第31話   〃 私に『好き』って言って欲しい

◇  ◇  ◇


「なあセンパイ……、ホンマに、私ともう一回付き合ってくれるん?」


 あれから仲直りをして喫茶店を出た僕と小夜ちゃんは、ふわりふわりと小雪が舞いはじめた駐車場で車を待っていた。もちろん川城が迎えにくる、と言っていた車を。


「当たり前やん。俺の方こそ小夜ちゃんにもう一回聞きたいわ、俺とやり直してくれるんは、ホンマなんか? って」


 僕は小夜ちゃんの細い手を握って、自分の右ポケットに一緒に入れていた。小夜ちゃんの手は僕よりも少しだけ冷たくて、僕はその手を必死で温める。


「センパイがええんやったら、私は……」


 そこまで言った小夜ちゃんは、ハッと何かに気づいたように僕を見上げた。


「そうや! センパイ、私に『好き』って言って欲しい」


「はあ!?」


 驚いて小夜ちゃんを見返したけれど、その目はマジだった。たじろいでしまった僕は若干引き気味に視線を外し、その真意を探る。


「え、なんで? それに、ここで? 今やないとアカンの?」


「うん。私、センパイに好きって言われたことない。えっと、私も、言ったこと、ない……けど。でもセンパイに先に言って欲しい」


「えっと、なんで急に、そんな……」


 僕の質問に、小夜ちゃんはちょっと拗ねたように頬を膨らませた。僕はその表情を見て、ああ、やっと小夜ちゃんが僕のところに帰って来た、と実感する。


「だってセンパイ、美紀ちゃんは川城センパイに何回も好きって言われてた。私、それ見ててセンパイのこと思い出したりして、悲しかったし、羨ましかったし。センパイに『好き』って言われへんかったんは、やっぱり私は子供扱いされてたんかな、って思ったり。美紀ちゃんは大人っぽいし、そやから川城センパイはちゃんと好きって言ってるんかな、って思ったりして……」


 僕はその言葉を聞いて、小夜ちゃんを子供扱いしてたらヘンな気なんて起こしてないわ、と反論しかかったけれど、さすがにそれは止めた。


「分かったけど。それにしても、それ、いま言わなアカンかな……?」


「うん、いまがいい。多分センパイ、あとになったら適当にはぐらかすから」


 さらに拗ねたような顔になった小夜ちゃんは、完璧に図星を言い当てる。まさに彼女は僕の性格を掴みきっていた。


 ぐうの音も出ない僕が黙っていると、小夜ちゃんが追い打ちをかけてくる。


「それにセンパイ!! 『好き』って言わへんかったのに、キ……、キスした! それから、『好き』って言わへんかったのに、抱きしめられて――」


「ああああ!! もうわかった! 好きやから! 小夜ちゃんのこと好きやし、大切に思ってる! 子供扱いなんてしてない、だから許して!」


 冬空の下、駐車場の片隅でそんな叫びをする僕を、小夜ちゃんは実に満足そうな表情でみつめてくれたのだった。


 △


「それにしても、遅いな……」


「なあセンパイ。川城センパイに、ホンマに伝わってるん?」


「俺、確かにアイツのポケベルの番号をプッシュしたんやけどな」


「ポケベルって、電話番号が出るん? 公衆電話やったら川城センパイが知らん番号なんと違うん?」


「わからへん、俺ポケベルのことなんか、あんまり知らんし。俺は言われたとおりにウチの番号を入れたけど……」


 駐車場で待ち始めてから、既に十五分以上が経っていた。相変わらず空からはフワフワとした小雪が落ちてきて、小夜ちゃんの黒髪や、華奢な肩に舞い降りている。雪は積もるほどでもなく、髪や肩に落ちてもすぐに溶けてしまうとはいえ、あまりに長く外に立っているとそれなりに濡れてしまうだろう。


 僕は、早く来いよアホの川城、と心の中で念じながら、自分のコートの右ポケットの中で小夜ちゃんの手を握っていた。――すると。


「なあセンパイ、首元、寒いやろ」


 小夜ちゃんが僕を見上げてそう言ったかと思うと、僕にチェックのマフラーの半分を巻き付けてきた。ふわり、と僕の鼻腔に小夜ちゃんの匂いが漂い、思わず僕は身を固くしてしまった。


 チェックのマフラーはそこそこ長さはあったけれど、さすがに二人で使うようにはできていない。自然に僕と小夜ちゃんは、身を寄せ合うように隣に並ぶことになった。


 僕は身長が高い方でもないし、村澤さんが言っていたように女子に人気があったなんてこともない。でも隣の小夜ちゃんは違う。あれから色々とお誘いもあって、狙っている男子もいたという話。それなのに僕のことをずっと想っていてくれたなんて、僕の一生分の奇跡はここで使い果たしたんじゃないかと感じた。


 そんなことを思いながら隣に目をやると、鼻歌でも歌い出しそうな小夜ちゃんと目が合った。


「なに、センパイ? マフラーが足らへんの?」


「ううん、違う違う。さっき車で聞いた藤原君とかいう子、俺は知らんけど、背も高くて格好ええって村澤さんが言うてたから、俺で良かったんかなあ、って」


「センパイ、自信ないん?」


 いたずらっぽい目になった小夜ちゃんは、そう言って僕をからかった。僕はいまさらそれを否定する気持ちになる訳もなくて、素直に自分の自信のなさを認める。


「あるわけないやん。知ってるくせに」


「アハハ。うん、知ってる。でも私はそんな優しいセンパイを好きになったんやで。私、センパイと一緒におって、怖いとか、うわぁ、この人なに考えてるんやろ、とか思ったことないもん」


「あ……、あんなことが、あっても?」


 遠慮気味に僕が聞くと、小夜ちゃんの視線がジトッとした目に変わった。


「そやからさっき言うたやん。怖いとか、嫌やとかやなくて、恥ずかしかったんやから!」


「ああ、ごめんな」


「またそうやって謝る! でも……」


 小夜ちゃんはここで区切って、小さく息を吐き出した。


「でも……、えっと……。なあセンパイ、これ聞いても絶対に調子に乗らんといてよ」


 怒っているというよりは、確認している感じで小夜ちゃんは僕になにやら約束を求めた。


「はい、絶対に調子に乗りません」


 僕がかしこまって慇懃に返事をすると、小夜ちゃんが派手にプッと吹き出す。


「プッ、もうセンパイの落差どうにかして!」


「いや別に作ってるわけやないけどな、で、なに? 俺、調子に乗らへんけど」


「うん、あんな……」


 小夜ちゃんは少し恥ずかしそうに僕の腕に頭を寄せる。


「あんな、私、初めてはセンパイとなんかなあ、ってなんとなく思ってたし、いまでも思ってる。そやからあの時、イヤ、とかじゃなかったんやけど、今日やったんや、っていうのと、まだ早いかな、っていうのと、恥ずかしいのがゴチャゴチャになって、気がついたらポロポロ泣いてた……。そしたらセンパイめちゃくちゃ焦ってて、私もどうしたらエエんかわからへんし。頭冷やしに行くって、センパイ出て行ったら一時間以上も部屋に帰って来うへんし。私、多分センパイが私に呆れたんやと思った」


 僕の腕に頭を寄せていたから、小夜ちゃんの表情はうかがい知れなかったけれど、多分やっぱりちょっと拗ねたような顔をしているんじゃないかと、僕は想像をした。


「俺が小夜ちゃんに呆れたって、そんなわけないやん」


 腕に寄りかかっている小夜ちゃんを少し押すと、小夜ちゃんも同じようにコツンと押し返してくる。


「うん、それもすぐになんとなく分かった。帰って来たセンパイ、いつも通りに優しかったから。でも私……、あの帰り道になに喋ってええんかわからへんかった。センパイが何か喋ってくれるかな、とか思ってたけど、センパイも気まずそうな顔してて、そりゃそうなんかなあって。で、最後に私、汽車の中でひとりで寝てしもて、センパイがわざわざ時間掛けて家まで送ってくれてるのに……。そやから、やっぱりセンパイに呆れられたんかなあって。でもセンパイに借りたままにしてた『うしおととら』を本棚で目にするたびに、私はセンパイのことまだ好きなんやな、って思い出したりして……。あっ、センパイ、これ聞いたからってホンマに調子に乗らんといてよ!」


 小夜ちゃんは腕に頭を押しつけたまま、再びグイッと上を向いた。その目は本当に綺麗で、僕を信用してくれていて、僕が護らないといけない純粋な目をしていた。


「乗りません。調子になんて乗らへんって。今度は小夜ちゃんのこと、絶対にもっと大事にする。もし離したら、もう帰って来うへんやろ、さすがに」


「もうっ、人をイヌみたいに言わんといて!」


 そんな僕と小夜ちゃんは、お互いに一本のマフラーで繋がったまま、腕と頭の押し合いを続けた。もちろん僕はチカラ加減をして、そして小夜ちゃんは結構な強さで。


 そんなことを繰り返していると、不意に駐車場でクラクションが鳴った。驚いた僕たちはクラクションの鳴った方に視線を合わせる。するとそこには、助手席の窓を下げて呆れたようにこっちを見ている、村澤さんの顔があったのだった。

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