③『先輩の彼女を好きになったってしょうがないんだ、って思ってた』

第01話 横恋慕

◇  ◇  ◇


 物事には順番というものがある。


 人気店には行列ができるし、行列には早い者から整理券が配られることもある。産まれてくる順番で兄とか妹とかの区別がついて、出席簿は「あいうえお」順で並ぶ場合が一番多い。だから青木さんなんていう名字はだいたい一番か二番で、和田、という名字の僕はもっぱら最後の方だった。


 人を好きになるのにも、やっぱり順番は必要なのだろうか。横恋慕、というのは、やっぱり行列への割り込みなのだろうか。


 僕は何食わぬ顔で笑いながら、アノ人の前でそんなことを考えていた。


 △


「ところで和田君って、好きな子とかおるん?」


 涼子さんからそんな質問を受けたのは、まさにその時だった。僕は一瞬心臓を鷲づかみされたような錯覚に陥った。自分の好きな人に、好きな子がいるのかどうかを聞かれたって、正直に答えようがない。しかもそれが自分の先輩の彼女なら――、無理というものだ。


「いや……、今は、特に」


 僕は考えつかない、といった感じを装って肩をすくめた。すると涼子さんの彼氏、つまり僕の先輩がすかさず突っ込みを入れる。


「和田なあ、アカンのや、ヘタレやから」


 そう、この人が言うように僕はヘタレだ。好きな人の前でもヘラヘラしていて、本心なんて見せたりできない。


「そうなんすよ、宮本さん。先輩が言うように僕ヘタレやから好きな女の人ができたって、多分アカンのです」


 好きな人――、宮本涼子さんの前で僕は笑いながら言った。その涼子さんは「なんで? 和田君て気が利きそうやのに」と不思議そうな顔をする。名前の通り涼やかな目元をした涼子さんは、不思議そうな目をしていても凜々しく見えた。


「そうやで、和田は気が利くで。そやけど気が利きすぎて先のことを考えすぎるんや。なあ和田、そうやろ」


 ニヤリと笑いながら久保井先輩はそう言った。


「僕が気が利くかどうかは知りませんけど……。先のことは考えますね。たとえば――」


 たとえば今日もこのあと涼子さんは先輩のこの部屋に泊まって、愛し合うのだろうか、とか。


「――たとえば、あと二ヶ月もしたら久保井さんはサラリーマンになるんやなあ、とか考えたら、僕の残された学生生活もあと二年なんや、って思ったり」


「あと二年て、まだ半分も残ってるやろ」


 そう言って久保井さんは笑う。


「じゃあ私なんか、あと一年やからな」


 続けて涼子さんも笑った。


 久保井さんは二つ年上、涼子さんは一つ年上、僕は二十歳で、全員一応大人。大人だけど社会人じゃないから半分未熟。そんな中途半端な状態から久保井さんだけが二ヶ月後に抜けていく。もうすぐ久保井さんが卒業という二月の夜に、僕たちは下らない雑談を続けていた。


「久保井さんの最初の配属先は、いつ決まるんやった?」


 この質問をしたのは涼子さんだ。久保井先輩は涼子さんに自分のことを『久保井さん』と呼ばせていた。『史哉ふみやくん』とも、『ふみちゃん』とも呼ばせずに――。先輩は根が体育会系の人だから自分の彼女がタメ口で話すのも、ちょっと嫌だったらしい。僕から見れば上意下達が厳格な組織である銀行は、久保井先輩にはピッタリといえば、ピッタリだった。


「四月の終わり頃かな。研修が終わったら発表されるらしい、けど……」


 そこで久保井さんの頬がちょっとゆがむ。


「けど?」


 涼子さんは復唱のように久保井さんの真似をした。


「けどな、結構最初の配属先で将来とか決まるらしいんや。ウチの支店、さすがに稚内とか無いけど、いきなり僻地やったらどうしようかな。地方回り確定コースになるんかな」


 ハハハ、と久保井さんは笑ったけれど、都市銀行の僻地ならたかが知れていると僕は思った。


「でも都銀の僻地って、最悪でも県庁所在地クラスとかでしょ? まだええやないですか。あ、でも雪の降るとこは嫌ですよね。僕の田舎みたいに」


「雪なあ、車にスノータイヤとか履かなアカンからなあ。支店の朝一の除雪とか新入りがさせられそうやし、雪の降るとこは確かにな」


 僕には久保井さんが『新入り』と言ったことが新鮮だった。考えてみれば新入社員は新入りだ。新入りというのは、どこの世界でも雑巾がけから始まる。


「となると、太平洋側のどこかですよね。宮本さん、四国なんか雪降らへんのでしょ?」


 僕はポッキーをつまんでいた涼子さんに聞いてみた。涼子さんの出身は四国の、たしか徳島だった。


「え、降るよ」


 涼子さんポッキーを口に放り込みながら、あっさりと言った。


「降るんですか? 四国やのに」


「たま~にね、山の方に行ったらスキー場もあるし」


「ええ、知らんかった~」


 僕が驚くのと同時に、久保井さんも声を出す。


「へえ、スキー場あるんや。でも四国はなあ、瀬戸大橋渡っていかなアカンし、確かウチの支店って二つくらいしか無かったような気もするしなあ」


「どうします? 高知支店とかなったら?」


 僕は脅かすように言ってみる。


「うーん、なんか中途半端やけど、もし高知に遊びに来たら和田にもカツオのたたきを食わせてやるわ」


「じゃあ二ヶ月後、楽しみですね。秋田支店とかになったらさすがに行かへんと思いますから」


「いや、秋田になったら来い。っていうか真っ先に呼びつけるからな」


 そう言って笑った久保井先輩は、二ヶ月後に東京の支店勤務に配属されたのだった。

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