えはないよ」

「覚えていないのか? やっと会えたんだ。一緒に来い」

 ティマは何も応えずに近付いていく。

 右手が腰の後ろに回る。

 ナイフが光った時、スコラが叫んだ。

「ティマ!」

 スコラが足を一歩踏み出した時、体全体でそれを塞いだのはナツメ。ナツメは驚くスコラの目も見ずに、スコラの耳元で小さく言葉を絞り出す。

「……やめて…………お願い…………」

 そして全員が目撃する。

 ティマの体が緑に染まっていた。

 次に聞こえたのはアキの声。

「ほら……お前は仲間だ。逃げられないよ」

「逃げる気はないよ」

 そう言ったティマは、アキの球体の前。

 アキの口が開いた。

「なら一緒に来い」

「……そうだね」

 ティマが一歩踏み出す。

 その体が緑の光の中に吸い込まれていく。

 直後、ティマはアキの頭に左手を伸ばすと、髪を掴む。

 そのままアキを持ち上げるように、背後に回る。

 アキが驚愕の表情を浮かべた時、その喉をティマのナイフが切り裂いた。

 直後、アキとティマを包んでいた緑の球体が消える。

 そのままティマは、真横から頭にナイフを突き刺す。

 髪から手を離すと、アキの体は抵抗もなく地面に落ちた。

 ティマが横に顔を振った。

 その目を見たフミが後退りをするが、あっという間にティマに捕まる。

 そのままティマはフミの体をうつ伏せに地面に押し付ける。

 悲鳴を上げるフミは、いつもの幼い子供にしか見えない。

 しかし、ティマがその頭にナイフを突き刺すと、緑の光が消えた。

 ティマはフミのワンピースでナイフの血を拭き取ると、ゆっくりと腰の後ろに納めた。


 そして、静かな時間が流れる。

 いつの間にか、ティマの体を染めていた緑の光もない。

 乾いた道路に横たわる幼い二人の死体。

 そこで立ち尽くすティマ。


 誰もが動けなかった。

 声も出せない。


 目の前で何が起こったのか、分かっているのに頭が追いつかない。

 目の前で立ち尽くすだけのティマに、何を言えばいいのか、誰も分からなかった。

 最初に動いたのはナツメだった。

 視線を落としたまま歩き出す。

 やがて、その視界に入ってきたのはアキの首から流れている血溜まり。

 そしてナツメは足を止めた。

 視線を少しだけ上げると、ティマのブーツが目に入ってきた。

 汚れて、擦り切れたブーツ。

 所々の、赤黒いシミも目に入る。

 ティマが、今どんな表情をしているのか分からない。

 見るのが怖かった。

 何かが終わってしまうのが怖かった。


 やがて、ナツメの目の前でティマの足が動く。

 すれ違うティマの体の存在を感じながら、その姿を背中で見送りながらナツメがやっと口を開いた。

「ねえ」

 その声に、ティマの足が止まる。

 間を開けてから、ナツメの言葉が続く。

「今夜は…………どこに行くの?」

 すると、ナツメの背中に降り注ぐようなティマの声は、あくまで柔らかい。

「ナツメの行きたい所で、いいよ」

「……そっか…………どこ……行こうかな…………」

 そう応えたナツメの声は、震えていた。

 その声が続く。

「……わかんないよ…………どこに行ったらいいのかな…………何も分からない…………」

 張り詰めた、膨れ上がったものが弾けてしまいそうな、その時間は決して壊れることがないまま、ティマとナツメの二人がビルを離れるまで続いた。





 スコラは医療室にいた。

 というより、レナに捕まったと言ったほうが正しいだろう。

 レナはスコラの左腕に包帯を巻きながら口を開いていた。

「いつかこうなるかもしれないって思ってた……スコラもでしょ?」

 自動小銃を右手に持ち、灯りの無い医療室の窓から外を伺いながらスコラが応える。

「まあね……そろそろ限界かもしれない」

「やめてよ。もうあなただけの命じゃないって前にも言ったでしょ」

 そういうとレナはキツめに包帯を結ぶ。軽く痛みが走り、スコラはレナに顔を向けた。しかし口を開いたのはレナ。

「ここにいろって言ったって、スコラが従うわけがない…………動き回ってる間に包帯が緩んだら困るでしょ」

「うん……助かるよ」

 外からは銃声が不規則に聞こえていた。

 スコラは立ち上がると自動小銃を持ち上げて左手で支える。僅かに左腕に痛みを感じるが問題は無いようだ。

 その手に自分の手を添えるレナ。

「死んじゃダメだよ……勝手なのは分かってる…………でもスコラにだけは絶対に死んでほしくない…………そのためなら…………」

 そう言ってレナは拳銃を取り出すが、その手を止めたのはスコラ。

「ここまで戦場は広めない…………レナには絶対に撃たせない」

 スコラはレナの拳銃を下げながら続ける。

「この銃は……あなたの命を守る時にだけ使って…………じゃ、行ってくる」

 ドアを開けるスコラの横顔をレナが追い続ける。

 廊下を歩くスコラの背中に、レナが声を送った。

「死んだら……死んじゃったら────浮気するからね!」





 けたたましくドアをノックする音。

「アイバ様! 夜分すいません────」

 ドアを開けたアイバの声は冷静だった。

「……クーデターだな。誰が敵かも分からないな」

 驚いた表情の兵士が続ける。

「は、はい……先ほど行政府長の指示で参りました」

 ドアの前には二人の兵士が自動小銃を手にしていた。

 最初の銃声でアイバは気が付いていた。

 コクーンの中で銃声がすることは訓練以外ではあり得ない。しかも訓練でも滅多にあることではない。限られた弾丸を無駄に使うことは出来ないからだ。

 まして深夜。

 しかもクーデターの匂いを感じていなかったわけではない。

 そして、アイバ自身はそんな自分の勘の良さが好きではなかった。

 兵士の一人が口を開く。

「アイバ様、危険ですので部屋の中へ──」

「なぜだ」

 そう言ったアイバは手にした銃をブローバックさせて続ける。

「攻め込まれた時に部屋の中では動きにくい。窓は一つだけだ…………」

 兵士の自動小銃が僅かに動いた。

 指が引き金にかかる。

 冷静なアイバの声が続く。

「それとも、私が逃げにくいほうが助かるか?」

 直後、兵士が自動小銃を構えた時にもう一人が動く。

 揉み合う二人の兵士が銃口を向け合う。

 一人が足を撃ち抜かれた直後に撃ち返す。

 民間人上りの兵士同士。

 至近距離でも急所には簡単に当たらない。

 しだいに血溜まりだけが広がる。

 そして、アイバの二発の銃声。

 途端に静かになった。

 アイバが呟く。

「……感情は、無いほうがいいな…………」

 アイバが銃で人を殺すのは、これが初めてだった。





 司令室の窓から下を見下ろしながらルイスが叫んでいた。

「ヒーナ! 来たよ! 結構いる」

 ヒーナが自動小銃にマガジンを差し込みながら応える。

「リーダーはケースじゃなかったの⁉︎」

 それに応えたのは、ラップトップの横で座り込み、自動小銃を抱えるチグ。

「リーダーが死んだって関係ないよ…………始まったら止められない…………」

 そのチグが立ち上がる。

 窓から銃口を出すと、その先に走り回るのは兵士だけではない。兵士以外の人間までもが銃を構えている。反乱組織の規模を把握するのは難しい状況だった。

 すでに銃声が辺りに響いていた。

 ルイスが呟くように口を開く。

「スコラが部隊を動かしてるはずだけど……部隊の中にも敵がいる状態だし…………」

 それを繋げるのはチグ。

「兵士だけじゃないしね…………」

 やがて、三人のいる行政府ビルに人が集まり始める。

 ビルを背にして守る兵士たちと、その兵士に銃を向ける反乱組織。

 それを窓から見下ろしていたヒーナが呟く。

「人間同士で…………」

 コミュニティーに生存者が集まりだしてから、戦闘と言えばドローン戦のみ。元兵士でない限り、人間に銃を向けた経験も、人間を殺した経験もない者がほとんど。そして、軍隊経験のあるものは、すでにほとんど残ってはいなかった。

 行政府室のあるビルの三階からみても、それは決して軍隊の統率の取れた動きとは言い難い。訓練不足ではない。人間を相手にしたことがないからだ。

 残弾を考えていない発射間隔だけをとっても、誰もが冷静とは思えなかった。

 そこにどんな熱意や思想があったとしても、想像するほど人間を殺すことは簡単ではない。

 このコミュニティーの人間は、まだ幼かった…………。

 ルイスが動く。

「ダメだ……見てられない。下に行く」

 それに返すのはヒーナ。

「待って──スコラが来るまで様子を────」

「その前に突破されるでしょ! 多すぎるよ!」

 そこに、階段を駆け上るけたたましい靴音。

「ルイス! いる⁉︎」

 スコラの声だった。

 三階の階段から顔を出したスコラが叫ぶ。

「無線が使えないから手短に指示するよ! ルイスは兵士二人と二階から狙撃! 私は入り口を守る! ヒーナ!」

 ヒーナが部屋から身を乗り出した。

 スコラが続ける。

「アイバは⁉︎」

 ヒーナはすぐに応えた。

「さっき警備を二人行かせた!」

「分かった! 三階からチグと二人で頼む!」

 階段を降りるスコラを追いかけるようにルイスが下に降りると、行政府室には二人だけ。

 やがて、チグが外へ向けて引き金を引くと、ヒーナも続く。

 時間は夜。

 視認性は低い。

 銃声の合間を縫うように、チグが口を開いていた。

「ここまで来たんだよね…………」

 ゆっくりだが、ヒーナも返していた。

「もう……ダメかな…………」

 その口元には、微かに笑みが浮かぶ。

 そのヒーナが続けた。

「最後は人間同士だよ……笑えるね…………なにがアーカムだ…………」

「みんな……何のためにここに来たの…………?」

「どこで間違ったのかな…………」

 そう言うヒーナの声に、引き金にかかるチグの指が止まった。

「……どこだろうね」

 そう応えたチグの言葉は、どこか重い。

 そのチグが続けた。

「……もう……終わりにする?」





 二階から狙撃を繰り返すルイスの目に、アイバの姿が映る。

 アイバは入り乱れる銃弾の中を走っていた。

 ルイスが下に向けて叫ぶ。

「スコラ! アイバが来た!」

 その声に、スコラも姿を確認すると叫んでいた。

「出るよ! 援護して!」

 スコラの動きは早かった。

 無駄のない動きでアイバに近づくと、その首筋を掴んで近くの瓦礫の影まで走る。

 スコラは反射的に叫んでいた。

「なんでここにいるの⁉︎ しかも拳銃だけって────」

 しかしスコラはアイバの服を見て言葉を詰まらせた。

 服だけではない。長い髪の毛にまで返り血を浴びていた。詳細は分からなくても、命からがら逃げてきたことは間違いない。

 明らかに恐怖を滲ませるアイバに、スコラが続ける。

「その命は無駄にしちゃダメだよ」

 そして、一階の防衛が崩れ始める。

 入り口に近づく兵士たちに発砲しながら、スコラはアイバと中へ。

「二階に!」

 一階の兵士たちが二階に後退し、狭い階段での銃撃が始まる。

 しかしまだ外にも銃を持った反乱組織はいた。

 その無駄に小さな動きがルイスをイラつかせる。

 スコラがアイバに指示を出す。

「三階に行って──ヒーナとチグがいる」

 アイバはその指示で三階へ。

 その姿に、声を上げたのはヒーナ。

「アイバ……良かった。どうしてここに…………」

「クーデターの奴らが混ざってた。敵と味方の判別が出来ない」

 そう言うアイバの姿に言葉を失ったのは、近くにいたチグも一緒だった。

 チグはアイバに駆け寄ると、そのまま抱きしめる。

 そして口を開いた。

「ごめんね……大丈夫だよ…………もう終わらせるからね…………」

 すると、アイバは何も応えずに、片手でチグの体を押し戻していた。

 呆然とするチグをよそに、アイバは数歩だけ後ろに下がると、右手を上げ、ヒーナに銃口を向ける。

「……アイバ…………?」

 呟くようなチグの声を無視し、アイバはヒーナに語りかける。

「ヒーナは……どうして私が欲しかったんだ?」

 ヒーナは不思議と驚いてはいなかった。そして視線は下に落ちたまま。

 アイバの言葉が続く。

「私を祭り上げなければならないほど……リーダーとしての自信がなかったのか? 宗教はロクな結果にならないと、あの時説明したはずだ。結局こうなる…………私なんかがいなくたって……やれたのに…………」

 そして、ヒーナが返した。

「……そうだね…………そうかもしれない…………」

 そして、ヒーナの右手から自動小銃が床へ落ちる。

 そのヒーナが続ける。

「スコラとレナにも反対されたっけ…………やだな…………後悔しか出てこない…………」

「…………そんな…………」

 微かに聞こえたチグの声が続いた。

「……私は…………後悔なんか……してないよ…………」

 そして、チグは右腕を上げた。

 その手に握った拳銃を向ける。





      〜 第四部・第5話(最終話)へつづく 〜

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